それは転換点という名の、意外な真実の提示 (4)
蓮春が滑の能力について知ったのは、今からちょうど二年前のこと。
季節も同じく夏ではあったが、異なる点はすでに夏休みへ突入していた点。
この頃は蓮春もまだ滑の一種、ストーキングじみた行為に対して多少の気色悪さは感じていたものの、その年に起きたとある一件以前に限れば、そこ止まり。
他とはかなり変わったガールフレンドというくらいの認識でしかなかった。
長年にわたって続く奇異な行動や付きまといに関しても、幼馴染であり、女子だという要素が補正となって蓮春の感情面はいまだプラスマイナスゼロ程度で済んでいたのである。
「それが……な」
口ごもるように言いつつ、蓮春は今さっき戻ってきたばかりのエレベーターのボタンを何とは無し、右手の指先でいじりながら喉へつかえた次の言葉を続けた。
自分と同じく滑を残して上校舎最下階、地下三階から地上へ戻ってきた箍流と鉄道に向かって。
「夏休みってこともあって、滑や俺の友達合わせて五人で近所の河川敷に花火をしにいったんだよ。打ち上げとかのデカいのじゃなく、手持ちのよくあるやつ。時期んなるとセットでそこいらに並ぶ、ああいうやつ」
「あー、俺も覚えあるわ。金も無いからそんな派手なのとか高いのとかは買えねんだけど、それなり楽しいんだよな。皆でワイワイやるのが、いかにも夏休みって感じでさ」
「そう。夏特有の湿気っぽくて生あったかい夜風に吹かれてな。土と葉っぱの匂いの中に花火の火薬が燃える匂いが混じると、途端に夏休みなんだって実感が湧くっていうか……まあ、それはいいんだけど……」
「そこでなんかあったわけね」
「察しの通りだよテッチン。始めはみんな楽しくやってたもんの……10分くらいした頃だったかな? ちょうど今の俺たちぐらいの野郎ども……高校生っぽい男、三人組が少し離れたとこでおんなじように花火を始めてさ。見た目からして明らかに不良っぽかったし、あんま係わんねえようにって俺らは大人しく遊んでたわけ。でもそう思ったすぐ後、事件……つーか、うん……事件が起きたんだわ」
そこまで話すと無意識、ボタンをいじっていた右手は丁寧に指を折りたたむや拳を作る。
その様子を不思議そうに見つめ、話の再開を待つ鉄道や、先ほどからずっとうつむいたままでひと言も口を利こうとしない箍流のことなど気にする余裕も無いといった具合で、蓮春はそうして作った拳を固く握り締め、さらに言葉を継いだ。
「わざとじゃない……ってことは無いな……その男どものうち、ひとりがいきなり持ってた連発式の打ち上げ花火をこっちへ向けやがって……分かるか? 手持ちの何連発とかいう細い打ち上げ花火……」
「あったなそういや。今でもあるかは知らねえけど、うちとこの小学校とかじゃあ人に向けて打つバカが大量発生して禁止にされちったんだよなあ。ま、歳は関係無しにどこにもバカはいるね。迷惑なこったわ」
「そう、迷惑だ。というか……俺たちの時は迷惑なんて軽い言葉じゃ済まなかったけど……で、もうほぼ想像がつくだろ? そいつの打ってきた花火のうち、一発が滑の友達だった女の子の背中に当たってさ。それ見て咄嗟に俺はその娘のとこへ大丈夫かって駆け寄ってったら、今度は俺に花火を当ててきやがったんだよ。しかも顔面に」
同時、蓮春は空いた左手で前髪を掻き上げてみせる。
露わになった額の右側、およそ右眉の上辺りにうっすらと残るケロイド状の火傷跡を晒して。
これには一瞬ながら鉄道も言葉を失ってしまったが、本題は、真に重要な部分はその先であった。
「ちょっと火花も目ん中へ入っちまって、しばらく何が起きてんだか分からなかった。ただ、その三人組が酒でも飲んでんのかってぐらい大笑いしてんのは聞こえてたよ。女の子も俺も、まるで笑えねえんだけどな。でもさ、そんな連中の態度に俺が腹を立てるより早く、もっとシャレになんないのがキレてたんだ……」
「……それって……」
ひそめた声を漏らし、鉄道は探るような目つきで蓮春を見つめ、エレベータードアの真下の床を指差す。
と、蓮春はゆっくりうなずき、
「気付いたのはしばらく続いてた笑い声が、途中に乾いた破裂音みたいなのを挟んで急に悲鳴へ変わった時さ。こっちも熱いし右目は開かねえしで戸惑ったもんの、うっすら左目だけ開けて見ちまった光景は今でも忘れらんねえ……」
「……」
「後んなって滑と俺の両親が、前々から滑の力について知ってたってことを聞かされたけど、今になって考えればそれだって随分とマイルドな説明だったな……あいつは『感情が昂ると、ついつい何かを爆竹みたいに破裂させちまう』ってさ。今だから言うけど爆竹は無えよ。俺がやっと左目を開けて状況を見た時、どうなってたと思う? 男ども三人が立ってた場所、そこだけ綺麗に切り抜いたみたいに焼野原んなってたんだぜ? で、どうしてそんな状態でもまだ生きてんのか不思議なくらい、炭みたいに全身が黒焦げになった、恐らくさっきの三人組の中の誰か……が地面へ転がってて、なんか聞き取れないけど必死に口を動かして滑に手ぇ伸ばしてんだわ。そこで、ああ……多分、『助けてくれ』だの、『医者を呼んでくれ』だの、そんな感じのこと言おうとしてんのかなって思った次の瞬間だよ。知らないうちにその黒炭みたいなののとこへ近づいてた滑が、背中しか見えなかったけど、マジでゾッとするような声でひと言、そいつを見下しながら言ったんだ」
普段からは考えられないほど真剣な面持ちで、声を失った鉄道が見つめる中、
「『念仏となえてないで、死ね』って……」
「……」
「そう言ったのと同時だ。またすげえ爆発が起きた。今度は俺もはっきりと見れた。それこそダイナマイトで吹っ飛ばしたみたいなものすげえ爆発を。その日以来だな。まるで変わっちまった。俺や滑がじゃなく、周りが。滑には全然、人が寄り付かなくなっちまって、俺くらいしかあいつと係わらなくなっちまった。んで、滑は滑で自分の力を定期的に、形式的に使うことでコントロールしようとするようになったんだ。少しでも自分の危険性を減らすためにさ。いつも模造品の銃や爆弾を持ち歩いてたのもそのせいだよ。といっても、それだってまだ充分すぎるほどあいつが危険だってことは変わりゃしない。人が離れてくのも当然。隔離されんのだって当然。そう、当然だって言われりゃ、何もかも当然なんだって、理屈じゃ分かってるんだよ。あいつが危険なのは周りも、俺も、あいつ自身も嫌ってくらいよく知ってるからな……けど、それでも……クソッ……!」
感情を押し殺して話し続けていた蓮春は刹那、
自分の中で理性がまったく力を失うような感覚を覚え、握り締めていた右の拳を、
一切の加減無く、エレベータードア前の通路の壁に叩きつける。
継ぐべき言葉も見つからず、
語るべき論理も見つからず、
ただただ、鈍く低く響いた衝突音に合わせて顔を歪め、皮のめくれた拳の痛みには気付いてすらいない様子で、
「……結局、今度も俺は……役立たずのまんまかよ……」
苦しげにつぶやき、
暗い通路に立ち尽くし、
呼吸を忘れてしまうまでの力でもって、
両の奥歯を血が滲むまで噛み締め続けた。