それは転換点という名の、意外な真実の提示 (8)
唐突ながら、
今更ではあるものの改めて滑の、獄門坂滑という人間の生い立ちについて深く触れることとしよう。
理由はというと、ひどく身も蓋も無い理由。
この先の展開上、そろそろ説明しておかないと話の整合性が取れなくなる可能性があるからである。
くれぐれもご都合主義とか、後付設定とか、妙な勘ぐりはしないでいただきたい。
あくまでも話の整合性と順序の問題。
あくまでも話の整合性と順序の問題なのだ。
大事なことなので二度、言っておく。
さて、
そのためにはまず始めに語った蓮春視点の滑に関し、述べ直しながら補足してゆくのが分かりやすかろう。
よって、奇特にも前半の説明を詳細に覚えている方々には二度手間を掛けてしまうが、どうかその辺りは寛容に受け止めていただきたい。
それでは。
そもそも蓮春が滑と接点を持った10年前、自分の住む家の右隣に引っ越してきた獄門坂家との係わりが、すなわち滑との係わりの始まりだった。
そして同時に、
これが蓮春にとって滑に関するパーソナルな情報を得る限界点をも定めてしまった瞬間でもあった。
すでにここまでの間に語りつくした感もあるが、常にのべつ幕無し繰り出される滑のボケ(というひと言で収めるにはあまりにもバイオレンスかつアナーキーな言動・行動)に対し、生来の性格にプラス、滑への果てしなく無駄な順応によって望みもしないのに獲得したツッコミ技術を披露するため、加えて滑が基本……というよりまず絶対と言ってよいほど人の話を聞かないおかげで、実のところ蓮春は小学生時代から続く10年来の幼馴染であるにもかかわらず、はっきり言って滑の家庭事情その他の細かな情報はさほど深くは知らなかったりする。
無論、家族ぐるみの付き合いもあったため、それなりの事柄は知っているが、それとてあくまでも表面上の内容に限られた。
例えば、
滑の父親は入り婿で、ドイツ系アメリカ人であること。母親は日本人であること。
親から伝え聞いた話によると、細かな部分ははぐらかされてしまったものの、彼女の父が母のところへ婿入りしたのは、どうやら父母双方の親……正確には滑の父方、母方の祖父が取り決めた約束だったらしい。
と、この程度の情報しか蓮春は知らない。
10年も付き合っていて、たったこれだけ。
10年も付きまとわれ続けていて、たったこれだけ。なのである。
というわけで、
さっそくこの辺りから補足を加えてゆこう。
実を言ってここらに関する詳細な事実はというと、存外、蓮春の無知をそう責められないほどかなり複雑な内容だったりする。
つい先だって登場した燦輝鉄十字学園学園長の獄門坂上が滑の母方の祖父であることはすでにお話したが、そこから現在に至るまでの正確な来歴を語るには少々長い時間が必要になるため、皆様には少し長話をご辛抱願いたい。
まず、すべての発端である滑の祖父、上の戦中時代に話は始まる。
当時、第二次世界大戦の只中にあって、明治政府のころから続く職業軍人の名門、獄門坂家の長子に生まれた上は、当然のように陸軍士官学校、通称『陸士』へと入学し、卒業後まもなく尉官に任官され、同盟国であったドイツへ軍学交換研修という名目で渡ることとなった。
この、獄門坂家の家柄に関しても本項がまさしく始めての言及であり、蓮春は当然、蓮春の両親も知らない事実なのだから、どれだけ蓮春の滑に対する知識が限定的であったかは推して知るべしだろう。
まあ、ここは今わざわざ語るべき部分でもないので一旦置き、話を若き日の上へと戻す。
2か月以上にも及ぶ船旅の末、キールの軍港に降り立った若き少年将校、上の話へと。
この頃の時期になると、すでに拡大しすぎた戦線によって、どんどんと表面化しつつあった慢性的物資・人員の不足をどのようにして補うか。そのような事態にまで両国の状況は逼迫を始めていた。
そしてそうした議論は、一部ながら軍部でもかなり早い段階で日本、ドイツともにおこなわれていた。
結果論で言えばどちらも敗戦している時点で有効な手立てが見つからなかったことはお察しいただけるであろうが、今となっては大事なのは結果ではなく、何がなされていたか、である。
ちなみに、
日本は「大和魂があればなんとかなる」という、まあ……そりゃ無理だよね……といった結論だったため、これ以上の深い説明は必要ないので差し控えよう。
対し、ドイツはというと、少なくともこれよりマシ……どころか、実は結構いい線まで行っていた。
言うまでもないが、戦争というのは個人競技ではない。団体競技である。
質で量を補う考えは狭い戦線ならばいくらか通用するものの、どう足掻いても限界が知れている。
『イワン野郎は絶対に殺すマン』として有名な空の魔王、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルでさえ、局地的な勝利はもたらせても、国単位での勝利にまではさすがに手が届かなかった事実が何よりの実証だろう。
ただし、
これを少しばかり広げて考えるとなかなか悪くない解答へ辿り着ける。
質で量を補うのには限界がある。
が、限界があるだけであって決して補えないわけではない。
つまるところ、
「質の高い兵士や兵器を千単位、万単位で用意するとなるといかんせん不可能だけど、十とか百とかって単位ぐらいなら割といけるんじゃね?」という考えへと達し、ドイツが秘密裏におこなった計画。それが、
『廉価版超人量産計画』と呼ばれるものであった。
これもまたこれでなんとも身も蓋も無いネーミングだが、こういうものは中身が重要。名など二の次といった感じであろうか。
まあ当事者ではないので、多分に贔屓目な見解であることは認めるが。
と、無駄話はさておき。
この計画は当時、オカルティズムに傾倒し始めていた軍部と、ものすごく悪い意味でマッドなサイエンティストがゴロゴロしていた状況からなんの間違いか、奇跡的にもプラス方向への化学反応が起こり(サイエンティストだけに)、相当なところまで具体的研究は進められた。
秘密裏とはいえ、完璧に国家レベルのプロジェクトだったことだけは間違いない。
で、
肝心の内容はというと、
基本としてはまず国中を探し、集めてきた数名の特異な力を持った人間たち(後に『能力持ち』と総称された)を交配させ、動物の品種改良よろしく、高確率で同じような力を持った人間をそこそこの数、安定的に生み出させようとしたのである。
考え方そのものは単純そのものだったが、投入された科学技術は当時の最先端のさらに先をゆくほどのものだった。
ところが、である。
聡明なる皆様ならもう結果はお察しだとは思うが、
「都合よく今すぐヤッて、今すぐデキたとしても、生まれてから戦える歳になるまで良くても10年以上はかかるのか。とすると……あれ? これって実戦配備が可能になる前に戦争、終わっちゃわね?」という、ものすごく「それは一番最初に考えとけよ……」な問題に直面し、計画は無期限で凍結されてしまうこととなった。
こうなると、いい迷惑なのは国中から集められた『能力持ち』の方々である。
ひとまずは当人たちだけでも恐るべき戦力となり得たため、主要な戦場へそれぞれバラバラに派遣されることとなり、各々に非公式ながら凄まじい戦果を上げたものの、所詮は集中運用できない泣き所は繕い難く、最終的な敗北を覆すには至らなかった。
そのくせ、『能力持ち』だというだけで理不尽なまでに敵の矢面へ立たされ、数の暴力に蹂躙されて絶命していった彼らの無念は如何ばかりだっただろうかと思うと、なんともやるせない。
しかし、
何も戦時中だからといって暗い話しかないわけでもない。
そう、
それは出会い。
別にロマンティックなものではなかったし、華もまったくと言ってよいほど無い代物ではあったが、さりとて重要な出会い。
遠く、極東の地から訪れた、まだわずか14歳の少年少尉と、望むと望まざるとにかかわらず、生まれ持った己の不可思議な力に人生を翻弄された同じく14歳の超能力少年の出会い。
かくして、
後に長き歳月を経て、数奇な子らの物語へと続く出発点が今、紐解かれることになる。