表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/61

それは転換点という名の、意外な真実の提示 (6)

それから滑は、いつもながらの実に落ち着いた調子で、


「まあ、少し道理を考えれば分かることなんですけどね」


と、皮切り説明をし始めたものだが、聞き手がそれほどいつもの靡を知らない七雪と祟果だったことは単純に幸いであったと言うべきか。

そこの判断は難しい。


ただ、少なくともその場に普段の靡を知る蓮春、鉄道、箍流がいたならば、間違い無く彼らが驚きのあまり絶句するほどの内容だったことだけは自信を持って保証できる。


それほどに、滑の口から放たれた一言一句が、どれひとつとして2年D組担任となったこと……もしくは滑のいるクラスの担任になったことを客観的に見てひたすら気の毒に思われる印象の靡からは、とてもではないが想像できないものだったからに他ならない。


「靡先生は別に運悪く私の担任になったわけではないんです。むしろ靡先生でないと務まらないから、というのが理由なんですよ」

「先生でないと……務まらない?」

「そう。平生は十人並みの平凡な女教師を演じてらっしゃいますけど、実は靡先生、あの若さでイタリアのGISやドイツのGSG-9(どちらも著名な特殊部隊)へ技術指導に招かれるほどの方だったりするんです。あらゆるシチュエーションでの実戦技術に長けた、まさしく戦闘のスペシャリスト。不思議な力こそありますが、本気でやり合ったりしたら、生身とはいえ経験の圧倒的な差で私が完敗するのは目に見えていると言い切れるほどの達人。と言えば理解していただけますか?」


言い終わるや、幾度とおあずけを喰っていたストローに滑は吸い付き、念願のルートビアにありつくと、その前で話を聞いていた七雪はショックとまではいかないまでも、頭の中でのイメージと滑の説明がうまく結びつかず、微妙な顔をしながらしばし返す言葉も無くぼんやりしてしまった。


のだが、


「……つっても、さあ」


もうひとりの聞き手、祟果は話とイメージの擦り合わせなどという面倒な思考は一切省き、極めて素直な疑問を滑へとぶつけてくる。


「それだってどこまで行ってもただの人間っしょ? 先輩の能力を考えたら、生身の人間が何をどうすれば立ち向かえるのかまるで見当つかないよ。できればそこんとこ、もう少し具体的に……」

「具体的にはこんな感じですよ。ほら」

「……へ?」


質問に対し、何ら具体的でない返答をしながら自分の後ろを指差す滑の行動に、かなり間の抜けた困惑の声を上げた祟果は、そんな指の先が示す方向……己の背後へとやおら振り返る。


特に考えなど無しに。

単に指し示されたからという理由だけで。


そして、


その無心さゆえに、振り返って目の当たりにしたものに対して祟果はこれ以上無いほど純粋な反応を見せた。


知らぬ間に、

本当にまったくの知らぬ間に、


自分の後ろへ平然と立ち、俯瞰するように見下ろしている靡の姿を目に捉えて。


途端、


「え……ぅええっっ!?」


認識までの時間差を声でも表現し、祟果は危うく椅子から転げ落ちそうになったところを、そうなった原因である靡に咄嗟で支えられ、椅子の上へと助け起こされつつもその動揺した瞳を釘づけられながら、軽く抱きかかえられるように体へ回された靡の手の感触にこれが現実であるという抗い様の無い事実を混乱した頭の中で感覚的に受け止める。


先ほどまで教壇に立っていたのを確かに見ていた靡の、まるきりテレポートとしか思えないその移動の事実を。


「分かりましたか? 靡先生は本気になればこの程度の芸当なら軽くこなせる人なんです。しかも表面的な部分以上に高レベルで……と、その辺りの話はわざわざしなくてもいいでしょうから省略しておきましょう」

「……?」


横から補足のため再び口を動かしたと思ったら、出てきたのはひどく歯切れの悪い物言いだったことに反応してすぐさま視線を移し、つまらなそうな顔でストローを咥える滑を見つめながら祟果はポカンと開けた口から音も形も無いクエスチョンマークを覗かせた。


とはいえ、この省略にはしっかりとした意味がある。


自分に憑き物……というよりほぼ単純に化け物というひと言で紹介できてしまうほどの代物が張り付いている自覚の無い祟果には、細かな事情を説明するのはあまり好ましくないと滑は考えたのである。


通常、祟果の背後にいる化け物は彼女に対する意識的・無意識的な害意や敵意を読みとって自動的にそれらを抱いた対象をとりあえず殺すという、まるで過保護な殺人鬼といった感じの特性を持っているのだが、靡は長年の修練によって意識下はもとより無意識下にすら害意も殺意も持たず、相手の息の根を止める術を身に付けているため、祟果の自動防衛機能的能力も無力化されてしまう。


本来ならばこれだけ歴然としたウィークポイントは何を置いても当人に伝えたほうが良かろうが、いかんせん自分で自分の能力を理解していない祟果にこれを説明したところで無用な不信を買うだけで誰ひとり得をしないと判断したからこそ、滑はあえて深く言及するのを避けることにした。そういった事情。


「ただ、これが私や七雪などが持っているような特殊な力ではなく、あくまでも人間としてのスペックを極めていったものだということは重ねて断言します。日々のたゆまぬ努力、鍛錬、忍法、精進、謎の中国人、不思議な薬、修行、出来心、出来心、出来心、切磋琢磨を何年と続けて始めて至る境地なんですよ。もちろん才能も大きく影響しますが、どこまでも純粋に人間の力であることだけは何にせよ確かです」

「あの……滑さん? 何か今、『日々のたゆまぬ……』の後ぐらいのところから途中、あきらかにおかしいものが何個か雑ざってたような気がするんですけど……」

「そういうことですので、さしもの今の状況では私もここからの脱走は不可能。本気モードの靡先生は冗談やボケを振ってもご覧の通りにダンマリを決め込んで口もきいてくれませんしね」

「いえ、その……先生、さっきからずっと祟果さんの後ろで何か言いたそうな顔して……」

「それにしても、こうしてつい先日まで当然だった日常から離れてみると、如何に平凡な毎日が幸せであったかを痛感します。蓮春君の胃に穴を開けたり、鉄道君の眉間に穴を開けたり、箍流さんともようやく打ち解けてきたり、鉄道君の眉間に穴を開けたり、みんなでこの上校舎へ見学に来たり、鉄道君の眉間に穴を開けたり、本当は私が隔離される教室の下見が八割方の目的だったことを結局最後まで言い出せなかったり、鉄道君の眉間に穴を開けたり……」

「あ、や、ですから……あの……」

「……まったく、幸せというのは失って始めて気が付くものなんだなと今、改めて感じています……」


そうして相変わらず人の話は無視し、滑は話を結ぶ。


物憂げに宙空を見つめ、ストローを通して口の中に広がるルートビアの炭酸による刺激と湿布みたいな独特の匂いに心を預けて。


いまいち説明に納得していない祟果も、慣れないツッコミ作業の連続で地味に消耗し始めている七雪も、実は本気モードがどうのではなく、単に上校舎へ移ってまで滑への恒久的なツッコミをし続けるのが嫌で、努めて黙っているだけの靡も、そんな誰もをすべて蚊帳の外に置き、滑は話を結ぶ。


不真面目な態度の中に本心を隠し、自らもその本心から目を逸らして。

希望を持つことで失望する苦痛から逃れるように。


滑は話を結ぶ。


が、しかし、


滑は知らない。

滑ですら、知らない。


話はまだ終わってなどいないことを。


それどころかむしろ、

話はこれから始まるのだということを。


学園全体を巻き込む大事件。


良くも悪しくも今後のすべてを変えることとなる大事件。

後に人々の間で語られる、誰も予想し得なかった未曾有の大事件。


まさにそれは急転直下。

小説よりも奇なる現実。


刻々と、

刻一刻と、


それぞれの思いをよそに、

それぞれの願いをよそに、


知らぬ間、彼らのすぐそばまで(その時)は迫っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ