それは起承転結で言うところの、およそ転と結の間(5)
それを耳にし、その場の誰もが警戒心で身を固めたのは当然の反応であったろう。
ただでさえつい今しがたまで、まさしく今いるこの場所で展開されていた修羅場を間近で目撃していたり、または当事者であった人間たちからすれば、少しずつ校庭側から迫り来る獣のような喊声(この時点ではもう銃声のほうは収まっていた)に、まだ何か終わってはいない新手の危機が残っているのではと、過剰ともとれる注意が心へ沸き立つのもむべなるかな、である。
実際、泡を吹いて意識を失っている野蒜と、血を噴いて意識を失っている彼方と、煙を吹いて生命を失っている鉄道のほかは、誰もが確実に歩み寄ってくる咆哮の主が何者かと、一同が揃って中央区画から校庭側への広い通路へと視線を向け、箍流などに至っては半身に構えて臨戦態勢すら取るという始末だった。
が、
そんな皆々の、多分な緊張感が漂う様子も、怒号を上げて近づく当の本人を、ようやく目視で確認できる距離に捉えるや、一挙にそれまで張り詰めていた神経を弛緩させる。
中央区画全体へ立ち込め、ようよう収まり始めた粉塵と雲煙により、開け出した視界の先、幅広の通路をかなりの早足でこちらへと向かってくる人影、それは、
黒光りするサコーM60E3軽機関銃の長大な銃身と、本体とを右手で掲げ、すでに弾の尽きたそれを途中、道の脇へ放り出し、なお蓮春たちのところへ向かって迫力ある歩みを続ける、
上半身ハダカ。頭にハチマキ。ナイスバルク。
見せ付けるよう汗に光るマッシヴな筋肉をこれでもかと隆起させながら、
「……Mission accomplished(任務完了です)」
そう凄みのあるつぶやきを漏らす、欄房の姿であった。
と、
相手を知ってその場の一同、揃ってやや気抜けしたのも束の間のこと。
欄房が放った声を合図とばかりに寸刻突如、
「ご苦労だったのう、伊刈乃君」
前兆も気配も無く、
「それに、白旗君もな」
さらにはここへと訪れた経路も道筋もまったく不明に欄房とは逆方向……ちょうど滑が消滅させた上校舎側から、瞬間移動の奇術が如く、鉄十字学園学園長にして、滑の祖父たる上までもが揃い出現したかと思うや続けざま、声を響かす。
瞬時、まるで心のどこかでこの事態を予測していたかのようにすぐさま不動の姿勢を取り、きちりと上げた右手も鋭角、敬礼する靡と欄房を、とりあえずと確認だけするよう一瞥しながら。
「にしても、校舎側はまたひどい有様だな。特に、上校舎はもう更地どころか土地まで無くなっておるようなものか。校舎周りもひどかったが……ふむ、自分で指示しておいて今さらながら、ちいとばかりやりすぎの感は否めんのう……」
その言に、靡も欄房もただ、敬礼さえも解けず直立し続ける。
何が、という顕在的なものではなく、雰囲気とでも呼ぶものか、それとも風格とでも呼ぶものだろうか、齢90近いこの老人の一挙手一投足には何故かその場の他者が割って付け込めるような隙が微塵も無かった。
圧倒的な言外の威圧感。
普段、係わりも多く慣れているはずの靡や欄房ですらこれである。
顔を合わせたこともほとんど無い、蓮春や箍流などは、もはや気圧されすぎて呆然とするほかにない。
特に今の蓮春と違い、しっかり両の目が見えている箍流などはたまったものではなく、それまでの威勢はどこへやら、下手をしたら泣き出すんじゃないかと思うくらいに怯えた表情となり、欄房の登場時、反射的に構えた半身の姿勢を今さら解くにも解けず、そのままの形でギュッと萎縮して固まってしまった。
正直なところ心中、自分に寄りかかっていた状態からずり落ち、床へと崩れていまだ失神したままの野蒜を、むしろ羨ましくすら感じてしまうほど、一瞬にして弱りきってしまった箍流の姿ときたら今回、そうでなくとも彼女自身には何の非も落ち度も無い点を含めてより、第三者目線からの憐憫と同情の念は禁じえない。
しかし、
「いやいや、とはいえ別に何とて無い。安心せい二人とも。やりすぎといっても、たかだか白旗君から引き継いだ伊刈乃君が、不埒者の一団を残らずそこに転がっとるバカでかい銃で赤いシミに変えてしまっただけのことよ。学園敷地内までは侵入していなかった連中も含めてな。どうやら、中途で戦いを投げ足すような腰抜けを見す見す逃がすのが伊刈乃君としては癪だったと見える。その辺り、気持ちは分からんでもないし、事も事で、単に少しばかり血肉が想定より広めに飛び散ってしまっただけのこと。いずれにせよ特段、大した問題でも無い。二人は何も気にせんでいい」
当の上はといえば、鶴の一声ならぬ鶴の演説を一寸とて止めることなく、不幸にも居合わせた哀れな一般人たちへの配慮など、する気もねえよとばかり進めてゆく。
何かいろいろとおかしい気がするものの、百歩も千歩も引いて考えれば、まあ靡と欄房に対する気遣いなのかな? とか、かなり強引な解釈でもしねえと好意的には受け取れそうにない発言を聞き、なお敬礼を解かぬまま、ことさら身を引き締める靡と欄房、二人の様子を見つめつつ。
すると急、
「……ともあれ」
何故か自分の孫娘のうち、一人を抱き上げ、一人は血まみれ、瓦礫まみれで足元に転がっているという状況の蓮春の側へ、すいと自然に視線を向かわせ語る。
「そんなこんなも何もかも、これに比べれば瑣末なことよ。なあ、滑?」
問われたのへ、いまだ視力の回復しきっていない蓮春が上の言葉の意味を理解できず、ほとんど役に立たない両眼をキョロキョロと見回して戸惑う中、まさしくその蓮春の腕の中に居る滑は委細承知とばかり黙してただ、コックリと頷いた。
一体全体、何の話をしているのやら皆目見当もつかず(ほぼ視力の無い状態の蓮春に使うと、ものすごく違和感のある言語表現なのはさておいて)、面白いほど混乱している蓮春の様子を明らか、赤らめた顔を向けてわざと楽しむよう眺めながら。
刹那、
「さて、斜弐君……だったかな?」
「……は、はい?」
今度は蓮春に、上の声が向けられる。
先ほどまでから何が変わり、何が起き、何がどうなったのか。これっぱかりも飲み込めず、素っ頓狂な返事を漏らす蓮春へと。
「正直、今の今まで……滑が何で君のような平々凡々とした……気を悪くするだろう事を承知で言うが、いかにも当世風の軟弱な男を見初めたのか……わしは、まったく理解できずにおった。だがなるほど、やはり男を見る目に関して、男は女子に敵うわけがないということを、改めて思い知らされたわ。三学非器の凡夫の身でありながら、それでも自らの死や苦痛に対する恐怖より、滑を思って逃走ではなく、留まることを選んだその意気や良し。そう、男子たるものはかくあらねばならん。斜弐君、君は男
の腕が何のためにくっついとるのか、分かるかな?」
「え、あ……え?」
「男の腕とはな、認め合った敵と殴り合い、愛し合った女子を抱きしめるためにある。悲しいかな、昨今はそんなことすら分かっておらん愚か者も多い。が、その点そこだけでも、分かっておる君は、だからこそ認められるべくして認められたんだろうの。まこと、ついこの前までほんの童だと思っとったが、結果として滑の目は確かだったというわけだ。ははっ、こりゃめでたいわい」
「ちょっ、あの……一体、さっきから何の話を……」
「なになに、過ぎたことや細かい話は後にせい。もう今となっては別に急ぐ必要などありやせん。何せ、いずれにせよ……だ」
そうこうと、
何やらまるで一方的に独り言を聞かされているのではと錯覚するほど、一切の説明無しに勝手、延々とくっちゃべっていた上の口調が一転、厳しくなったかと思うや、
「人は己の行いに対しては責任を果たさねばならん。それは老若男女の別無く、平等にな。すなわち、彼方は彼方の責任を。そして……」
最後に一言、
「斜弐君は斜弐君の責任……男の責任を果たさねばならん。無論、こんな当然のこと、承知しとるだろうな。のう? 斜弐君」
言って、上の視線が真っ直ぐ、滑を抱える己の腕へと集中するのを、ようやっと鮮明になってきた視界に捉えて蓮春は、うっすらと、しかしはっきりと、間違い無く(やってしまった)らしきことへ気づいて瞬刻、全身にどっと嫌な汗が噴き出すのを感じると、あたかもそのタイミングを見計らったかのように、首元へ回され触れてきた滑の手に気づき、彼女の顔を見るに至り、
そのあからさまな恥じらいの表情を見るに至り、
伏し目がちに紅潮した面貌を逸らしている様を見るに至り、
蓮春は、
一気に首から上、血の気が失せてゆくのへ合わせ、急性貧血によって吹き飛びそうになる自らの意識と、今まさに直面している絶対に受け止めたくない訳の分からぬ現実という、あまりにも強烈なツープラトン攻撃に、自分の精神がガラガラと音を立て、倒壊してゆくような感覚を味わっていた。