それは同級生という名の、他力本願な疑似雪女 (3)
津軽七雪は寂しい少女だった。
それは主観的にも客観的にも、寸分の例外無く寂しい少女だった。
生まれつき暑がり……それも常識的なレベルを完璧に超えた暑がりであったため、物心がついてから今の今まで、一度たりとも暖を取ったという記憶が無く、同じ年頃の子に限らず自分以外の人間と、家族や親戚とですらまともに関わり合った記憶も無い。
自らのあまりにも、あまりにも特異な体質ゆえに。
だからこそ、
七雪はこの学園の存在を知った時、儚くも眩い希望に胸を焦がした。
もしかしたら、自分にもごく普通の学生生活が送れるかもしれない。
もしかしたら、自分にも親しい友人ができるかもしれない。
もしかしたら、自分にも……。
だが、
そういった期待の数々は、入学案内と共に送られてきた約款の内容に目を通した瞬間、脆くも崩れ去った。
いや、正直なところを言うなら七雪自身も、心のどこかで自分の希望がとても実現されることはないと諦めてもいたのである。
所詮、自分は他人と違いすぎる。
所詮、自分は他人と異なりすぎる。
分かっていたこと。
ただ、そうは思っていても、
期待も抱いていたのは紛う事無き事実。
失望したという事実には変わりがない。
とはいえ、
いくら失望しようと、果てには限り無く絶望に近づこうと、現実は非常なまでに変化を拒絶し続ける。
生まれた時から、ずっと変わらない。
生まれた時から、何も変わらない。
今日も一人きり。
出入り口しか無い、窓など無い、地下の異様に広く取られた教室内に。
常に一人。
一人の教室。一人の授業。
日常生活も同じ。
一人の食事。一人の入浴。一人の就寝。
他者に迷惑をかけないように。
他者に危害が及ばぬように。
そうして、この学園での生活もすでに一年以上。
学園に入学する以前の生活を差し引いても、弱りきった彼女の心を折るには、それは充分すぎる時間だった。
恐らく生涯、危険物としてどこかに隔離され続け、自分は命を終えるのだろう。
鋼鉄製の檻に閉じ込められた猛獣のように、誰かを傷つけないことだけを考えて日々を過ごし、天寿を全うするのだろう。
始めから終わりまで。
孤独に始まり、孤独に終わる。そんな人生。
厭世的な思考は染みつき、もはや感情も感覚も鈍麻してゆくばかり。
たった一人で教科書を読み、ノートに書き写す不毛な行為さえ、擦り切れた彼女の精神には多少の慰めになっている事実がより痛ましくもある。
定められたこと以外の考えを廃し、生気の無い目は印刷された文字と、自分の書いた文字とが往復するだけの時間は、惨たらしいほど緩慢に過ぎていく。
しかし、
変化しないものなどこの世には存在しない。
変化は必ず訪れる。
始まりは静かに。足音を潜めて。
空調の音に紛れ、すっと忍び寄るように。
何やら聞こえた気がしたのは確かだった。
が、そんなことがあるはずもないと、七雪はいつものように無視した。
教室の出入り口……兼・上り専用エレベーターの扉から微かに漏れる機動音を。
自分に変化など起きない。その悲しき一途の思考によって。
が、繰り返すが変化は訪れる。
それも、ひとたび始まれば加速度的に。
無視しようと、信じまいと、お構いも無くただ、真っ直ぐな事実だけが押し寄せる。
数秒が経ち、扉から鋭く轟く金属的な到着音が、錯覚だと認識するにはあまりにも明らかに教室内へ木霊した次の瞬間、
さしもの、ここに至って驚きも露わ、来るはずの無い誰かの訪れへ心臓の跳ねる思いをしながら、七雪は反射的に扉のほうへと顔を向けた。
直後、
徐々に開きだしたと見えたエレベーターの扉が、
「さあぁぁぶうぅぅいいぃぃぃーっっっ!!」
もはや悲鳴なのやら怒声なのやら分からない叫声を上げ、ゆったりこんこん開こうとしている扉を内部から強引に両手で掴み、押し込み開くや、声の主であり、今まさに扉を無理やりこじ開けた当人……箍流が、まるで爆竹のように飛び出してくると、必死の形相で無意味に広い教室の中を全速力で疾走する。
この様子を、まさかこんな事態が起きるなどとは夢にも思っていなかった(それは七雪に限ったことではないとは思うが)ことも合わせ、驚愕の体で皿のようにした目を、やみくもに辺りそこらじゅうを駆け回る全身真っ赤な姿をした不審人物に向けているところへ、
「はいはい、そのまま休まないで走る走る。そうやって動き続けていれば少なくとも凍死することはありませんよ」
「師……師匠、でも……走ってでも死にぞうに……寒いんでずげど……」
「死にそうなのと死ぬのとでは大違いです! ほら、そんな無駄口をきく余裕があるならもっと必死で走りなさい! でないと本当に死にますよ!?」
「は、はいぃっっ!!」
息も切れ切れに、しかも寒さで鼻は詰まり、口も凍えて呂律も回らなくなってきた状態で走りつつも、泣きそうな声を張り上げ、箍流は返事をする。
滑に。
その流れを見聞きし、
寸刻、動きの激しい箍流のほうへばかり注意がいっていた七雪は、はたと巡り始めた思考に誘われ、エレベーターへと視線を移した。
何故だか急に現れ、教室の中をめったやたらに走る娘へ声をかけたのは誰なのかという疑問に誘導されて。
と、視界に捉える。
扉の開いたエレベーターの中。
一人は自分と同じ、学園のブレザー姿をした少女。
髪は金色。手には散弾銃。
一人はやはり同じく学園のブレザー姿をした今にも死にそうな顔をした少年。
全身を硬直させて縮こませ、寒さで引きつった口元から16ビートで歯を鳴らし、ブルブルと震えながら血の気の一切無い顔をして目を泳がせている。
最後の一人……というか、人なのかどうかがよく分からないが、とにかく最後の何者かはどこかで見たような……そう、ミシュ○ンのマークに似た着ぐるみ風の何か。
ということは、
最後の何かも人間だと仮定すれば、全部で四人。
一度に、四人。
理由は知らない。
知ろうとも思わない。
知る必要自体が無い。
大切なのは、
人が来たこと。
自分のところへ。
目的は知らない。
知ろうとも思わない。
知る必要自体が無い。
大切なのは、
人が来たこと。
自分のところへ。
それだけで、
七雪は嬉しさのあまり、無意識のうち顔がほころんで笑顔になってゆくのを感じた。
ただし、
悲しいかな。
そんな彼女の純粋な笑顔が、
他人にとってどのように映るのかを、
他人の目にはどのように見えるのかを、
まだ彼女は知らずにいた。