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それは同級生という名の、他力本願な疑似雪女 (4)

その時、蓮春には確かに見えていた。


一面に広がる花畑が。


頬をくすぐる春の暖かな風と、薄い雲間から照らす柔らかな日差し。

色とりどりに咲き誇る花々を行き交い、優雅に飛ぶ美しい蝶の姿。


(……なんだかとてもねむいんだ……)


と、誰に向けて言っているのか自分でも分からない思いが頭をよぎり、ふと目を閉じたくなる。


すると瞬間、


「蓮春君、もしかしてですけど今、お花畑が見えていたりなんてしていませんか? だとしたら気をしっかり持たないと。諦めたらそこで寿命終了ですよ?」

「……あ……? うおっ! あっぶねぇっっ!!」


やんわりディレイがかかって聞こえた滑の声に反応し、あと少しで絶対に持っていかれたらいけないところへ意識を持っていかれそうになっていた蓮春は、覚醒の雄叫びを上げて大きく目を見開いた。


「その様子だと、かなりギリギリだったみたいですね。何はともあれ、ひとまず良かったです」

「おっかねえ……危うく三途の川を渡る行程すっ飛ばして、まんま直行であの世に旅立つとこだった……」

「いいじゃないですか、それはそれで。三途の川の渡し賃を払わないで済むのなら、経済的には少しお得でしょう?」

「早起きは三文の得以上にどうでもいいわっ! 大体、たかが六文得するってだけであって、死ぬのに変わりないからねっ! 損得で考えたら全然相殺できてないからねっっ!!」

「ほう、自然(死)なのに相(殺)とは、絶命寸前だった割になかなか頓智の効いた洒落を言うじゃありませんか。ふむ、安心しました」

「無駄に深読みしすぎなんだよっ! 単なる偶然だわ! てか、今さっき死にかけてたやつがそんなお気楽なこと狙って言う余裕なんてあるわけ無えだろがっっ!!」


意図して……ではないのは滑の性格からしてはっきりしているものの、何はともあれ彼女の声掛けと、激しいツッコミを余儀なくさせる特殊な会話術により、蓮春が死の淵から生還し、加えてそこそこの体温を取り戻したのは確かであった。


そうなってくると、次は自分のこと以外の気になることへと頭が回り始めるのは当然の流れだと言えるだろう。


凍りついた血液が溶けるように全身を巡り出すのと同時、多少思考する程度の余力が出てきた蓮春の最初に抱いた、知らねばならないと思った事柄は、ひとまとめにまとまった三つの問い。


それゆえ、再び脳が凍結する前にと、蓮春は矢継ぎ早に滑へ質問を開始した。


「ところで滑……あのさ、ここって……」

「上校舎の下に施設された特別地下隔離校舎の地下一階、津軽七雪さん専用教室です」

「や……それはこれまでの経緯で察してるからいいんだよ……じゃなくて、ここのバカみてえな寒さって、何がどうなってんだ?」

「言ったはずでしょう? 七雪さんは極度の暑がりですよ、と」

「え……それは知って……え? 暑がりって……え?」


滑の返答に半分納得しつつも、このあまりに常識外な寒さが想定できる範疇を超えすぎていたために、追加するべき文言がはっきりとは思い浮かばず、へどもどして当惑の声だけを発する蓮春の様子に、それらの心情を賢しく見て取ると、何も聞かず回答を追加する。


無感情にすら感じるほどの落ち着いた口調で。


「この階……教室は、暑がりな七雪さんに合わせた仕様の特別製なんです。私が読んだ資料に虚偽の記載が無ければ、ここには本来、冷凍倉庫用の多段蒸気圧縮冷凍サイクル式の冷凍機が二台も設備されているらしいですからね。寒いのは当然のことですよ。それにしてもこの教室の温度、業務用冷凍倉庫なら最高クラスのF4級並みとは恐れ入りました。先ほどからマイナス65度前後で一定してます」

「マ、マイナス……65……?」


手にしたスマートフォン大の機器……小型のデジタル温度計を見つつ、具体的、なのに現実感は無いというひどく親和性の低い数字を聞き、蓮春は自分の頭の中でも滑の述べた内容に対し、納得と拒絶という矛盾だらけな思考が跳ね回り、危うくまた精神的ダメージでお花畑が見えそうになってしまった。


が、それを再び見たらさすがに今度こそ絶命は免れないと、己をどうにか鼓舞し、次なる質問へと移る。


「にしても……滑、お前よくこの寒さん中でそんな涼しい顔してられんな……」

「油断したら簡単に凍死できるくらいの寒さの中で、涼しい顔とはこれ如何に」

「……いいから早く答えろ……それこそお前が自分で言った通り、冗談なんて言って変に時間かけてたらマジ凍死すんだろが……」

「はいはい、せっかちさんですね……まあ、別に平気というほどではないですよ。ただ、事前に少々対策をしていたおかげで、どうにか堪えられている程度の話で」

「……対策?」

「ええ、実は……」


珍しく、滑が厳しいほどの顔をしてそう言葉をつなげてきたため、蓮春も多少、その回答を聞くに際して身を引き締めた。

寒さにより、嫌でも引き締まっている体を。


「前もって腰に使い捨てカイロを張り付けてきて……」

「マイナス65度の世界って普通、使い捨てカイロぐらいで耐えられるってレベルじゃないと思うんですけどもおぉぉっっ!!」


まあ、賢明な皆様なら予測されていたとは思うが、結果的にとてもまっとうではない滑の回答と対処へ、蓮春は氷点下の中心からは少しずれたところで疑問を叫ぶ。


皮肉なのは、こうしたいつもの反応が、普段なら単に過剰な負担としかならないものの、こと、この極寒の地では確実に体温を上昇・保持させてくれているという明瞭な恩恵に、怒りや苛立ちとは別に明らかな感謝を感じてしまっている複雑な自分の感情であった。


だけに、日ごろと比べ、蓮春はクール・ダウンまでの時間が短縮され(単純な寒さによる部分も大きくはあるだろうが)、結果として滑の応答後に必ず発生していた会話へ戻るまでのタイムラグを大幅に解消。


会話はスムーズに進む。

まさしく皮肉である。


そうして、


「あー……まあいい……いや、よくはねえんだけど、いちいちツッコンでるとキリ無えから話に戻るぞ。確かここにいんの、津軽……七雪さんだっけ? 暑がりの」

「はい。補足すると(ものすごい)暑がりです」

「うん……それは分かる。こんなバナナで釘が打てるような室温の教室にいるって時点で普通の暑がりとかの基準じゃないのは分かるわな。けど……」

「けど何ですか? 釘が打てるほど固くなっているのなら、そのバナナを挿入したくなる気持ちは分からないでもありませんが、私は先にお断りしておきますよ。もちろん、どちらの穴にもです。異物挿入自体は趣味として否定しませんけど、アイスキャンディや氷柱を突っ込まれて気持ち良く感じるほど、私も特異な趣味ではありませんので」

「……もうそこはツッコンだら負けだって分かってっから、ツッコマねえぞ……」


冷静に滑お得意の下ネタボケをスルーすると蓮春が、


「ともかく、その暑がりってことがどうして周りに危害を与える原因になるんだ? 別にここの寒さに関しても、ご当人のせいでなく単なる設備の問題だろ? だったら、なんでその津軽さんとやらは危険だとか……」


言いかけた途端、


「ですよね……私、何も他の人にしたりしないのに、暑がりってだけでこんなに嫌われるとか……悲しいです……」

「え……? うえっっ!?」


突然、聞き慣れない声が真横……しかもかなりの至近距離から聞こえ、吃驚の声を上げながらも何事かと横へと首をひねり、声の正体を確認しようとした。


ところが瞬時、


見定めんと移した視線の先は、何故か視界が完全に塞がれる。


大量の、


ごく大量の硝煙によって。


遅れ、蓮春は気づく。


矢継ぎ早な三発の銃声。


耳以上に、腹へ響いてくるような重い銃声。

目の前で三連続、爆弾が炸裂したが如き強烈な銃声。


次弾を装填するポンプアクションの音など、もはや聞くことすらできなかった。


なのに、不思議と排莢された空の薬莢が床へ落ち、転がる音は聞こえたものだったから奇妙な感覚であった。


恐らくは実際に聞こえたというより、感覚的にそう聞こえるはずだと感じた脳が錯覚して感じさせた音なのだろうが、問題は、


いや、大問題なのは、


露の間を空けて認識した事実。


蓮春が驚き、振り返ったのとほとんど同時、


彼が見ようとした声の主へ対し、滑が問答無用、躊躇逡巡無しにショットガンを乱射したことである。


経緯から察するに、まず間違い無くこの教室にいた第三者、

すなわち七雪に叩き込んだという信じ難い現実。


至近距離なら一発だけでも人間の体を一瞬で細切れ肉に変身させるスラッグ弾を、ご丁寧にも三発。


すると、


間髪を入れずに驚愕の体で固まった蓮春に、滑は構えていたショットガンを手放し、レザーベルトにぶら下がるのへ任せて振り向くや、何か責めるような険しい顔をして、


「なんてことをしてくれたんですか蓮春君! 君がいきなり妙な声を上げるから、つい反射的に乱射してしまったじゃないですか!!」

「そこ、責められんの俺かよっっ!?」


言ったのへ、蓮春もまた反射的にツッコミを入れる。


が、今回ばかりは、


「って、普通にツッコミ入れてる場合じゃねえっっ!!」


切り替え早く、本当に気に掛けなければいけないことへ話を即座にシフトした。


「ちょっ、マジで洒落になんねえぞ……死人出すとか……てか、殺人って……冗談で済まされる範囲、完全に超えちまってるだろ……」

「モブキャラでしたら結構日常的に天寿を強制終了させてますけどね。私もメインで動くはずのキャラの命脈を断つのは始めてですので、少し興奮してますが」

「……うん、思った以上に俺の常識感がお前のせいで毒されてたことに気が付いて、今更ながら俺も違う意味でショックだわ……」


変なところで忘れていた事実を、それも毎度、手を下しているまさに当人から聞かされ、どこか感覚が麻痺し始めている自分に恐怖すら感じつつ、蓮春は力無く答える。


だが、


「まあそう落ち込むものではありませんよ。別に蓮春君が何かしたわけでなし。それに何より……」


少しずつ晴れてゆく、周囲を漂っていた硝煙の薄れに合わせるように、


「もし、この程度でどうにかなるような相手だとしたら、私がわざわざ会いに来ようとしたりするはずがないでしょう?」


言い終えたのと同時、滑が手を伸ばして指し示した先へ、無意識に従い視線を誘導された蓮春は、


そこで自分の中で恐怖の要因がすり替わるのを感じた。


手を伸ばせば届くほどの近距離からのショットガン三連発。

重ねて全弾スラッグショット。


人間はおろか、たとえ最大級のグリズリーでも即死させるレベルの銃撃。


なのに、


それは……その人間は、立っていた。


招かれ、移された視線の先へ。


逆巻く薄煙の中に、傷ひとつ負った様子も無く。


上着も着ず、スカートすら履かず、学園規定のタイを締めた白いシャツ一枚。


ただし、そのシャツは袖も裾も以上に長く、まるでゆったりとしたワンピースのような形状をしていたが。


加えて、

その容姿もまた特異。


着ているシャツに同じく、透き通るように白い髪を背中の辺りにまで伸ばし、瞳までもが白い。


それらの印象を一言で述べるとしたら、


雪女。


それ以外には無い。

それ以外に言い様が無い。


そんな、


彼女……まず間違い無く、津軽七雪その人であろう人物は、


つい今しがた、自分へおこなわれたことなどは気にもしていないといった風で、


静かに、ただ静かに、


不気味な微笑を浮かべ、目線の合った蓮春を見つめていた。

挿絵(By みてみん)

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