それは同級生という名の、他力本願な疑似雪女 (7)
放課後。
今日も今日とて、エネルギッシュに過ぎる学園生活のため、(このうえ部活動なんぞに割けるような余力なんて、微粒子レベルでも残っちゃいねえよっっ!!)という理由からの極めて自然な流れによる帰宅部カルテット(なお、必ずしも望んでメンバー入りしているわけではない者も含む)は、校舎の陰へと沈みゆく夕日に照らされながら、他の多くの生徒たちに同じく、校門へ向かって進んでゆく。
「いやー、しっかしまさか置いてけぼりにされるとは思ってもなかったから、マジでビビッちまったよ。ほんっと、いつものことだって分かってはいても、やっぱスーチャンのイタズラは相変わらずキッツイわあ」
そう言って、表情こそ分からないが声のトーンからして恐らくは笑っているのであろう、上校舎へ向かった時より数倍量の包帯と石膏で固められたため、何割か丸く、大きくなったミシュ○ンマンこと鉄道が、ひどくヨタヨタとした足取りでどうにか全員と歩調を合わせつつ、おどけて両手を広げて見せた。
無論、並みの感覚を持った人間ならばとても笑えない自分自身の姿を客観視できずに。
「正直を言って、びっくりしたという点に関しては、間違い無く私のほうが鉄道君よりも上だったと思いますけどね。今回ばかりはかなり自信を持って(殺れた)という手応えを感じていただけに、三時限目になって教室へ戻ってこられた時には、さすがの私も一瞬、ビクッとなりましたよ」
対して、こちら。
滑はといえば、どこか呆れた口調で答えるや、露の間も空けず片手に持ったラージサイズの紙コップから、その中身であるハイアーズのルートビアを即座に咥え直したストローで無心に吸い上げている。
と、
「それより……師匠……」
そんな、どこをどう聞いても正気でない会話の内容を理解していないのか、それとも理解したうえでそれより重要だと思う話を切り出したのか、
まあ十中八九、理解できていないのだとは思うが、ともかく嫌に沈んだ声と浮かぬ顔をして、箍流は新たに話を切り出した。
「すみません……あんだけ大見得を切っといて、いざ怪人と戦おうかとなったら、それ以前に寒さで参っちゃうなんて……恥ずかしいやら、情けないやらで、あたし……」
言いながら、頭とともに伏したその目へ涙を溜め、今にも零れ落としそうにしている。
自分の実力に大きな自信を持っていた分、挫折時に跳ね返ってきた精神的ダメージが相当だったのは想像に難くない。
ただ、これは仕方が無いとも言える。
というか、単に当たり前のことが当たり前に起きただけであって、どこにも箍流が己を責める理由など無い。
何せ滑ですら傷ひとつ負わせられなかった相手である。
いくら常人のレベルを超えた身体能力を持つ箍流とはいえ、それはあくまでも一般人と比べての話。到底、次元が違う。
耐久力……というより、もはや不死属性と言ってもよい鉄道には強度という点で劣るし、単純な攻撃力でも、別に肉の力へ固執せず、基本、勝つためならば一切の手段を選ばない生粋のマキャヴェリアン(権謀術数主義者)たる滑に勝てる要素もこれまた無い。
このメンバーの中で唯一、勝てる相手がいるとすれば蓮春くらいのものだろう。
しかしそれとて今は慰めにはならない。
その唯一、フィジカルな強さで勝てる相手であった蓮春にも、箍流は背負われて窮地を脱した事実があるために。
ちなみに、
低体温症からくる意識障害はそれほど重度ではなかったらしく、上校舎を出て直行した保健室で、養護教諭の欄房から受けた適切な処置により、後遺症も、外傷らしき外傷も無く現在に至っているのは素直に幸運であった。
もっとも、
前回は蓮春の失言で騒動を起こしてしまったものの、今回は肉体的よりもむしろ精神的に弱っていた箍流が、
「もうダメだあ……おしまいだあ……」
などと不用意な泣き言を吐いてしまったため、またもや欄房を暴走させてしまい、再び意味不明なまま手錠を掛けられた欄房が校内放送で流れる(It’s a long road)をBGMに学園から連行されてゆくさまを見届ける羽目に陥ったのは、不幸中の幸いならぬ、幸い中の不幸ではあったが。
さておき、
そんな傷心の箍流を慰めるべく、手を差し伸べたのは、
やはりというべきか、滑だった。
うつむき歩く箍流の肩へ優しく手を置くと、
「気を落とす必要なんてありませんよ箍流さん。弱さや力不足は恥ではありません。大切なのは己の未熟を知り、受け入れたうえで心折れずに努力を続けること。たとえ負けてもいいんですよ。それを次に活かし、勝つための精進さえ怠らなければ」
「師……師匠……」
にこやかに微笑み、言ったそばからすぐさまストローをまた咥え直す滑を見て、(どんだけルートビアに飢えてんだ……)という思考など微塵も起こさず、額面通りに歯の浮くような台詞を受け止めた箍流の単純さは、それだけでも充分に見応えのある馬鹿馬鹿しさが漂っていたが、もちろん当人は至って真剣である。
ゆえに、三文芝居はしばらく続いた。
ゆっくりと顔を上げ、滑と視線を合わせた箍流が途端、その白々しい慈しみの笑顔を見て限界になったらしく、飛びつくように滑の胸へ抱きつくや、むせび泣きに泣き始め、少しばかり周囲の人間を驚かせたが、滑のほうはそのどちらも気にせず、そんな箍流の頭を小さな子供へでも対するような柔らかい手つきで撫でる。
当然、ストローから口を離すことは無く。
一方で、
完全にふたりの世界へ入ってしまっている滑と箍流をよそに、蓮春と鉄道は辺りがにわかに騒がしくなってきたのを冷静に見つめていた。
空から煙を上げつつ、ジグザグに飛行しながら向かってくるヘリ。
しばらくすると、校庭へ降下してきたヘリが巻き上げる風と土埃が辺りへ乱暴に舞い散らされる中、
騒然とした下校途中の生徒たちや部活動中だった生徒らに合わさった蓮春と鉄道に見つめられ、ついに、
ヘリは校庭へと着陸する。
途端、
何故か連行されたはずの欄房が、上半身裸で頭に鉢巻といった格好で操縦席から降り出てくると、乗ってきたヘリにドアガンとして取り付けられていたM60E3機関銃を取り外すや、それを携えて校舎へ向かい、ズシズシと歩く音でも聞こえてきそうな迫力を身に纏って進んでいった。
学園での生活が長いと、経験によりこの後に起こる惨状を察し、知らない他の下級生たちなどが肝をつぶしているのを落ち着いて観察したりしている自分に気づき、逆に慣れというものはこれほど人の感覚を麻痺させるものなのだなと、違った意味での恐怖を感じたりもするが、それとて一時。
結局は慣れていること自体に変わりは無く、淡々と状況の推移を見守ってしまう。
もちろん、蓮春と鉄道も多分に漏れない。
攻撃でも受けたのか、被弾したらしきヘリはいつ爆発するか分からない状態で校庭のど真ん中に放置され、濛々と煙を上げ続けているものの、平然としてその事実を受け流し、校舎に入ってゆく欄房の背中を見ながら思い思いの話を口にする。
「……今日は伊刈乃先生の第二段階まで見られるのか……どうにも今日はイベントの多い日だなテッチン……」
「ほんとだな。第二段階は俺もまだこれを足しても三回目だから、貴重っちゃあ貴重だけど、それでもあの上校舎で知り合ったナナッチよりかはインパクトに欠けるかな?」
「は……何? テッチンお前、もうあの七雪ちゃんて娘のこと、あだ名で呼ぶくらいまで親しくなったのか?」
「当たり前田の加賀百万石じゃん。ほら、置いてけぼりにされて帰り方が分かんなかったからさ。自然と会話する流れになれたんで、どうせだからお近づきになったってわけよ」
「えーと……とりあえずそこは『当たり前田のクラッカーだろっ!!』と形式的にツッコミを入れておくとして……にしても相変わらず、テッチンの逞しさには……いや、逞しさとかで片づけられるレベルはとうに超えてるけど……何にしても感心するわ……」
「甘いねえ、ハッチン。さながら上白糖にメープルシロップを足して煮詰めたものを二乗したのかってぐらいに甘いよ。いいか? 改めて言うけど、俺らってば華の男子高校生なんだぜ? 可愛い女の子たちと仲良くする! 一歩譲って、しようとする! これのほかに一体、学園ライフを豊かに送る目的と方法なんてあるのか? って話さね」
大量に巻かれた包帯の奥から、くぐもって聞こえてくる楽しげな鉄道の声を耳にしつつ、蓮春は半ば呆れ、半ばその過ぎた楽観に感心し、複雑な心情の息を吐いた。
だが、
蓮春の心は晴れない。
何しろ、見てしまったのだから。
滑が危うく、(マジギレ)しそうなったところを。
実際にキレたのではなく、キレそうになっただけでこれなのだから、蓮春が滑のマジギレをどれだけ恐れているかは推して量るべしである。
彼、蓮春ですら、今までにまだ一度しか見たことがない滑のマジギレ。
それがどれほど恐ろしいものなのかは、また後になってから語ることとしよう。
何といっても、対策の取りようが無いものを細々と考えたところでどうしようもない。
その点は蓮春も分かっている。
なればこそ、蓮春も必死に思考を逸らしていた。
出来る限り、過去の忌まわしい記憶と恐怖を薄れさせるために。
すると、
逸らした思考がふと、蓮春へ忘れていた疑問を呼び起こさせる。
もはや当然のこととして受け入れてしまっていたが、果たして今回、鉄道はどうやって復活を遂げたのかと。
致命傷を負った程度ならいざ知らず(まあこれでも充分に理解不能な事象ではあるが)、全身が凍りついたうえにスラッグショットで文字通り、粉々に粉砕された状態から、何をどうやったら生還出来るのか。
押さえられない好奇心は、言葉となって溢れ出た。
「そういや、テッチン……」
「どした?」
「気になってたんだけど……お前、今回はどうやって助かったんだ? こういうのもアレなんで言いづらかったもんの、あの状態から助かるとかって、普通に考えたら想像もできねえぞ……」
「あー、それな。うん、今回はマジ本気でヤバかったのは確かだわ。でもほら、知っての通りで俺って、すげえ運が良いだろ?」
ここまで聞いてもう、おおよそ悪い予感が固まった蓮春は、それでも話は最後までと諦めて鉄道の回答を待っていると、
「実はこの前、ちょっと足首を捻挫しちまったもんで、用心のためにいつでも張り直せるようにと思って、テーピングテープを持ち歩いてたおかげで……」
「分かった。もう分かったから、とりあえず黙ってくれ。つか、黙れ」
ほとんど想像通りの答えを聞き終わらぬうち、蓮春は冷淡に鉄道の声を遮る。
刹那、
滑の胸で泣き崩れる箍流。
鉄道ことミシュ○ンマン……じゃなくて、ミシュ○ンマンこと鉄道と隣り合いながら冷たい言葉でその口を閉じさせた蓮春。
四人が四人、それぞれの思いを巡らす中、
校舎の中から響き渡るM60E3機関銃が乱射されている音と一緒に、欄房の狂おしいまでの雄叫びが、校門を抜けようとする四人の耳にも明瞭に届いていた。