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それは転換点という名の、意外な真実の提示 (7)

放課後から数時間。


すでに日も落ち切り、夜の帳が下りた午後十時過ぎ。


生徒たちはおろか教職員の姿さえも昼間の喧噪を思うと嘘のように掻き消えた、そんな学園内。


どこも非常灯以外に光源と呼べるようなものは無く、ただでさえ異様なほど広い施設内は人影という遮蔽物を失ってより不気味な広がりを見せ、近代的建造物特有の無機質な佇まいが、本来は真逆の感覚に位置するはずの、幻想が如き不可思議の空気をまとい、縦横に伸びる廊下や校舎中央を貫く大階段、三階建ての高い吹き抜けの空間を淡く照らし、そこかしこへ配された無数の窓からもたらされる星空の儚げな光によってもはや白日夢の様相をすら呈していた。


そこへ、


始めは遠く、静かに柔らかな闇を振動させる規則的な音が響いてくる。


灯りの消えた学園。

人々の失せた学園。


その中にあって唯一、他とは明らかに造りの趣が違う、他にも増して幅広な廊下の手前へ鎮座した豪奢な両開きの扉の部屋からは、明瞭と漂う人の気配と共に白と見紛うほどの強く漏れ出す輝きが、あえてそれ以外すべてにおいて茫々たる学園の中、明らか顕示するかのように知覚的、感覚的相異を表し、そこへと近づいてくる規則的な……今やそれが床を叩き、壁と天井へ反響する靴音であると認知できる音を、それの発生者を伴って近づいてくるのを悠然と待ち構え、そして、


ピタリと扉の前で停止した靴音の主は、やおら指を屈めた手の甲を扉に打ち付け、硬い木材と骨の打ちつけ合うノック音を鳴らすや、内部からの返事も待たずにすぐさま右の扉の取っ手を捻り上げ、一気に解き放たれた内部の強烈な照明にもまるでひるむ様子も無く、素早く自分自身で開けた扉の間から身を滑り込ませ、甲高い金属音でも聞こえそうなほど見事な不動の姿勢を取り、扉の正面、室内前方に向かって風切音を立てる右手を額へ運び、敬礼と共に一声、


「獄門坂大佐! 白旗靡、本日の定例報告に参りましたっ!!」


眩い部屋の隅々へと染み渡るほどに呼ばわった。


と、


ちょうど靡の向いた先……部屋の中央より少しく奥まった位置に鎮座した重厚な大型木製デスクを背にし、落ち着いた様子で室内奥の壁を七割方も占有する長大な窓から夜空をうかがっていた人物が、ゆったりとした動きで振り返り、直立した靡へその視線を移した。


フィールドグレーのアイリッシュリネンで仕立てられた涼しげなダブルのスーツを完璧なバランスで着込み、濃紺にケルト十字の図案がちりばめられたタイを締め、内側のシャツは柔らかく淡い水色。


軽く目算しただけで優に190近いだろう体の最上部には、一糸乱れず整えられた耳に掛かる程度の透き通る白髪。


無論、眉もまた白く、それでいて力強さを失っていないのはその顔の特徴ゆえだろうか。


相当な老齢なのは眼にも明らかなれど、無数に走るシワと同じぐらいに顔面を縦横している数多の創傷痕が、濃く血色の好い肌色と、か細くも鋭い双眸、鉤のような鼻、顎の鋭利な印象と相まって独特の凄みを醸し出している。


細面で頬のこけた顔の特徴を裏切り、スーツでひと回り程度は大きな見栄えになっていると考えても、その体躯は今なお肉置き(ししおき)も厚く頑強な形を保ち、間違い無く只者ではないという事実を明確に伝えていた。


のだが、


そうした文字通りの古兵ふるつわもの然という容姿に違和感が混じる。


声を掛けてきた靡のほうに向き直ったその老人の右手には、


何故だか口を開けたエンダーのルートビア缶がしっかりと握りしめられていたのである。


しかし、そんな一般的な疑問点はまるきりとばかり無視し、話は進む。


靡の大仰に過ぎる態度言動に、老人が答えることによって。


「白旗君……いつも言っとるだろう、学園内では学園長と呼ぶようにと。それに、わしが現役だったのはもう遥か昔の話だ。大佐も勘弁してくれ。それと楽にしなさい」


言われ、はたとしたように靡は肩幅より若干、狭く足を開くと、両手を背に回して組み、整列休めの姿勢を取りながら戸惑い気味に普段の口調で言葉を返した。


「あ、す、すみません学園長。ここしばらくの上校舎での勤務で、つい以前の癖が……」

「いや、別に怒っとるわけじゃあないんだ。とはいえ、切り替えはきっちりしてもらわんと。妙な噂が立って良いことなぞないからな。火の無いところの煙なら気にもせんのだが、いかんせん火の有る煙となると……な」

「はい……以後、気を付けます」


何か暗喩めいた老人の言外を理解したらしく、靡は神妙に頭を垂れて詫びる。


さて、


もうお分かりの諸氏も多かろうとは思うが、老婆心からの補足をさせていただこう。


実はこの老人こそ、滑たちの通う私立燦輝鉄十字学園の学園長にして、滑の母方の祖父、獄門坂上ごくもんざか のぼる


間違っても獄門坂上ごくもん さかがみではないので、読みに注意されたい。


現在、齢88歳の元・日本帝国陸軍少尉である。


あくまで大佐の呼び名は戦後、人脈を頼って世界各国へ軍事指導に出向いた際、もっぱら与えられた名誉職、もしくは敬称であり、実際の階級ではない。


だが、年齢については紛う事無き事実だと強調して述べておこう。


見た目だけではどう大きく見積もっても60手前としか思えぬほど矍鑠としているが、年齢の詐称は一切無い。


そしてもう言わずもがなとは思うが、靡はそんな上の指導を受けて鍛え上げられた人間のひとりである。


「ま、それだけに実力の確かさはわし自身がよく知っとるでな。かわいい孫娘の管理を任せたのもそういう経緯からということよ」


なるほど、そういうことでしたか。


って、


だからあんたも当たり前のように孫と揃って第四の壁を破ってくるんじゃないっての!


そういうメタなキャラはひとりだけで充分だからっ!


こっちの苦労がこれ以上増えたら、もうさすがに話の収集がつかなくなるからっ!!


今こそ、自重する時だからっっ!!


「はいはい、分かった分かった。まったく……最近はほんに常識に囚われた頭の固いのが多くてやりづらくていかん……」

「……あの、学園長? 先ほどから一体……誰と話を?」

「いや、大事無い。こっちのこと、こっちのこと。わしももう歳が歳だしな、ボケて幻覚でも見とるとでも思っといてくれ」

「え……? や、それがもし本当だとしてもまったく安心できないし、普通に怖いんですが……」


怪訝な顔をし、上を見つめる靡は思わずこぼうように本音を漏らした。


彼女自身、上のことを己が師として尊敬もしているし、これだけの実力を身に付けさせてくれたことに対する感謝もしている。


とはいえ、奇行を何事も無く見流せるほどには、彼女も物事を達観しきれてはいないのだ。


というより、ごく一般的な人間の反応をしただけ、ともいえるだろう。


などと、


少しごたついたところで、ようやく発せられた上の建設的発言により、話は動き出す。


「で、遠回りになってしまったが、滑の様子はどんな感じだね? 上校舎ではおとなしくしとるか?」

「はい、仔細も無く真面目に過ごされています。もし気になる点があるとすれば、以前に比べてさらにルートビアの消費量が増えた感はありますが、目立った変化でさえその程度ですので平和なものです」

「ふむ、あれにとってルートビアは昔から医者の薬にも勝る精神安定剤だったからな。自覚して自ら抑えようとしておるのは良い兆候と考えてよかろう」

「ですね。ただそのおかげで今や学園内は彼女の嗜好に合わせてルートビアの自販機が乱立していることが若干、気にはかかりますけど……」

「なになに、そんな孫のわがままが転じて、わしもこんな夜の夜中にルートビアを飲める。そう思えば悪いことばかりというわけでもあるまいよ」


言って、上は手にしていた缶を口元へ運ぶと、ぐっと中身を呷った。


途端、湿布っぽい独特の臭気が周囲へ漏れる。


靡の、(やっぱり、この尋常でない如何物好きは隔世遺伝か……)という、声無きつぶやきと共に。


そうして、


「……さて」


確認するまでも無く空になったのだろう缶をデスクへ置くや、


「それではそろそろ始めるとするかの……したくもない話だが、かわいい孫娘に迫っとる危機について……な」

「件の……(能力持ち)どもの襲撃に関する話ですね」

「さようさよう……まったく、面倒な話だ。これが単なる犯罪やテロなんぞなら、わしら大人が適切に対処すればそれで済むだけのことだというに……」


缶を手放し、空いた右手で顎を撫でつつ、


上は悩ましげに、忌々しげに、表情を変えながら、


「……子供のケンカに、大人が軽々しく手を出すわけにはいかんからなあ……」


ボソリとそうつぶやき、ゲップの代わりにひとつ、大きな溜め息を吐いて強く眉をひそめた。


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