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それは大事件という名の、文字通りの大事件(8)

箍流が茫然自失、その場へ立ち尽くしていたのは実際の時間にすればわずかに数十秒。


まさしく、ほんの少しの間だった。


滑の登場。それと同時におこなわれた自販機の投擲。


その直撃を受けて倒れたものと思った彼方が再び立ち上がるや、雄叫びのように自説を打ち、滑へ向けて放った巨大な烈火。


さらにはそれの発する中央区画全体をサウナも涼しく感じるほどの温度まで一気に上昇させた驚異的かつ恐怖すら覚える強烈な熱気。


離れていてさえこれであるのだから、そんな炎の中……直接の内部へ包み込まれた滑は果たしてどうなってしまったものかと、彼女の実力を含めた何もかもを盲目的に信じている箍流ですら、不安を抱かずにはおれなかったところへ、結果論だが、やはりというべきか何と言うべきか、髪やら衣服やらについてはさすがに無事とは言い難いながらもそんな猛炎を突き破り、なお攻撃の意志と体勢を保って現れた滑の姿へ思わず、ほっとしてしまうまでの数十秒。


そしてそれは、


攻めきれこそしていなかったものの、少なくとも野蒜と互角に渡り合っきていた箍流がほぼ唯一、明確に晒してしまった隙でもあった。


始めは感触。

首元へ布の当たるような、些細な感触。


だが、その感触を自覚した時点ですでに手遅れ。


そこからは瞬く間。


「!!」


吃驚に息を呑む音を上げる箍流に対して瞬時、野蒜は彼女の背後へ回り、後ろから右手で箍流の左手首を掴み、右の腰辺りまで引き伸ばし、左手は右手首を腰周りから通して抱きつくように掴むと、そのまま左斜め上へと引っ張り上げ、そんな彼女の背中に胸元全体を押し付けるような格好になって力を込め、箍流の首を箍流自身の右腕と自分の上半身とで挟み、締め付けていた。


ご丁寧に下肢へ対しても同時、箍流の股に素早く差し入れた左足を、同じく彼女の左足へと絡めつけ、しかもその踵でもって左足のつま先を踏み、残る右足の膝裏へは常に膝を当てて微妙に前に押し出すことで、力を込めたり絡めたり、勢いをつけて振り回す動きさえも封じている。


足元へすら例外無く、一切の隙を与えない完全なまでに体の自由を奪う固定動作。


それ自体にも箍流は驚きを隠せなかったが、何より驚いたのはこの野蒜の行動選択。


これだけ完璧に体中をホールドする暇があったのなら何故、彼女は攻撃にその時間を使わなかったのか。


我ながらこれほど致命的な隙を見せてしまったことは慙愧に耐えないが、そんなことよりまず確実に自分を倒せたであろう絶好のタイミングを、単に自由を奪うだけの行為などに使ったりしたのか。


しかし、


「……これで、ひとまずは安心……」


安堵のつぶやきを耳元で漏らす野蒜の言葉に、箍流は彼女の真意を知る。


いや、正確に言うと曲解した。


自分は人質に取られたのだと。


靡との二人掛かりでも崩しきれなかった守りを誇る(現実には誇る余裕も無いほど、当人は死に物狂いであったのだが)野蒜に自分が捕らえられてしまった今、靡は手出しすることが出来ない。


ただでさえ決定力に欠けていたところに自分の攻撃力が丸々喪失したうえ、盾として使われることで靡単体の攻撃まで大幅に制限されてしまった。


思い、箍流はあまりの悔しさ、情けなさから小刻みに全身を震わせた。


のだが、


前述したとおり、これは箍流の妄想が多分に含まれた推測である。


実際、野蒜の思惑していたことは、そうまで深い理由からではなく、単に靡の攻撃を封じることだけであった。


勝手に自分を過大評価している箍流には申し訳ないが、野蒜からすれば威力こそ大きいものの、大振りで予備動作も明確な箍流の攻撃は、注意力さえ切らさなければ大した脅威ではない。


それどころか、彼女の無駄な突撃を上手く捌くことにより、本当の脅威である靡からの攻撃を防いでいたのが事実。


つまり、むしろ箍流を含まぬ靡との一対一での戦闘だったなら、下手をしなくても滑の登場を待たず、靡のナイフで細切れにされていただろうというのが野蒜の思慮。


ゆえに野蒜は箍流と靡の二人掛かりでの攻めが始まったときからずっと、箍流を靡に対する遮蔽物としか見ていなかった。


だからこそ箍流が隙を見せたとき、野蒜は彼女を倒すなどという選択肢は欠片も頭に浮かべず、ただただ自らの防衛を固めることだけを考えて行動したのである。


そうしたわけで、


おかしなことに箍流と野蒜は互いの価値観や視点の違いから、まるで異なる思考過程を経たにも係わらず、最終的な答えがほぼ同じになったのは、何かしら馬鹿げた運命の悪戯であったろうか。


ともあれ、これにて後は滑と彼方の決着を黙って待っていればいい。


保身は確立し、傍観者の立場に落ち着ける。


それが野蒜の漏らしたつぶやきの真意であり、またその願いは実現した。


と、思っていた矢先、


「あたしごとやれえっっ!!」


一瞬、誰が何を言ってるのかと困惑する野蒜を置き去り、すぐに続いて、


「靡先生っっ! あたしに構わず、早くっっ!!」


聞こえたのが今、自分が密着している相手……箍流から発せられた声であることと、継がれた言葉の意味の双方とをようやく理解して野蒜は、


(ウソ……まさかこの人ってば、自分が今、置かれてるシチュエーションに……酔ってんの?)


箍流が英雄症候群であることを思い出し、戦慄した。


英雄症候群の人間は総じて、頭の中に綺麗なお花畑が広がっている。


目を見開いたまま現実を無視して夢想に浸り、どれだけドラマティックか、ロマンティックか、といった価値基準だけをあらゆる行動原理とする、恐るべき人種。


だとすれば、彼女は今まさに自己犠牲という安易で酔い易いシチュエーションへ傾倒し、自分もろとも靡の刃に倒れようとしている。


そう容易に予測し、戦慄した。


そしてさらに追い討ち。

悪い予感は形を成す。


まさか当人が望み、発言もしたことだとはいえ、教師たるものが盾にされた教え子ごと敵を倒そうとしたりするなど、そのような人道に悖る行動へ出たりは、いくらなんでもしないはず……というか、出ないでっ! そこはむしろ退くのが王道だからっっ! このヒーロー願望が高じてノンアルコールで酔っ払っちゃってるイタイ娘も、一般的なヒーロー物のお約束的に考えて恐らく、そっち系の展開を望んでるはずだからっっ!! と、新たに額へ滲み始めた冷や汗の感触を味わいつつ、祈る野蒜の目に、そんな個人的な希望へ副う気は毛頭無いとばかり、要望とは間逆、最も見たくない光景が映る。


背後から箍流の首越し、5メートルほど離れた位置へ立った靡。


両手に持ったナイフを逆手で構えた靡。


その状態から転瞬、


不意に体勢を緩めたように見えたかと思うや、靡はヒョイと両の手首を器用に回し、指を開いて低くナイフを投げた。


途端、今度は回転しながら滞空するナイフの背を掴み、その手をそのまま大きく後方へと反らす。


これまでの近接戦闘スタイルから転じ、明らかにナイフスローイングの姿勢。


その様を目にした野蒜は背筋へ走る寒気で身震いしつつ、


(……まさか、いくらなんでもナイフが貫通してくるとか無いよね……それとも、隠れてるあたしの体へ、狙って当てられる自信があるってこと……? てか、そもそもやっぱ人質がいる状態で投げちゃダメだと思うんだけど……)


目まぐるしく、しかし何の役にも立たない混乱した思考の渦で頭が破裂しそうな感覚に襲われているその間に、彼女の絶望を確定させるかのよう、まるで躊躇も無く、靡の両腕は勢いよく前方へと振り出され、柔らかく握られていた二本のナイフは手指を離れて空を切り裂き、飛翔した。


が、次の瞬間。


文字通りの電光石火といった速さで投げ出され、宙を舞ったマットブラックのナイフが二本同時に目標へと、慎ましい血飛沫を上げて突き刺さる。


のを見て、


箍流も野蒜も驚愕と唖然とによって心を満たされ、寸分違わずまるで同じ思い、言葉、一言、


(そっち!?)


声も出せずにそう、胸の中で叫んだ。


まさにナイフを投げ出さんとした寸刻、靡は腰をひねり、体勢を素早く向け直してを射ち放った、その対象へ視線を向けて。


靡の真の標的。それは、


彼方。


箍流が盾にされた時点でもう教師という立場から考えて自分が野蒜へ攻勢に出るのは不可能と判断し、どうせ箍流の良かれと思っておこなうすべての動作が邪魔にしかならなかった事実と、野蒜の徹底した防衛志向のおかげで靡からすればもう確実に底無しの泥仕合となるのが目に見えていたわけで、となれば自身の戦いよりも滑への加勢に回ったほうが建設的だと結論したのは、至極当然であったかもしれない。


労力に見合う結果を追求した場合、コストパフォーマンス的にもこの選択が最も効率的と考え至ったのは、間違いではなかったかもしれない。


ではあるが、


選び得る選択肢の中で最善のものを選んだとしても、イコールで結果が付いてくるとは限らないことを、今度は靡が、


箍流と野蒜の味わった驚愕を、彼女が味わうことになる。


全力を込めて擲った二本のナイフは、確かに狙い通り彼方へ命中した。


ただし、


命中したのは、


彼方の右腕。


己を庇うように引き上げた、右の肩口と前腕へ、ほぼ刃渡りすべてを深々と埋没させて。


恐ろしいことに、正確な狙いで彼女の頭部と頸部を貫こうと放ったナイフへ、もはや真っ赤なボロ雑巾の如き有様となり、無数の裂傷や刺傷、単純骨折や粉砕骨折などの傷痍がもたらす激痛、物理的な損壊の程度から、とてもまともに動かすことなどできないはずの右腕を、咄嗟に跳ね上げ、ナイフの進路を妨害し、頭部と頸部の身代わりとしたのである。


しかも、


そんな状態になりながら、彼方は薄笑いを浮かべて流し目で靡を一瞥すると、ほぼ間も空けずに眼前まで迫った燃え焦げる滑へ視線を戻す。


再度、彼女を発火させようと。

今度こそ、彼女を燃やし尽くそうと。


塵も残さず。灰も残さず。


刹那、


発光して宙に飛ぶ滑は、


再びの猛火に包まれた。


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