それは転校生という名の、憐れな偶発的犠牲者 (2)
「……うーん……こう? いや、確かにこれも捨てがたいけど、出来ればもっとインパクトが欲しいか……カッコイイのは必須として、やっぱ転校生ってのは最初でインパクトを与えんのが大事だもんな……」
2年D組前の、窓から差し込む日に照らされた真白な廊下。
そこに、やたらと細かく動く人影がひとつ。
ブツブツと何やら考え込んでいる風に独り言をつぶやきつつ、あれこれと身を捻り、手足の位置取りを模索している。
壁とドアを隔てたクラス内では滑の手によって二発の弾丸が発射され、それなりの(教室内で実弾発砲があったというのに「それなりの」で済んでしまう問題はさておいて)騒ぎが起きている同時刻である。
普通ならば教室から響いてくる騒ぎと銃声(と判断できるかは人によるだろうが)を耳にして多少は気を向けるはずだが、この人影はそんなものにはとんと気づかぬ様子で、変わらずせっせと様々なポージングをしながら、細かな靴音と、身振り手振りのたびに風を切る音を響かせていた。
と、
「ごめんなさいね待たせてしまって。さ、入って自己紹介をどうぞ」
スライド式のドアを開け、教室から顔を出した靡が廊下の人物に向かって言う。
瞬間、ちょうどかなり奇抜なポーズを決めていた人物だったが、どこか微笑みというべきか冷笑というべきか迷う靡の表情などお構いなしに、
「おっしゃ、ガッテンッ!」
何に対する意気込みか分からないが、ともかく妙な気焔を見せると、タンッと小気味良い音を立てて握りしめた右拳を左手のひらへ打ち付け、駿馬の如き素早さで靡とドアの合間を一瞬ですり抜けるや、教室内へ身を乗り込ませた。
途端に教壇。
巨大なホワイトボードの前。
すると人物はクラスの人間へ一瞥もくれず、やにわにホワイトボードの下に並んだマーカーのうち、迷いも無く赤を選択して手に取るや、書き殴る……といった表現の最上級を思わせる腕だけでなく、全身を目いっぱい振り回すように使った書き様でボード全体を覆うほどの大きさの一文字一文字を記しながら軽快にボードの端までステップしてゆく。
そして、
最後の一筆。
マーカーのペン先がホワイトボードの枠へぶつかるように止まると同時、書き終えた達成感でも引きずるような満面の笑みを浮かべ、その人物はマーカーをボードへ置きざま、驚くほどに大袈裟な、しかし無駄にキレのある動作で身を翻すと、書き上げた文字を背にクラス一同を見渡し、
「よおっす、みんな! 転校初日だけど『始めまして』なんて堅っ苦しいアイサツは抜きだぜ! 早速、自己紹介からさせてもらおうかっ!!」
快活な大声を張り上げるや、自身の書いた自身の名前を背景に、
「ご覧の通り、あたしの名前はぁっ!」
まるでどこかの特撮ヒーローかと疑うような大仰に過ぎる決めポーズを取り、力強く右足を踏み込むや、
「大見得霧箍流てんだ! ヨロシクなっ!!」
言ったと同時、
広げて伸ばした右手が、ビシッ! と効果音でも立てる錯覚をその場の全員が感じ取り、瞬く間に教室内は無音の如く静まり返った。
(……キマッた……!!)
こうなった状況へ満足してか、決めたままのポーズを微塵も崩さず、ヒーロー気取りな転校生と思しき人物は心の中でそうつぶやくと、白い歯を光らせ、どこか恍惚とした目をして笑みを浮かべる。
奇行や怪しい言動のせいで判然としなかったが、よく見れば……いや。
やはり姿も奇妙奇天烈としか言えない。
性別は少なくとも女子。
まあここまではいい。
問題はその格好である。
ポーズ云々は横に置いておいて、まず目に付くのが明らかに染めたのだろう不自然なまでに赤い髪。
長さは滑と大して変わらないほどと思われるが、異常にシャープな髪形が実際の長さを分かりづらくさせている。
加えて服装。
首元にはぐるりと巻かれた長く白いマフラー。
前を留めずに羽織った上着のジャケットは髪と同じくこれも赤。
さらに両手も赤いオープンフィンガーの手袋をし、上着の中はYシャツもスカートも無しに、下半身部分がスパッツ形状をした薄緑色のレオタード。
そこへ何の必要性があるのか、意味不明なベルトを巻いているといった様相。
これらを総合するに、導き出される答えはひとつ。
この娘が相当に(イタイ子)か、もしくは(アホの子)か、下手をすればその双方であろうという、ほぼ確定的な予測。
D組の人間たちからすれば、このうえさらに厄介なのが増えるのかと、教室全体から嘆息が漏れようとしたその時、
彼らはすぐさま気づくことになった。
自分たちが比べようとしていたものが今現在、目の前にいる困ったちゃんとは比較対象にすらなりはしない存在だということを。
空気が切り替わるきっかけは、もはや聞き慣れた音。
静寂に包まれていた教室に響き渡る乾いた音。
それが合図。
始めこそ、その音は単に大きな音という以上の意味をもたらさなかった。
しかし転校生……箍流にとって聞き馴染みの無かった音は自然、彼女の視線を誘導することになる。
(音の発生した場所)でなく、(音が向かった場所)へ。
実際のタイミング的には、箍流が最後に決めのポーズを取った瞬間の出来事。
そう、現実の時間としては瞬く間。
ほとんど時間など経過していない。
軽い耳鳴りを覚えつつ、箍流は自分の背後から漂ってくる薄い煙の筋を目の端に捉え、ふと後ろを振り返って目にしたものを理解するのに数秒を要した。
実はこの数秒のほうが、ここまでの一連の流れよりよほど長い時間であったのだが、そこは特段重要ではない。
肝心なのは、箍流が振り返った先にあるホワイトボードへ、素人目にも明らかな弾痕が、なお真新しい硝煙をくゆらせて穿たれているのを視覚し、知覚し、認識したことである。
そして認識するやいなや、
「うえぇいっっ!!」
今までの威勢はどこへやら、箍流はにわかに受け入れ難い現実を見て周章狼狽し、遅ればせながら避けるように弾痕のある位置から飛び退くと、当然の反応をこう言っては可哀そうだが、なんとも珍妙な悲鳴を上げる。
だが、ここはさすがというべきか。
咄嗟に着弾地点から離れたことで態勢を整えたらしく、またしても箍流は変にキレのある動きで周囲を見渡しながら険しい顔をしてまだ知らぬ銃撃者へ向け、
「なっ! 誰だっ、誰の仕業だっっ!?」
大喝を飛ばした。
この度胸だけは、それがたとえ無知ゆえの無謀としても評価に値する。
ではあるものの、
「チッ……どうも奇抜な動きのせいで狙いが定まりませんでした。やはり動く標的は難度が違いますね……偏差射撃は奥が深い……」
教室の一角で舌打ちを漏らしつつ、渋い顔でいつの間にかまた右手に持ったM37を眺めて小さく首を傾げている人物。
つまり相手が滑という、決して対抗の意志など持ってはいけない相手だと考えると、諸手を挙げて推奨……は難しいかもしれない。
が、
何事にも例外は存在する。
これほどの状況。
これほどの相手。
これほどの絶望的悪条件を無視ではなく直視したうえで意見のできる人間。
ひと通り箍流が慌て終えたのを機に、勢いよく立ち上がり、そのまま真っ直ぐ滑へ視線と怒号を投げつけた人間……蓮春の如き例外が。
「バカヤロウッ! なんでそこでお前が舌打ちしてんだよ! さっきあれほど気安く銃とか撃つなっつったばっかだろがっっ!!」
「えっ……? だってそれ、フリ……」
「フリじゃねえっ! てか、そうでなくても転校早々の子に何で躊躇い無く……どころじゃねえわ、理由も無く発砲すんだお前はっっ!!」
「でも、イラッときたらとりあえず一発撃ち込むのはごく普通……」
「ああ……なんかイラッとしたのはちょっと分かるかも……って、いやいやいや普通じゃねえよっ! どんだけお前、引き金軽いんだよっっ!!」
「本当は安全装置の無いリボルバーには危険だからしちゃいけないんですけど、フェザータッチに調整してあります。極端を言えば引き金に指が触れただけで発射できますね」
「物理的なこと聞いてんじゃねえってばっ! 気持ち、気持ちの問題っっ!!」
「ですから、イラッときたから……」
「だあぁぁぁーーーっっ!!」
相も変わらず、どこぞのメロドラマに出てくる恋人同士の思い並みにすれ違い、ズレまくる会話に堪えかねて蓮春は吠えた。
天を仰ぎ、頭を抱え、
狂おしく獣のように。
何事にも例外は存在する。
これほどの状況。
これほどの相手。
これほどの絶望的悪条件を無視ではなく直視したうえで意見のできる人間である蓮春も、所詮は意見を言えるだけであり、それが相手に通じるかは別の話という事実が。