それは下級生という名の、歩く絶対危険心霊スポット (3)
人間というのは疑り深い生き物である。
特にそれが科学的に不確かな事象については、その目で直に見るまでは信用出来ないという向きも少なくない。
とりわけ、成人直前の若者は乱暴な振り分け方をするとほぼ二種類の思想に分岐してゆく。
現実主義者と神秘主義者。
言い方は悪いがつまり、(いい加減で現実を直視する必要性に気づいた人種)と、(いい歳になってもなお意地を張り、現実から目を背け続ける人種)であろうか。
まあ、別に神秘主義を非難しようとしているわけではない。
実際のところは結局、死んでみなければ分からないことなのだから、現実主義も神秘主義も大差は無いのだ。
ただ、どちらの思想も極端になるのはよろしくないだろう。
はっきりとした結論が出せないものに対しては基本、中立に身を置くのが正しい。
確証を得る方途の無い事柄へ勝手な結論を出すのは危険である。
天動説が大勢を占め、真実である地動説が容易に浸透しなかったのも、こうした思考の硬直が原因だったことから考えるに、何事も先入観で決めつける姿勢は人類の進化を遅延させる行為だと戒めるべき認識。
歴史は常に学ぶ機会を与えてくれるが、そこから学ぶか学ばないかは個々人の意識によるので、生半にはいかない。
まこと、真理へと通じる道は茨の道だ。
さて、
話が大きく横道に逸れたところで軌道修正。
上校舎へと侵入した滑たち四人のその後に話を戻すとしよう。
入口のドアが独りでに開錠されて現在、彼らはエレベーターへ乗り込み、目的の祟果がいる階に向かって緩やかに下っていた。
普段と変わらず平然とした様子の滑と鉄道の二人とは対照的に、わずかここまでの道程の間に何故か顔色を失っている蓮春と箍流の二人を合わせた四人で。
「にしても、何だか先ほどから蓮春君と箍流さんは随分と静かですね。借りてきた猫でももう少し元気だと思いますが」
「……いや、むしろ借りてきた猫みたいになってないお前のほうが異常だろ……」
「何故に?」
「普通……勝手にドアの鍵が開いたり、ボタンも押してないのにエレベーターが来たり、そこへ恐る恐る乗り込んだら乗り込んだでまたボタンを操作してないのにエレベーターが目的階へ向かって下り始めてんだぞ? 借りてきた猫どころか、借りてきた招き猫ぐらい大人しくなって当たり前だろよ……」
力無く、油断すると震えで歯を鳴らしそうになるのを堪えながら蓮春は滑へ答える。
蓮春の言う通り、これまでの短な道行の最中は尋常の人間ならば恐怖して当然な出来事の連続であった。
始めのドアが鍵も無しに開いた時点ではまだ単純な驚き程度の感情だったが、エレベーターへ続く廊下の照明が妙に薄暗く、しかもエレベーター前まで到着すると、ボタンへ触れてもいないのにドアが開いた辺りから雲行きがおかしくなってゆく。
四人が乗り込んだのを確認したかのようにこれまた何の操作も無しにドアが閉まり、そのまま下り出した時にはもう蓮春も箍流も動くどころか、何か話すほどの余裕も無くしていた。
滑の何気ない問いへ答えたのも、ただ自分から話題を振り、話すまでの余裕が無かっただけのことで、きっかけさえ与えてもらえれば気を紛らわせる意味でもしゃべりたくはあったのである。
何とも蓮春にとっては複雑な有難さであった。
などと思っているうちに、
「ふむ。では箍流さんも同じようなご意見ですか?」
滑は急に箍流へと話の矛先を変える。
途端、怯えたようにすくめた肩を跳ねさせ、箍流は引きつった笑いの張り付いた顔を上げ、口を開いた。
「あ……あははっは……何言ってんですか? んなわけないじゃないすか。あたしもう17ですよ? この歳になってもまだオバケや幽霊なんて怖がるとか、有り得ませんって!」
「ですよねえ。まあ聞くまでも無いこととは思っていましたが、それでもこうして口頭で確認できて安心しました」
「そ、そうですよ! 当然じゃないですか!! ま、まあ……師匠が安心してくれたのなら構いませんが……でも……何というか、ただ……」
「ただ?」
「……何でか……さっきから骨の芯でも凍りついたみたいな寒気が全身を駆け巡ってるんですけど……」
奮い立たせた勇気が品切れになったらしく、最後は弱気な本音を吐露する。
が、そんな箍流へ滑は、
「それは恐らく七雪さんの階から漏れ出した冷気のせいでしょう。冷たい空気は下へ向かいますので、こうして下りのエレベーターに乗っていれば自然、気温も下がってきますから、それが原因ですよ」
「そう……ですよ……ね……」
平静に理屈で答えた。
これには箍流も箍流で心の底では納得していないものの、無理くりに自分を誤魔化して信じ切ることにより、精神的安定を得ようとするという不思議な真理行動を取り始める。
怖いものは怖い。
その事実をうやむやにするため、箍流も必死なのだろう。
と、そこに、
「あー、そういや俺もなんか……」
「なんか?」
欠片も動揺の無い落ち着いた雰囲気のまま、何やら思いついたようで鉄道がやにわに滑へ話しかけてきた。
「なんつーか、理由は分からないんだけどエレベーターに乗って以来、後ろに誰かいるみたいな気配があるんだよなあ……しかもこれも理由は分からないんだけど、何故か振り向いて確かめたらいけない気がするんだ。理由は分からないんだけど……」
「無意識に緊張しているのでしょう。さしもの鉄道君でも強敵が間近へ迫っている事実にプレッシャーを感じているんですよ。人間らしい正常な反応です」
「そんなもんなの?」
「そんなものです」
根拠は無いが、何故か限り無く断言に近い口調で返答する滑に鉄道も反論の気も起きず、どうにもフワッとした感じではあるものの得心したらしく、それ以上の質問を止める。
その代わり、
「……えーと……」
「どうしました? 蓮春君」
もはや一分一秒の沈黙にも耐えられなくなった蓮春が声を漏らす。
「俺も実は……」
「実は?」
「人の呻き声みたいのがずっと聞こえてんだけど、まさか俺だけ聞こえてるとか……じゃないよ……な?」
「いいえ、聞こえているのは君だけです。少なくとも私には聞こえてません」
「……マジ?」
「マジです。本気と書いてマジです。語源的には真面と書いてマジと読むのが正しいですが、言葉は感じるままにやがて意味を変えますので、現代的には本気と書いてマジです」
「……」
無駄に込み入った回答であるものの、何よりその本質……何かの声が自分にだけ聞こえているということにショックを隠し切れず、蓮春はほとんど無意識に絶句してしまった。
が、しかし、
「とはいえ」
滑は言葉を継ぐ。
「そう心配しなくても大丈夫ですよ蓮春君。国道沿いに評判の良い耳鼻咽喉科があります。何でしたら知り合いのお医者様に紹介状を書いてもらいますから、近いうちに診てもらいに行きましょう」
「……え?」
「もちろん脳神経科や精神科も良いところを知っています。ので、どちらに転んでも問題はありません。安心してください」
「……え、え?」
完全に疾病と断定した答えを返しつつ、小さく響くエレベーターの停止音の中、滑は当人も自分でどんな顔をしているのか分からない乱雑な表情を浮かべる蓮春を見つめながら、すいと引き上げた右手に持った紙コップへ刺さったストローを咥えると、顔色ひとつ変えずに残り三分の一ほどのルートビアをひと息に飲み干した。