それは同級生という名の、他力本願な疑似雪女 (2)
上校舎への侵入の際に関しては若干(?)の強引さはあったものの、そこから以後はかなりの間、スムーズに事は運んでいった。
もちろん、蓮春の胃に優しい展開という意味で。
始めのドアを通ってからは、ほぼ一本道の細い廊下をひたすら進んでゆくばかりで、面白味こそ無いが、同時に滑が何かをやらかす理由も無かったというのが最大の要因だろう。
そんなこんなで、
長く狭いが、間接照明のみの照らす柔らかな印象でその圧迫感を緩和する廊下を、
侵入時にドアを破壊したレミントンM870を、取り付けたレザーベルトで肩に担いだブレザー姿の金髪少女。
その後ろを濁りに濁った瞳でついてゆく同じブレザー姿の男子生徒。
さらに後ろからは、見ていて目が痛くなるような赤い髪と、同じく赤いブレザーの上着だけを着た薄緑色をしたレオタードの少女。
そして最後尾に、全身に包帯をこれでもかと巻き付け、見た目はほとんどミイラ男かミシュ○ンマンかといった謎の二足歩行物体。
事情を知らない人間が見たら(事情を知っていたとしても、かもしれないが)ノータイムで通報されるレベルの奇異な四人組は歩みを進めてゆく。
と、奥へ奥へと向かい続けてしばらく。
「皆さん、着きましたよ」
急にピタリを立ち止まり、滑が背後の三人へ向けて呼びかけた。
「ん? 着いたって……お前これ、ここまで一本道の廊下を進んでただけ……」
「ですから、こういうことです」
すぐ後ろの蓮春からの疑問の声へ、滑は言葉の代わりに事実をもって説明とする。
すいと身を横に引き、壁に背をつけると、自分の体に遮られて後ろの三人には見えていなかった光景を露わにして。
確認してしまえば簡単なこと。
長い廊下の先にただひとつ待ち構えていたのは、
エレベーター。
脇に扉の開閉用のボタンがひとつと、上に一階から三階までの階数表示だけという非常に簡素な佇まい。
するとすぐに滑はひとつきりの開閉ボタンを押すや、なめらかに横スライドして扉を開けたエレベーター内に手を差し伸べ乗り込むようにと促すと、
「さ、鉄道君。お先にどうぞ」
「え? あ……うん」
何故か鉄道を一番乗りに指名し、理由も分からず困惑気味な返事を漏らしつつ蓮春と箍流の間を抜けてエレベーターへとぎこちなく乗り込んでゆく様を確認してから、
「はい、では蓮春君と箍流さんも乗り込んでください」
言って残る二人と一緒にエレベーター内に入っていった。
そうして全員が収まったところで滑は自然に中の操作盤の位置へ陣取り、開閉と一、二、三階を示す合計五つのボタンだけが設置された操作盤を見つめ、ふと口から漏らしながら露の間、考え込むように五つのボタンを凝視する。
「……さて、予定通り鉄道君は立派に炭鉱のカナリア役が果たせると分かりましたし、早速エレベーターの操作に私は取り掛かるとしましょう」
「待て滑。今お前なんかしれっと、とんでもないこと言わなかったか?」
「いえ、特に何も? 単になんとなくエレベーターに罠でも仕掛けられていたらと考えた場合、先行するのに最もふさわしいのは鉄道君だろうなと思っただけのことです。他意はありません。それにレイルウェイ・ファーストはイギリス紳士の嗜みですし」
「……もうめんどいから羅列してツッコムぞ。いくら頑丈だからって、当たり前のようにテッチンを避雷針代わりに使うな。それとレイルウェイ・ファーストとか勝手な言葉を作んな。あとイギリス紳士なんてこの場にひとりもいねえ……」
「箍流さん、鉄道君の頑丈さは私の知る限りでも最上級のものです。簡単に到達できる域ではありませんが、いつかは君も追いつけるよう、日々精進してください」
「……は? あ、はい、師匠、精進します!」
「箍流ちゃん……防弾体質とか、対人地雷耐性とかって努力で身につけられるようなものじゃないから、真に受けないでくれ……」
「確かに、努力も大切ですけど才能や資質というのも重要ですからね。そこは私も同意します。が、今はそんなことよりエレベーターを動かすことが先決です。少し静かにしていていただけますか?」
「うん、まあ……話の途中で急に箍流ちゃんへ意味も無く話題を振った時点で俺の話ぶち切る気満々だってえのは感じてたけど、実際やられるとやっぱ腹立つな……」
質問に対するすっとぼけから、無理やり話の軸を折り曲げて別方向の話を箍流へ振り、そのうえですべてを無かったことのように話題を切り上げるという、会話のエスクトリーム二段階右折によってまだいろいろと言いたげな不満顔を隠しもせず晒している蓮春をどう考えても分かっていて無視し、滑は覗き込むように凝視していた操作盤へおもむろに手を伸ばすと、緩やかな動作に似合わぬ素早い指さばきで何故か階数指定のボタンを1、2、3の順番でテンポ良く押し、点灯させた。
と同時、
エレベーターの扉が閉まる。
独特な浮遊感をもたらす起動とともに。
「おいおい、ただでさえめんどくせえ状況なのに、ガキみてえなイタズラしてんじゃねえよ滑。ボタン全押しとか、お前は小学生……」
滑の妙な行動に、いつもの悪ふざけかと蓮春がツッコミを入れた。
が、言い切る寸前、
体に違和感。
本来は感じることを納得しているゆえに覚えるはずの無い違和感。
ただ、
ひどく単純な思い込みにより、それは違和感として脳は感知する。
てっきり上りなのだとばかり思っていたエレベーターを。
それに気づくや、そちらへ話をシフトしようとした瞬間、鉄道が自分の感想を代わりに述べ始めるのを聞いて反射的、口をつぐむ。
「ありゃ? スーチャン、このエレベーターってなんか下ってね?」
「ええ、下ってますよ。というより、下りにしたんです」
「……?」
この断片的な滑の返答に、首を固定しているコルセットへ逆らってまで無理やり首を傾げるミイラ男の様子を目にし、滑は同じように蓮春や箍流も疑問を顔へと映しているのを知るや、そっと身を捻って三人へ向かうと、壁を背にして両手を組み、準備していたような態度で詳細の説明を開始した。
「別段、大したことではありませんよ。皆さん、先ほど私が操作ボタンを妙な押し方していたのは見ていらしたでしょう? 実はこのボタン、普通に操作したのでは上校舎の地上階にしか行けないんです。私たちの目的地である隔離校舎へ下りるには少しだけ特殊な操作が必要でして、地下一階へは(1・2・3)の順で階数ボタンを押さなければならないんです。ちなみに地下二階へは(2・3・1)、地下三階へは(3・1・2)の組み合わせとなっています」
「……なんで、そんないちいちめんどくせえ仕組みに?」
「仮にも扱っているのが危険物ですからね。この程度の気遣いはむしろ軽いくらいです」
「気遣い……なのか? こういうのって……」
「何らかの手違いで入り込んでしまった誰かが被害に遭うのを未然に防ぐという意味では間違い無く気遣いですよ。と……このエレベーター、地下階へは到着までけっこう時間がかかりますので、どうせですからその時間を利用して皆さんにまだしていないこの校舎の詳細について、時間潰しを兼ねてお話しいたしましょうか」
そう言うと、滑は合間に挟み込まれた蓮春からの些細な質問など無かったことといった様子で、組んでいた腕を解き、横に並んだ操作盤のボタンを指差して改め、話を再開する。
「現在、この学園に在籍している潜在的危険があると判断された特殊性質生徒……長いので以後は(危険ちゃん)で統一しますが、人数は三人だけです。というより、設備的に三人までが限界なんです。安全に管理できる上限ラインが三人。だから地下の隔離校舎も地下三階までしかありません」
「……こんだけ大仰な施設ひとつ使い切っといて、たったの三人……だけ?」
「それだけ桁違いに危険なんですよ、一人一人が。何せ私ですらこの件の資料を読み終えた時点で、介入して遊ぶかどうか否かを本気で悩んだほどの危険度ですから」
「ん……え、え?」
付き合いの長さもあり、滑の性格も能力も人一倍理解しているつもりの蓮春が、そこから導き出されるはずの答えに沿わない滑の言葉へ一人、小さく疑問の声を漏らす。
悩む?
滑が?
誰よりも危険で、誰よりも考え無しで、誰よりもエキサイティングかどうかだけでしか物事の価値を判断しないという偏りすぎでもう倒壊したビルのような精神構造をした滑が?
などと蓮春が当惑して口ごもっている間にも、滑の口は動き続けていた。
「そういうことですので、今回はお試し版といったところです。で、その記念すべき一回目の生徒さんについてのご紹介をば」
「お、おう……」
「学年は私たちと同じ。つまり二年生。名前を津軽七雪(つがる こなゆきつぶゆきわたゆきみずゆきかたゆきざらめゆきこおりゆき)さんという女子生徒です」
「つが……こ、え? こ、こな……?」
「つがるこなゆきつぶゆきわたゆきみずゆきかたゆきざらめゆきこおりゆきさんです。ご両親が共に青森の津軽地方ご出身らしく、こういう名前を付けられたようですね。津軽には七つの雪が降るなんて歌がありますので、恐らくはその影響でしょう。ただし、もっぱら読みが長すぎるので基本、書き文字をそのまま読んだ(ななゆき)と呼ばれているらしいですけど」
「また、ひっでえ名前つけやがる親だなおい……そこまでくるともう、キラキラネームとかってレベルじゃねえぞ……」
「落語の寿限無に比べれば可愛いものですよ。それに、彼女に関しては名前の長さなんてそれこそどうでもいい話です。問題は彼女の性質……体質といったほうが正しいですが、そちらのほうです」
言って、蓮春との質疑応答を一旦中断した滑は階数ボタンへ向けていた指を手ごと引っ込め、やおら上着のポケットを探ると何やらスマートフォンのようにも見えるハンドヘルドサイズの機器を取り出すと、何か表示されているものを確認し、慎ましくうなずいて、
「七雪さんはどうも、先天的に極度の暑がりらしいんですよ。生まれが北国ですから、その辺りが関係しているのかもしれませんが、だとしても度を越して暑がりなんです」
「は? 暑がりってお前……そんなん、別に何ってことでもねえだろ? まさか暑がりだってだけでその娘、危険だから隔離されてるとかバカなこと……」
「あの……すいません、ちょっと……」
会話続行していた滑に蓮春がツッコミを入れたところへ、何故か言い終わるのも待たずに箍流が口を挟む。
何か、二人の話が終わるのを待ち切れずといった風で、どうしたものかスパッツ状のレオタードから露出する太腿を両の手でさすりつつ。
「なんか……師匠もお二人も、寒くありません? 気のせいかこのエレベーターの中、さっきからどんどん寒くなってきてる……ような?」
幾分、震え気味の声で問うてきた箍流に、蓮春も鉄道も少し気を配り、ようやく自分たちの周辺で起きている異変に気が付いた。
確かに、室温が下がっている。
それもエレベーターの空調で……という感じではない。
エアコンの利きすぎというのとも違う。
下から上ってくるような冷気。
通常、冷たい空気は下へ下がってゆくはずが、そうした常識を跳ね除けるように、何やら下ってゆくエレベーター全体を、不思議な冷気が包み込んでいるのを感じる。
すると、
「やはり服装の関係上、箍流さんが一番早く気が付かれましたか。まあ、当たり前といえば当たり前ですね。普通に考えて……」
濃さはそれぞれながら、同じ当惑の色を映した顔を自分へと向けてくる蓮春、鉄道、箍流の三人へ、滑は眺めていたスマートフォン風の機器を見えやすく手の上へ載せて差し出しながら、
「この室温にも関わらず、寒いと感じなければ逆に不自然というものですから」
機器の液晶へ映し出されたデジタル表示の温度が刻一刻、
5度、4度、3度、2度、1度……。
あたかもストップ・ウォッチが秒数を減算でもしていくように数値は見る間に減り続け、そして、
0度など単なる通過点とばかり、ついにはマイナスへと突入し、だのになおも下がり続ける温度へ視線が釘付けとなった一同の、愕然とした様子へ目を向けつつ、落ち着いた声音で答えを返した。