それは下級生という名の、歩く絶対危険心霊スポット (6)
その日、その時、
御了院祟果は困惑していた。
16年の歳月を生きてきて、これほど困惑したのは物心がついて始めて自分が他人から謎の畏怖の視線で見られているのに気づいた時と、我が家にある食器がすべて白いお皿だけなのは、自分が消費する大量のナイススティックに付いていた応募シールで引き換えられたお皿がすでに在庫だけでも四桁に迫っている事実を知った時以来だった。
他人事ながら、もはやそれって春のパン祭りを通り越して、春のケンカ祭りだよね。
と、地の文の勝手な感想はさておき、
滑と祟果の、やり取りとしてまるで成り立っていないやり取りはなお、続いていた。
「いや……だからさ、先輩。それって目的であって理由じゃないでしょ?」
「遊びに来たかったからというだけでは理由として不充分ですか?」
「だって、そりゃ……そうでしょうよ。百歩譲ってそれを理由だと認めても、その遊びに来たくなった経緯が不明なんじゃ結局、理由の理由が不明ですもん」
「若いのに細かいことを気にするんですね。そんな調子ではどんどん老け込んでいってしまいますよ?」
「だからそれ、全然細かいことじゃないし……」
ところどころ、祟果の溜め息混じりな応答兼ツッコミが滑へ返されるが、やはりというか当然というか、受け止めるつもりが毛頭無い滑のほうはのらりくらりと微妙にずれた回答や質問返しを繰り返す。
石に針、暖簾に腕押し、糠に釘。
偶然にも綺麗な五七五になってしまった滑との状況表現が勝手に頭の中をぐるぐると回り、次第に祟果の溜め息はその大きさを増してゆく。
そんな中、
有難いことに蚊帳の外へ置かれた蓮春は、何やら妙に冷静さを取り戻して滑と祟果、ふたりのやり取りを観察・分析していた。
思うに、どうやらこの祟果という娘もツッコミ体質であるらしい。
ただ、自分とは系統が違ように蓮春は思った。
自分は比較的アクレッシブなツッコミタイプ。
祟果は比較的パッシブなツッコミタイプ。
そのように感じながら、タイプの違いだけで滑との受け答えにも随分と差異が生じるのだなと、とても落ち着いてそんなことを考えている場合ではない状況にありつつも、とっくにメーターを振り切って壊れてしまった危機感知能力のせいというべきか、おかげというべきか、蓮春はもはや悟りでも開いたような穏やかな顔をし、事の推移を見守る。
決して自分が割り込んで話に水を注してしまわないようにと気を遣っているわけではない。
純粋に、係わり合いになりたくないだけである。
「ふむ、祟果さんは形式に強く拘るタイプというわけですか。そうですね……では、まあ一応の形を持たせて分かりやすく説明しますと……かくかくしかじか、という理由です」
「なるほど……まるまるうまうま、ということですか……って、前後に何も関連性のある文脈が無いのに、説明省略されても分かんないですよっ!」
「駄目ですか?」
「……むしろその説明で大丈夫だと思うほうがおかしいですってば……」
「仕方ありません、なら正直にお話ししましょう。何と言いいますか、建前としては『なんか面白そうだから遊びに行こうかな?』という理由で。本音としては『なんか面白そうだから遊びに行こうかな?』という理由からです」
「被ってるからっ! 建前と本音の内容がまるっきり被ってるからっっ!!」
「はい、やはり初対面での心証は大切だと思いましたので、裏表の無い人間だということをアピールしてみました。どうです? 真っ正直な人だなあと感心したでしょう?」
「メッチャクチャまだるっこしい人だなあとしか感じませんでしたよっ! 今の話がほんとならっっ!!」
さしもの、これだけ執拗に顔面狙いのボールを投げつけてくるような返答の連続に祟果も声を荒げる。
が、すぐに疲れ果てたといった様子で脱力すると、急激に声のトーンを落として呆れ気味に言葉を継いだ。
「あのね、先輩……こういう言い方は卑屈だから嫌なんだけど、仮に今の話がほんとだとしても……信じられるわけないでしょ? 私んとこへ遊びに来るとか……」
この返しに、滑も空気の変化の感じたようで、それまでルートビアを話の切れ切れに補給しつつの態度を改め、おもむろ口をストローから離すと手にした紙コップごとその手を腰辺りまで下ろして姿勢を正す。
人の話を(聞く)姿勢へ。
「……信じられない、とは?」
「だってさ……そんなん言われたって信じられないよ……みんな、何か知らないけど私のこと怖がるし……」
「確かに卑屈な物言いですね。今まで貴女が味わった苦しみは本人でない私には分かりようもありませんが、そうやって物事を決めつけてかかるのは人生の幅を狭めますよ?」
「……なら」
そこで不意、雰囲気を変えて祟果は、
「先輩はどっちです? 私の近くに何かが見えます? それとも見えません?」
問うてきた。
試すように。
諦めたように。
どことなく憂いを帯びて。
恐らく、並みの感性を持った人間が彼女の問いへ答えたのならば、祟果は何も感じることなくただ、その答えを聞き流していただろう。
だが、
そうはならなかった。
「祟果さん」
何故なら、
「そうやってすねた態度をとるのも大概になさい。答えの無い質問をしていいのは、子供と哲学者だけです」
相手は並みの感性の持ち主ではなく、
滑であったから。
この答えには、思わず祟果も剥く。
しかも続けざま、
「幼稚すぎて考える必要も無い引っ掛け問題……いえ、引っ掛けにさえなっていませんね。『見える』と答えれば失望し、『見えない』と答えれば嘘だとしか思わない。初手から人を信用していないのだから、こんな質問に正解なんてあるはずがない。違いますか?」
冷淡ともとれる口調で滑は答える。
まさしく腹の底を見透かしたように言い当てられ、祟果はさらに驚愕した。
と、同時、
自分の中で(慣れた)ということにし、仕舞い込んでいた思いが、複雑な感情となって溢れ出す。
それはとてもではないが、顔へ出さずに収められるようなものではなかった。
これまで、誤魔化して誤魔化して、誤魔化し続けてきたその気持ちを如実に表し、まるきり輝きを失った瞳を滑へと向け、再び祟果は口を開く。
今にもうつむいてしまいそうな顔を上げながら。
「けど……でも、私だってきついよ……昔っから、さんざくた人に怖がられて……しかも意味の分かんないことでだよ? それに、私の周りに悪霊がいるとかいないとかは別にしても実際、やたら私の目の前で急に事故だの病気だので倒れたり、下手したらそこの人みたいに死んじゃう人だっているし……かといって、私にはそれをどうしようもないんだから、ヤなやつだなと思われるって分かってても、ガキみたいだなって分かってても、すねたりもするよ。変に期待したって結局、最後は凹むだけだもん……」
諦めているというより、常に失望することを前提にしているような、そんな悲しげな声音で祟果は思いを吐露する。
希望を捨て切れるわけでもなく、かといって期待を裏切られる経験ばかりを積み重ねてきた、そんな悲しげな声音で。
しかし、
「……いつから……」
「え……?」
開けない夜は無い。
止まない雨は無い。
変わらないものは、無い。
特に、係わってきた人間が滑であったなら。
胸の中のものをすべて吐き出した祟果へ、滑は言葉を掛ける。
その声……ほとんどささやきのような声であったため、祟果が聞き返してくるのを静かに見つめながら。
「いつから彼が死んだと錯覚していた?」
言った途端、
「うおっ、あっぶねー!」
蓮春、祟果のどちらもが滑の発言へツッコミを入れようとしたのを遮り、今の今まで床に突っ伏していた鉄道が素早く起き上がりつつ、慌てた様子の声を上げた。
「はー、やっぱ用心のためにこれ持ってきといて助かったわー。危うく三途の川を全力で泳ぎ渡っちまうとこだったぜ。バタフライで」
言いつつ、血まみれの顔を拭いもせずに立ち上がった鉄道は、ズボンのポケットから何やら取り出す。
それは直径10センチほどの平たい円筒形をした、
ポマード。
これを見て、
滑は呆れ果て、
祟果は愕然として絶句し、
箍流はそもそも見る余裕など無く、
蓮春は、
心の中へただただ純粋な(……ポマード推し?)という疑問を抱きつつ、すでに1周どころか5、6周は軽くした精神状態の影響か、
穏やかな、
安らかな、
アルカイック・スマイルを浮かべ、エレベーター奥からそのすべてを拱手傍観していた。