それは転校生という名の、憐れな偶発的犠牲者 (1)
「はーい、皆さんもうすぐ始業の時間ですから席に戻ってくださーい」
雑談……と軽く受け流していいのか疑問に感じる蓮春たちの会話もひとまず終わったところで、教室入口のスライドドアを開け、そう教室全体に呼びかけながら女性が一人、大きなホワイトボードを背にする教壇へと向かう。
女性の名は白旗靡。
先月、誕生日を迎えたばかりの26歳。
この2年D組を受け持つ学級担任。
言い方は悪いが伸ばすに任せただけの腰近くまである長い黒髪が特徴。
それを後頭部で束ね、ポニーテールにまとめている。
身長は156センチと平均より若干低めだが、モスグリーンのスーツにタイトスカートという服装と、落ち着いたタンジェリンカラーのオーバルタイプフレーム眼鏡が年相応の大人びた雰囲気。
立場上の問題もあって化粧っ気は無いものの、引き締まった目元と鼻筋の通った顔立ちはそれだけで充分、教師か生徒かの違いを見た目だけで判断できる。
靡の入室と号令に、続々と散り散りになっていた生徒たちは自分の席へと戻ってゆく。
整った規律によって一部の例外も無く。
さりながら、
こうした強力な統制が靡の能力からくるものかといえば残念だが、そうではない。
他クラスの事情と異なり、2年D組の絶対的統率力は担任以外の人物が無自覚な、しかも度を越した威圧をもっておこなっているのが実情である。
それが誰のことを指しているかは説明不要と思われるので省くとして、クラス内の大多数は単純な一個の思いから、不必要に目立つ行為をおこなわない。
(誰も好き好んで殺されたくない)という一念によって。
さておき、「例外無く」と言ったのは嘘でなく、滑もきちりと自分の席へと戻っていた。
褒めるようなことでもないが、滑もいくらかの社会常識には従い行動するのである。
気まぐれ程度で。
だが所詮は気まぐれ程度だという事実に変わりは無い。
そうこうする間、始業のチャイムはかまびすしく響く。
それと同時、
「えーと、ではチャイムもなりましたし、皆さんも席についたようですのでホームルームを始めますねー。ではまず、今朝は少し皆さんにお話を……」
「すみません、ちょっとよろしいですか? 先生」
全員の着席を確認し、何やら話し出そうとした靡へ、急に最前列の男子が声を上げる。
靡と異なり、黒縁のウェリントンタイプ眼鏡を中指で押し上げ、いかにも優等生然とした調子で、靡の返事も聞かず勝手に言葉を継ぐ。
「先ほどから女子の獄門坂さんが、すでに始業のチャイムは鳴ったというのに……いえ、そうではなくとも昼休みでもないのに教室内でジュースを飲んでいるのが気にかかるのですが、何故先生はこれを注意しようとなさらないのですか?」
「え、あ……それは、その……」
道理としては通っている男子の問いに、しかし靡が言い淀んでいると間も置かず、
「困るんですよね、そういう不真面目な生徒指導の姿勢は。何より他のみんなにも悪影響になりますし……あまり積極性の無い態度を見せられるようでしたら、失礼ながら教育委員会のほうに先生の指導力不足を報告しても……」
と、途中まで話したところで、
突然、何かが弾けたような乾いた銃声が轟いたかと思った次の瞬間にはもう、正義の演説を打っていた男子生徒は着席していた。
ただし、
上半身は背中から力無く曲がり、自分の机へ思い切り顔面を打ちつけながら。
弾丸を受けたと思しき後頭部は薄い煙を立ち上らせ、机の全面を鮮血が染める。
途端、先ほどまでとは打って変わり、男子生徒の声も無くなって静まり返った教室には、弾丸の発射音がわずかに残響するばかり。
しかしその沈黙もすぐに破られた。
やはりまた右手に持っていたはずのコップを左手へ移し、明らかに硝煙の燻る懐へと右手を仕舞い込みつつ、滑が口を開いたことで。
「やれやれ、仕方ないですね。他人を非難しているそばで自分が居眠りとは。まあ他人の粗捜しが得意な人ほど自分の欠点は見えづらいとも言いますし、私も大人げなく腹を立てたりはしないでおきましょう」
そう聞こえよがしな独り言を言い終わるや、超然として我関せずといった風にその興味をまたルートビアへと切り替え、ストローに吸い付く。
演説を打っていたら謎(?)の凶弾に撃たれました……と洒落て言ってみてもとても笑えない状態へ陥った男子生徒の動かない体など、視界にすら入れず。
英川備伊太郎。
それが彼の名。
17年という短い人生の幕を下ろした彼の姿に、クラスの人間の反応は三種類。
蓮春は(また殺りやがった……)と、両手で顔を覆う。
心の中でのつぶやきゆえというのもあるものの、決して(やりやがった)でなく、あくまで(殺りやがった)なのがオブラートに包まない蓮春らしさと言えよう。
そしてそれ以外の、教師の靡も含めた他の生徒たちは総じて、
(無茶しやがって……)の一言に尽きる。
気の毒には思わなくも無いが、相手が相手だと考えると備伊太郎の粗忽も擁護できない。
火薬庫でマッチに火をつけて爆死しても、あまり同情は得られないのと同じ理屈である。
ちなみに、
最後の一種類に関しては鉄道。
彼だけはこの光景をただの日常風景としか見ておらず、特に思うところも無かったのは、ひとえに彼の(細かいことは気にしない)性格によるものだろう。
多分に常識的なレベルを超えている感はあるが。
「では靡先生、話の腰を折った当人の体がグニャリと折れたところで話の続きをどうぞ」
さらにそんな鉄道をも軽く超え、もはや(自分が興味のあること以外は気にもしない)滑は、自分で引き起こした沈黙と、鉛のような空気を過去へ放り投げて靡の話を促す。
これへ靡は一瞬、戸惑いながらも従った。
話の腰が折られたこと自体は事実であったし、起きた現実を無視して(倫理的に無視してよいレベルかは別として)話を再開するには良いきっかけだと素直に思ったのである。
「は……ああ、はい……では気を取り直しまして。実は話というのはですねー……」
「ズバリ、『これから皆さんに殺し合いをしてもらいます』ですね。分かります」
「どこからそんな物騒な話が出てくるんですかっ! しませんよ、そんなことっっ!!」
「あら……じゃあバトったり、ロワイアったりは無し?」
「無しですっ! だから物騒な話ではないですってばっっ!!」
「では実は同性愛者だったことをカミングアウトとか? もしくはバイ? それとも、もっとハードな性癖? いいですね、想像するだけでワクワクさんが頭の中で小躍りしてしまいます。あ、ご心配なく。たとえ先生がオキュロフィリアだろうがステノラグニアだろうが、異常性癖持ちだからといって差別するほど私は狭量ではありませんので。ただ、お誘いはノーサンキューでお願いします。差別はしませんが、私自身はノーマルだということをお忘れなく。ちなみにオキュロフィリアは眼球……」
「怖いから説明は結構ですっ! というか、なんで私が異常性癖持ちっていう前提になってるんですかっっ!!」
質が違うだけで、結局は備伊太郎に同じく話の腰を折る……しかも執拗に折る点では悪質さで優る滑に、靡は状況が改善どころか悪化していることに気づいて頭痛がした。
知らぬ間、一番期待してはいけない相手に期待してしまっていた自分を悔やんで。
「……だけど先生、人が誰かに希望を抱くって……それってとても素敵なことだと私、思うんですよ……」
「抱く希望がアレな時点でもう、人としてどうかと思いますが……」
「いえ、私は何も特定したイベントを望んでるわけじゃありません。超エキサイティングなイベントなら種類は問わず文句は無いんです。単純に退屈しのぎが目的ですから」
「……何か、そのニュアンスも漠然と不安を感じますね……具体的な想像もしようとすれば出来そうな分、余計に怖いから言いませんけど……」
「でも、スーチャンは普段やってることがすでに超エキサイティングだから、別に用意されたイベントとかって必要無いんじゃ……」
「はーい鉄道君、本日5回目のスーチャン呼ばわりということで、アウトでーす」
言ったが早いか、話に割り込んできた鉄道へ向かい、滑はスルリと懐に潜り込ませた右手を引き抜くと、一列隔てた斜め横の席位置から自分を見て口を利く鉄道の言葉を遮り、その眉間へ再び銃弾を撃ち込んだ。
鉄鍋でも落としたような、遠慮無い破裂音とともに。
今回はすぐさま仕舞い込むこともせず、銃口から真新しい硝煙を立ち上らせる銃を晒したまま、横倒しに椅子から転げ落ちる鉄道を見遣りながら、
「……まったく、今日はどうも弾の消費が早くて困りますね。すみません靡先生、ちょっとリロードしたいので少々お待ち願えますか? いかんせん、M37は小さいし軽いしで持ち歩くには便利なんですが、装弾数が5発しかないから頻繁にリロードしないと心許無くて……」
そう話しつつ、滑は右手と右手に握られたS&W M37エア・ウェイトを引き寄せるとシリンダーを振り出し、上着のポケットへ忍ばせていた38Spc弾を空薬莢と交換に3発補充する。
その間、靡と生徒たちは繰り返された惨事に呆然と固まっていた。
が、
「滑ぃっっ!!」
戦慄による静寂に包まれたかと思われた教室へ、突然に怒号が響き渡る。
蓮春の声であった。
さしもの蓮春も、教室内で二度の発砲……しかも鉄道に対しては二度目の発砲という暴挙へ怒りを抑えきれず、自分の席から立ち上がって滑を睨み据える。
剥きだした歯も露わな口を同時に動かしながら。
「なんです蓮春君、藪から棒に。それとも寝耳に水? 豈図らんや?」
「全部意味一緒だよっ! って、スルーしないと話が進まねえな……えーと……そりゃ、今さらお前がどうこう言ったところで人の話を聞く手合いの人間じゃねえのは知ってっけど、今日はいくらなんでもやりすぎだろ! 鉄道が何をした? たかがお前が気に入ってないあだ名で呼んだだけだろがっ!!」
「うら若き乙女が釣り好きの老人みたいなあだ名で呼ばれて怒らないほうが不思議です。むしろ5回の猶予を与えてるだけ優しすぎるくらいじゃないですか?」
「あ、そういう理由だったのね……とか、それで納得できるかっ! 怒るにしても反応が過剰すぎるんだよっっ!!」
「……人には……触れてはならない痛みがあるんです……そこに触れたらもう……あとは命のやり取りしか残されては……」
「なんかどっかで聞いた言い回しだな……じゃなくてっ! それが百歩譲ってそうだったとしても、お前はとりあえず今すぐ辞書を引け! やり取りが成立してないだろ! 一方的に奪ってるだけだろがっ!!」
「蓮春君……ホームルーム中に大声で叫ぶのはあまり感心しませんよ? それと命のやり取り云々は軽いジョークです。鉄道君には単純なツッコミを入れただけ。形式的に弾こそ叩き込みましたけど、今回は(峰撃ち)ですから問題ありません。安心してください」
「は? なにその誤字にしか思えない言葉、何なの? 峰打ちの拳銃版てこと? いや、それ以前に何をもって峰撃ちって成り立つの? 『急所を外す』っていうことだったらギリ納得できるかもだけど、今度もお前、完璧に急所ブチ抜いてるよね? 綺麗にブチ抜いてるよね? どう見ても絶対撃っちゃダメなとこ撃ってるよねっっ!!」
「言ってることは分かりますよ私も。ですが論より証拠。蓮春君、ともかく鉄道君を見てもらえませんか?」
「見ろったって……そんなの見て何がどう……」
言いながら疑問を抱きつつも鉄道の席へ目を向けた蓮春は、
「……あっぶねえ、まさか日に二度も死にかけるとは……」
つぶやき、床から起き上がる鉄道の姿に、思わず絶句してしまった。
「だけど万が一の保険ってのは掛けとくもんだな。用心して胸ポケットに単三電池入れてなかったら確実に死んでたぜ……」
「や、だからテッチン……お前、今回も撃ち抜かれたの眉間だし……あ、でも生徒手帳に比べれば単三電池のほうが多少は防弾性能高いかも……って、やかましいわっっ!!」
「信じてましたよ……鉄道君、君ならきっと今度も(死んでくれない)って……」
「……ん……あれ? 気のせいかな……なんかハッチンもスーチャンも俺に対していやに当たりがきつくね?」
「蓮春君、ヘッドショット二発喰らってピンピンしてるバケモノが人権を主張してます。助けてください」
「無茶振りも大概にしろっ! それに誰かを助けられる余裕があるなら、まず俺は俺自身の胃を助けるわっっ!!」
「蓮春君ならきっと……みんなを救ってくれるって……私、信じてますから……」
「うっせーバーカッ! 限り無く、そして果てしなくバーカッッ!!」
錯乱したように激昂する蓮春。
平常運転の滑。
そして眉間の銃創から滝のように流れ出す鮮血と、何か出てきたらダメっぽい肉片をはみ出させている鉄道。
三人が話す中、置いてけぼりのクラスメイトたちは黙して事の推移を見守る。
間違っても関わり合いにならないように。
唯一、
「……あの……」
教師という立場……しかも担任ゆえ、逃げるに逃げられない己が身の不運を嘆きつも、
「できたら、そろそろ話をさせてもらいたいんですが……」
口を挟んだ靡を除いて。