それは昼休みという名の、一般的には楽しいはずの昼食時間 (3)
「さて、ではこの辺りで本題に入りますが」
四人が四人、食事(滑の場合は食事とは呼べない代物だが)と会話(多分に物騒な)が、あらかた終わったその時、
やおら滑は、途中で横道に逸れて見失っていた本来の議題へと話を移し出した。
聞こうとする姿勢の温度差は激しかったが。
仮に箍流の姿勢を100度の熱湯と表現するなら、鉄道は35度のぬるま湯。
そして蓮春は2度。
冷蔵庫のチルド室でキンキンに冷えたヴィシソワーズみたい温度で、各々に飲食を終えて出た大量の空き容器や空き袋(そのほとんどが箍流の出したもの)を燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミと分類して整理しつつ、耳を傾ける。
「実は箍流さんがせっついてくるのも理解できるんですよ。私も、基本的には思い立ったが吉日的な考えで動いていますので。それこそ、出来ることだったら七雪さんを見物に行った翌日には、もう次の相手が待つ教室へ向かうつもりだったのですけど……」
「相変わらず言い方がひどいなお前は……七雪ちゃんは珍獣か何かの扱いか?」
「私の観点からすると、マイナス65度の教室で平気な顔して自習しているというだけでもう充分に珍獣だと思えますが、蓮春君はその事実に対して反論がお有りで?」
「……」
「お有りで?」
「……黙秘します……」
さしもの、こう言われてしまうと蓮春も擁護が出来ず、黙秘権を行使して口を閉じた。
確かに一般常識で考えれば、マイナス65度が快適な室温という時点ですでに彼女は普通でないし、珍獣というのは言い方がアレだとしても、ニュアンス自体は間違っていない。
間違っていない以上、ツッコミは成立しない。
となると蓮春としては黙るしかない。
そんな見事な三段論法が完成し、不満げな顔をしながら押し黙ってしまった蓮春に視線を向けていた滑は、もはや反撃の狼煙も上がるまいと見て取ると、切り替えて話を本筋へと戻し、語り出す。
「それで、何故に七雪さんとの出会いからこうも日にちを開けているのか、その理由に関してですが、端的に言ってしまえば次の相手が『あまりにヤバイ』からです」
普段と変わらぬ、落ち着いた調子で一言。
言ったのを聞き、始めこそ受け流しそうになった蓮春だったが、少し間を空けてその言葉を咀嚼すると、ものすごい勢いで滑を二度見してしまった。
無論、驚きから。
滑が何かしら理由があって行動を保留し、足踏みする。それ自体は別におかしくはない。
付き合いの短い人間から見れば、滑は論理的とは正反対の感覚的なものだけで動いているように見えるだろうが、実は違う。
行動原理が刹那的で些末な欲求なだけであって、決して浅慮な人間ではない。
どういった目的にせよ、達成のためなら一切の手段を選ばないマキャヴェリアンだと以前に彼女を評したが、それはつまり(目的の為ならどんな労苦も思索も厭わない)ということであり、求めるものを得るうえで必要だと判断すれば、手間を惜しまず情報を収集し、深慮も熟考もする。
だけに、
そんな滑が明確に(ヤバイ)と明言するのは、ある意味で異常すぎるほど異常と言えた。
何せ、滑でさえも(ヤバイ)と言わしめる人間など、この世に存在するとは蓮春にはどうしても思えなかったからである。
だからこそ、蓮春は疑問を抱きつつもそれを言葉にして発する余裕すらなく、呆然と滑を見つめていた。
継がれる言葉をただ、待つより仕方が無い混乱した精神状態のために。
ところが、
「師匠でもヤバイって……何すか、それ! そんなに次の相手は強いんですかっ!?」
問う余力も失っていた蓮春に代わって箍流が直球で質問を飛ばす。
ほぼ椅子から立ち上がり、滑の顔を険しい表情で覗き込んで。
蓮春にとっては有難い援護射撃。
これで滑は自然、説明を続けてくれるだろう。
だが、
そうして進められた滑の説明は、まったくもって有難くないものであった。
「ふむ……まあ、強い弱いという表現が適切であるかは少し難しいんですけど、七雪さんとは比べものにならないくらいヤバイことは確かですね。何といっても、何をどう対策したらよいのか、それすらまるで見当がつかないんですよ」
珍しく……どころか、下手をすれば今まで一度たりとも見たことがない、悩ましげな表情を浮かべ、苦い顔をしたその頬を滑は指で掻きつつ答えを続ける。
「実体が明確な相手なら、いくらでも具体的戦術は思いつくんですけど、さしもの私でも今度の相手は門外漢もいいところなので正直、どうしたらいいやらですね。私、女子なのに門外漢とはこれ如何にとか冗談を言ってる場合じゃないくらいに」
「言ってる場合じゃないって言いながら、思いっきり言ってるような……って、そんなことはともかく師匠、実体がなんちゃらって……それ、どういう意味なんです?」
蓮春のお株を奪い、ツッコミプラスアルファでさらに滑へ重ね尋ねた箍流を、滑は一瞥したと思うや、音も無く溜め息を吐いて机に肘をつき、その手へ顎を乗せると蓮春、鉄道、箍流の三人全員に向かい、唐突に質問を投げかけた。
「……皆さん、急な話を振りますが、(日本三大怨霊)というのをご存知ですか?」
自分でも前置きしたが、この滑の突然としか言えない問いかけに、当然というべきか三人は揃って頭の上に特大のクエスチョンマークを浮かべて滑を見つめる。
唯一、
口を開いた鉄道を除いて。
「あー、聞いたことあんねえ。オカルト話とかすると定番で出てくんだよな。確か、菅原道真と平将門、あと崇徳院だっけ?」
「その通り。基本的にどなたも死後、偶然に国や朝廷などで凶事が相次いだせいで祟りだ何だと騒ぎ立てられ、揚句は神として祀り上げられた方々ですね。個人的には幽霊だの怨霊だの、果ては祟り神だのなんていう胡乱な存在を信じる人たちのことは理解不能だとしか言いようがありませんが」
「へえ、スーチャンは女子だってのに、そっち系の話にはえらく冷めてんだなあ」
「相性の問題か、性格的な問題か。どちらにせよ占いやおまじない、前世や心霊現象の類なんかを話題にする人とは、まず良好な人間関係を築ける自信が無いですね。別に個人の主義主張をいたずらに否定する気はありませんけど、かといって、どこにでも必ず何人かはいる『私って霊感あるから』とか真顔で話す人を見ると、とりあえず統合失調症を患っているのか、それとも違法性の高い薬物に手を出しているのかと、ついつい疑ってかかってしまいます」
「うん、まあ……ねえ。そういうタイプの子って確かに得てしてイタイ子だからさ、あんま好き好んで関わり合いにはなりたくないなって思う気持ちは、俺にもなんとなく分かるんだけどな……」
辛辣な滑の物言いに、少しく引き気味になって鉄道は返答する。
しかし、
「とは、言えども……です」
これまた、普段では考えられない重苦しい口調で、
「根拠が無いなら私も妄言か戯言として一蹴できるんですけど、困ったことに今度の相手というのが……」
滑は言葉を継いだ。
「迷信だとか思い込みとかではなく、本気で実害のある幽霊なんですよね……」
「……は?」
ただならぬ雰囲気を漂わせながら言った話がこれだったもので、蓮春もさながら肩透かしのような感覚を覚えて素っ頓狂な声を上げてしまった。
もちろん、そこから寸刻と間を空けずに改めてツッコミの声も上げたが。
「えーと……ちょい待ち。そりゃあつまり、次に上校舎へ会いに行く相手ってのが、マジモンの幽霊だとか、そう言ってんのか? お前は」
「正確に言えば、幽霊の本体でしょうかね。一応……というか、ちゃんと生きている人間ですし、この学園の生徒であるのも間違いありません」
「……はあ?」
「うーん……どう説明すべきなんでしょうかね……本音を言うと、私もいまいち適切な表現が思いつかないんですが、それでも無理に言い表すとしたら……」
眉をひそめ、あからさまに(お前は何を言ってるんだ?)といった表情と視線を向けてくる蓮春に対し、しばらく額を押さえて考え込んでしまった滑は、
「言い表すなら……そう」
やっとで口を開くと、
「(見たら死ぬ系)の化け物……でしょうか」
そう言って、滑はまた頭を抱えるように額を押さえる。
未だ未解決な疑問へ、さらに眉をしかめる蓮春。
話を理解する気が初手から無く、ただぼんやりとする鉄道。
蓮春以上に話へついてゆけず、頭上に特大のクエスチョンマークを浮かべる箍流。
そんな、
今度対峙することとなる相手の、あまりに破滅的な危険性を伝えなくてはならないのに、どうしてもうまく伝えられない自分自身に悶々とする滑を不思議そうに見つめる三人の間へと、薄靄の如く広がる奇妙な空気だけが今後、起こるであろう不吉を示すようにして静かに淀んでいた。