それは先触れという名の、ついに来た本格的危険の前兆 (5)
「正直さ、途中で『ああ、こんなもんか』ってガッカリしちゃって、後から見直すまで気がつかなかったんだけど、私が始めに目をつけてた子……」
「大見得霧箍流……さんでしたっけ? 私も人のこと言えませんが、またウソみたいな氏名の方ですね」
「ま、私も同じく人のこと言える姓名してないからそこは無視して……どうもこの大見得霧って子、何が目的やらいまいち分からないけど、各地の学校を転々としてはそこら一帯で悪名の高い不良グループを潰して回ってたみたい。恐らく調査書の性格にまつわる補足で書いてあった通り、当人の(ヒーロー願望)とかいうのが理由だとは思うんだけど、それにしたって(能力持ち)でもない生身の人間がこなした仕事としてはなかなかに大したものだとは思うわ。だからこそ私も目を付けたんだけどさ。けど、調べてもらったら所詮、一般人は一般人だったのよね。とてもじゃないけど私が直接やり合って楽しめるかって言ったら難しいレベル……そう分かったから一旦は見切っちゃったけど、よく考えたらこの子、そういった過去の前歴が祟って相当な数の不良グループから恨みを買ってるらしいのよ」
どちらかというと物騒なイメージの付きまとう体育館裏。
が、ところ変われば事情も変わる。
人の気配はあちこちからするものの、姿は見えない銀杏並木を配した密会の場としての体育館裏で、実に居心地悪く木陰へ隠れて彼方と揃い、しゃがみ込んだ姿勢で話を聞く野蒜の表情はいまだに硬い。
万が一など無いとは分かっていても、いかんせん呼び出された場所が場所である。
ノンケの彼女としては、その万が一をすり抜けて望んでもいない新しい世界への扉を開かれてはたまらないと、最低限の警戒心が残留するのはむしろ当然だろう。
しかし、彼方がそのような瑣末な事柄(あくまでも彼女にとって)にかまけるわけはやはり無く、淡々と会話を進行してゆく。
「それにしてもほんと、改めて調査書を見れば見るほどこの大見得霧って子は謎だらけなのよね。私を満足させるには不足を感じるとはいえ、常に徒手空拳で数十人単位の凶器を持って武装した荒くれ者どもを、自分は無傷で漏れなく病院送りにするだけの実力はあるのに、今までにただの一度も相手へトドメを刺してないのよ? 普通はこういった場合、後の無駄な禍根を断つためにも、相手は例外無く凡胎よりの束縛から解き放ち、而して解脱せしめ、この悉くを仏と成すことこそが正しき人の道ではないかしら?」
「先輩……いくら仏教っぽく言い方を飾ってもそれ、つまり『喧嘩とは相手の息の根を止めるまでが喧嘩です』ってことでしょ? 正直、病院送りだって一般常識的には充分アウトなのに、その理屈は現実世界では普通、通用しないすよ。つか、通用したら怖いですって、そんな人の命がディラック電子並みの重さしか無いような価値観。言っときますけど、ここはヨハネスブルクでもなければゴッサムでもないんすから、もうちょっと自重してくださいよ……」
相も変わらず物騒極まりない彼方の言動に、先ほどの失態を繰り返さぬよう、声を張らずに粛々と野蒜はツッコミを入れる。
ただ、無論、
「だけど気がついたの。考えたらこれ、私たちにとっては逆に都合が良いんじゃないかってね」
「うん、まあ……そこ無視されることはむしろ想定してたんで別にどうでもいいですが、それで都合が良いって何がです? というか、ナチュラルに『私たち』とか言って巻き込もうとすんのもやめてくださいって。私は先輩と違って法と秩序を尊び、安寧秩序を享受することに喜びを感じる人間なんすから」
「大丈夫よ野蒜ちゃん、私たちは価値観や主義主張が異なるくらいで互いを否定しあうようなつまらない人間とは違うわ。大切なのは相手の短所を挙げ連ねることじゃなく、長所に目を向けること。そのことさえ忘れずにいれば、私たちの間に垣根なんて存在しない。安心して私にすべてを委ねてちょうだいな」
「……なんか、またいいように論点というか話を逸らされたような……いえ、もう諦めたほうが楽っぽいから、後はお好きなように話を進めてください……さすがに疲れたんで……」
「分かってもらえて嬉しいわ。そういう素直なところは間違い無く貴女の美点よ野蒜ちゃん」
「はいはい、お褒めに預かり恐悦です……んで、つまるとこ先輩は何しようとしてるんすか?」
問いかけた当人にすら問いかけた事実を疑わせる、彼方の恐るべきガン無視スルー能力が発動し、自然と不自然に論点は箍流に関する事柄へシフトしていた。
ただし正確には『シフトさせられていた』と言うべきなのだろうが、どうせ言ったところで己の身の不幸が変わるでも無くなるわけでもなし、そこは至って現実的な野蒜は、さっさと諦めて彼方の話したいことを話したいように話させる。
聞き終わるまで終わらないなら、いっそ進んで聞いて、なるたけ早く開放されよう。
そういう算段であった。
のだが、
「うんとね、正しくは『何しようとしてる』んじゃなく、『もうした』んだけど、件の大見得霧って子は鉄十字に転入したよって、彼女に恨み持ってそうな連中へ手当たり次第に情報を流したの」
「……は?」
話題を早々に切り上げて解散という流れを期待していたものが一転、
「ありがたい事にさ、まー感心するほどこの子ってば色んなとこに恨まれてるみたいで、しかも私と違ってトドメ刺さない派な子じゃない? 下手に生き残った連中なんかはくだらない男のプライドとかが絡んでるから、まさしく恨み骨髄って感じでもうやる気満々なのよ」
「……」
「そうだなあ……私の目算じゃあ、遅くても一両日中にはあいつら、鉄十字にカチコミかけると見るわね。恐らく声かけた校数からして上手くいけば二百人とか三百人とか、迫力ある人数のカチコミが見れるわよ。ま、数は揃っててもどうせ烏合の衆だからそこはどうでもいいって言えばどうでもいいんだけど」
「……」
「そして、そんな混乱に乗じて私たちも鉄十字に乗り込む! 表面上は大見得霧ちゃん対ボンクラ連中の喧嘩になるから、もし私と滑ちゃんとの間で(ちょっとした話の行き違い)が発生したとしても、それは事故だから、手違いだから、巻き込まれただけだから! ていう感じで誤魔化せるだろうなって考えたわけ。ね? いいアイディアだと思うでしょ? いやー、自分でも驚くほど完璧な作戦だわ。これで責任やら怒られたりやらの心配無く暴れたいだけ暴れられる! 喧嘩が出来るよ、やったね野蒜ちゃん!!」
「……」
開放されるどころか、思いっきり巻き込まれた。
そう野蒜は受け止め瞬時、絶句して色を失った。
しかも、自分が単に喧嘩したい相手と喧嘩がしたいという理由だけで、無関係な人たちまで多数、巻き添えにしてとんでもない騒ぎを引き起こそうとしている。
いや、彼方の言葉に間違いが無ければ、すでに起こそうとしているではなく、もはや完全な現在進行形で起こってしまっている。
思ってただ、声すら出せずに口をパクつかせる血の気と表情の消えた野蒜の顔を優しげに見つめながら、それでもなお、彼方はどこをどうやっても通るはずの無い己が理論に喜色満面とし、コロコロと鳴り止まぬ鈴の音のような笑い声を木陰に響かせ続けた。