それは下級生という名の、歩く絶対危険心霊スポット (7)
その沈黙はどのくらいの長さ続いただろうか。
それぞれが思い思い……というほど自由意思での行動ではないものの、自らの感情や都合で口を閉ざしてしばらく。
不自然に発生したそんな静寂を破ったのは、
祟果だった。
どう見ても一度は(常識的な観点から見て)死に、
それが何故か再び(非常識ではあるものの)甦り、
何をそこまでというべきなのか、何がそんなになのか分からないが、意気揚々とポケットから取り出したポマードを見つめてひとり、納得したように何度も頷いている血みどろの男子を凝視し、
ほどなく、
「……え、えっ……? えぇええええぇぇっっ!?」
混乱しているのが聞くだけで分かる、徐々にボリュームを上げてゆくような驚愕の声。
それを息の続く限りに響かせながら、祟果は思わず椅子から立ち上がる。
自らの驚きで引き上げられたかのように。
何故ならば、
ある種、これは祟果にとって逆説的な光景であったから。
今までは自分に見えない何かを恐れたり、時としてこの男子……鉄道の如く、不可解な突然死を迎える人間ばかりを見てきた。
なのに、
現在の祟果が置かれた状況は細部こそ違えど、ほぼ真逆。
有り得ないものに翻弄される周囲を見ていた立場は反転し、自身が有り得ないと認識する眼前の出来事に翻弄されている。
いくら日常的に不可思議な事態への慣れがあるといっても、いざ受け身に回ると、人の心など脆いものだ。
それゆえ、
「な、何これっ! 何が……何が、なっ……何これっっ!?」
動揺し、言動が支離滅裂になるのも致し方ないことであったろう。
「ですから、どうもこうもありません。単に彼は死んでいなかった。それだけです」
「いやいやいやいやっ! これで死んでないって絶対おかしいですって! 床、明らかに致死量超えた血ぃ流れてますって! 確実にリッター単位で流れてますってっ!!」
「まあ、お気持ちは察しますけどね。私も何度、彼が死んでくれないことに悩んだことか……」
「先輩、論旨がズレてる! 根本的にズレてるっ! てか、死なないことを悩むとかってもう、悩みのベクトルそのものが狂ってるからっっ!!」
本来、普段であれば蓮春の役目であるツッコミ役を、祟果は特に望んでもいないのにこなしてゆく。
滑に話し掛けられてしまったという不運と、蓮春が機能不全に陥っているという不運の重なりのせいで。
とはいえ、それは祟果にとっての不運ではあったが、精神だけでなく意外と体力も消耗する滑へのツッコミを人任せにし、傍観を決め込んだ蓮春にとっては幸運であった。
ただ、祟果が無自覚に垂れ流す禍々しい瘴気と、その背後に居るとても直視不可能な名状し難い何かそんな感じのアレに係わってしまった不幸を考えれば、プラスマイナスで言うと確実にマイナスなのは皮肉だが。
「にしても見事に自爆してくれたはずが、やはり祟果さんをもってしても鉄道君の命脈は断てませんでしたか……実に残念です……」
「ん、あれ……? スーチャン、またなんか俺に辛辣? つーか、自爆って?」
自分で作った血溜まりへ立ち、頭から胸にかけて浸したように鮮血で染まった鉄道が問う。
復活してなお、まだ両方の耳からドクドク……ではなく、ドボドボと出血を続けながら。
もはや祟果がいなくとも、この光景だけで充分に恐怖スポットが成立しているのは御愛嬌(あくまで滑の基準で)といったところか。
「鉄道君、君はポマードを持っていたおかげで助かったと考えているようですが、実際は逆です。そんなものを持っていたから、祟果さんが引くほどの大出血サービスをする羽目になったんですよ」
「俺としては別にサービスのつもりで出してるわけじゃないんだけど……でも、どゆこと?」
「いいですか? 口裂け女はポマードが苦手なんです。つまり嫌いなわけです。とすれば、そんなものを持っていたら敵意を剥き出しにしているのも同じなんですよ。むしろ危害を加えられるのが当然でしょう?」
「……あー、なるへそ……」
「ちょっ、待った! なんでその話の流れで納得しちゃうんですかっ! それだとまるで私、口裂け女扱いじゃないですかっっ!!」
滑と鉄道のダブルボケによる会話へ即座、祟果のツッコミが飛ぶ。
が、当然、
「ですから、こういった場合には苦手としている物を持ってくるのでなく、違うアプローチが必要なんです」
無視。
安定したスルー能力を炸裂させ、手前勝手に話を続ける。
「というわけで、先ほど上校舎へ入る前に私が話していた『お守り』が意味を持ってくるんですよ。何故、蓮春君も箍流さんも、そして私も無事だと思います?」
言って、滑は左手を掲げた。
手にした大きなドラムバッグと一緒に。
瞬間、
タイミングでも計ったように教室内をチャイムが響き渡る。
壁に取り付けられた時計を見れば、なるほど昼休みはもう過ぎていた。
それを、
チャイムと時計の表示、双方で確認するや、滑はおもむろ、
「……ふむ、時間切れですか。せっかく遊びに来たというのに……ですが、蓮春君と箍流さんもそろそろ限界が近いでしょうし、今日のところは御挨拶だけで済ませるとしましょうかね」
「あの……先輩? もうなんか自分で言っててもよく分からなくなってきましたけど、危ない順で言ったら明らかにそっちの……鉄道でしたっけ? その人のほうがよっぽど危ないんじゃ……早く医者に連れてかなきゃって意味で……」
「そういうことですので、本日はこれにて引き上げます。次回はもっと時間繰りを考えてお伺いすることにいたしましょう」
「……うん、聞くわけないよね。人の話……」
短時間のうちに蓮春並みの諦観を身に付けてつぶやく祟果の言葉をその通り、完全に聞き流し、
「では、ひとまずお近づきの印に手土産だけ置いてゆきます。つまらないものですが、よろしければどうぞ」
有無を言わさずそう言い残すと、持ち上げていたバッグをそのまま祟果の机へと置いて即座、踵を返して滑はエレベーターに向かう。
後ろへ、頭のどこかでも撃ち抜かれたのかと疑う出血を続ける鉄道を連れて。
訪れた時も急だったが、去る時も急。
開きっ放しであったドアを抜け、二人ともエレベーターへ乗り込むと、振り返りもせずに教室を去って行った。
そうしてしばし、
騒々しすぎる余韻と床一面を濡らす多量の血を残して消えた謎の上級生たちへの疑問に頭を悩ませながらも、祟果はとりあえず滑が置いていったドラムバッグへ目を向ける。
一体、何の置き土産か。
良くも悪くも、尽きない興味へ動かされ、
「……ま、何しに来たのかも分かんない人だったし、ろくなもんじゃないのは確かかな……」
などと独りごち、バッグのサイドからゆっくりとチャックを開けた。
途端、
祟果の目が皿のように丸く見開かれる。
武骨で大きなドラムバッグ。その中身、
大量の、そう言うしかないほどに大量の、
ナイススティックの山を目にして。
瞬刻、
訳の分からない訪問者への嫌悪と、そんな訪問者が残していった多量のナイススティックへの歓喜が入り混じり、
およそこれまでの人生で始めての、とてつもなく難しい顔をした祟果は、
一瞬、溜め息の吐き方を度忘れし、空気中で溺れたように奇妙な呼吸を数回繰り返すと、混乱する思考を無理やり停止させて椅子に深く寄り掛かり、天井へ虚ろな視線を泳がせた。