それは同級生という名の、他力本願な疑似雪女 (1)
私立燦輝鉄十字学園には入学時、他の高等学校とは比べものにならないほど非常に煩雑な約款に基づく入学契約を必要とする。
ただし、ご多分に漏れずその内容のほとんどは一般の生徒にとって卒業までまったく関係の無いものであるため、実際の事務処理に面倒が起こることはまず無い。
それゆえ、気に掛けられることは無い。
通常は。
ところが、
滑は知っている。
何故に知ったのか。
酔狂にも、かの極厚の約款すべてに目を通したのか。
そこの辺りは今現在、分からないし、知らねばならないということでもない。
もし知らなければいけないことなら後々、何らかの形で蓮春たちは知るだろう。
必要なものは必要であるからこそ、放っておいてもいつか向こうから流れてくる。
物事の流れ。陳腐な言い方をするなら、運命というものはそうしたものだ。
だから今は気に掛けなくていい。
よって、そろそろ話を本筋へと返すことにしよう。
「……特殊性質生徒に関する潜在的危険防止特約条項?」
「ええ、入学生徒の義務について定められた入学約款第二章、十一条一項から四項に記載されている……」
「いやいや……そういう細かくて小難しいとこは飛ばしてくれていいから、要点だけ説明してくれよ」
一時限目の授業がすでに始まって十分以上が経過した現在。
学園の中央区画北側に通る、細い特別通路の奥で蓮春は意味も無く難しげな話を長々する滑へ、必要部分だけを抜き出して説明するよう頼んでいた。
一緒に授業をバックレ……た、わけではない箍流と鉄道を共にして。
不思議に思うかもしれないが、表面上は四人とも正当な理由で授業を抜け出している。
そのカラクリとは?
前日の帰り際、滑にこめかみを撃ち抜かれた(滑としても、もはや眉間への銃撃では死なないだろうと判断しての軽いテストを兼ねた射撃個所の変更だった)鉄道の具合が芳しくないという体にし、一時限目は保健室で様子を見るため、付き添わせてほしいと靡に嘆願した。
そういった仕掛けである。
が、イレギュラーも発生した。
女子寮に戻ってから蓮春へ電話で連絡し、鉄道とも話を合わせておいてくれるよう滑は頼んでいたものの、当の鉄道がうっかり計画を忘れて普通に登校して来てしまい、危うく話は御破算になる寸前であった。
しかし、
こうした鉄道の間抜けた性格を看破し、保険をかけていた滑により、計画は若干の軌道修正だけで無事、実施された。
事前に保険の意味で鉄道の机の下へ仕掛けていたM18クレイモア地雷を滑がリモコンで起爆したおかげで、結局は保健室へと運ぶ(普通に考えれば、すでに病院に運ぶべきレベルの被害だったが、そこもまた滑の強引な話術で説得に成功した)こととなり、今に至っている。
ただこの爆破の際、指向性地雷とはいえ近距離の爆破だったことから、後ろの席にいた飯川江夫太郎が爆発の巻き添えを喰らって死亡したのは何とも痛ましい事故であった(少なくとも滑はそのように認識しているし、もうそれで済ませる気でいる)。
保健室へ行くふりをして上校舎へと向かっている最中、
「……ほんと、イヤな事件だったね……」
などと被害の当事者でありながら惨事に巻き込まれた江夫太郎を憐れむのはミイラ男かと見紛う全身包帯男と化した鉄道と、口には出さずとも心と胃を痛めている蓮春だけだという事実が何とも物悲しい。
ちなみに箍流もまたこの件を気にはしていたが、
「大丈夫ですよ箍流さん。あれも授業を抜け出すための芝居のうちです。現にほら、鉄道君は平気にしているでしょう?」
と、本来は比べてはいけない人間である鉄道を引き合いに出して話した結果、簡単に信じ込んでしまっている。
これは箍流がアホの子であることを責めるより、鉄道の非常識に過ぎる生命力を上手く材料にして言い包めた滑の賢しさを責めるべき筋合いであろう。
さて、
いい加減でそれらこれらの諸々の事情が終了し、蓮春が滑へ問いを発したところへと場面は戻り、
「簡単に言ってしまえば、学園生活を送るうえでクラスメイトを始めとする他生徒に対して当人の意思に関わらず危害を及ぼしてしまう危険性がある生徒は隔離して授業を受けさせるといった内容です」
「……は? おい、それってマジにそんな約束事があんなら、真っ先にお前が隔離されてねえのはおかしいだろ。どういうこった?」
返されてきた説明に新たな疑問を湧かせて再度問う蓮春へ、滑はその問いの中に含まれた軽い……いや、決して軽くはない厭味には反応せず、純粋に呆れたといった態度で再び回答した。
「これだけ簡略して話したというのに、人の言ったことをきちんと聞いていませんね蓮春君。いいですか? 私はこう言ったはずです。『当人の意思に関わらず』と」
「え……え?」
「つまり、私のように『よし、やろう』と思って何かするのではなく、あくまでも本人の自覚無しに周囲が被害を被る危険性のある生徒に限り……ということですよ」
「ん、な……ことってあんのか? 本人に害意が無いのに周りが迷惑とかって……」
「まあ想像が難しいのは分かります。何せ説明は出来るんですけど、いかんせん話だけではピンとこないだろうことが分かりきっているだけに、そんな徒労をわざわざするのも面倒くさい……と、いうことで」
「……いうことで?」
「百聞は一見に如かず。ごちゃごちゃした説明は省いて、さっさと実物を見に行くとしましょう。なんだかんだで結局それが一番、手っ取り早いですし」
そう滑が言った途端、
隣で退屈そうに二人の話を聞いていた箍流が、急に溌剌とした態度へ豹変し、開いた左手に右拳を打ちつけ、吼える。
「さっすが師匠! そうそう、やっぱ偉者は悪人に対しては変にまだるっこしい手を使うより正面突破! 王道だよなっ!!」
「おや、箍流さんも随分と古い言い回しを知っているんですね。とはいえ、褒めてくださるのは素直に嬉しいですけど、まだ見ぬ相手を初手から悪人と決めてかかるのはいただけませんよ?」
「あ、そうか……何事も決めつけんのは良くない……けど、じゃあ師匠……これから会う相手って……?」
やんわり窘められ、テンションの上がった矢先の出鼻をくじかれてはしまったものの、問答を続けてくる箍流へ向かい、滑は少し考える素振りを見せると寸刻、得心したように小さくうなずいて、
「そうですね……悪人かどうかは会ってみなければ分かりませんが、今の時点であえて呼ぶとすれば……怪人……とでも呼ぶのが適切ですかね」
「……怪人!!」
静かに答えたが、もはや箍流はとにもかくにも(怪人)という言葉の響き自体へ完全に魅了されてしまい、今にもその場で飛び跳ね出すのではと思うほどの、キラキラを通り越してギラギラした目を輝かせ、滑を見つめてくる。
だが滑はいつもの調子でそうしたささやかな干渉には一切、気もかけずに通路の奥を指差して一人、話し出した。
「さて、と。とりあえず話は済んだことですし、早く上校舎へ向かうとしましょう。いくら付添いの名目でも、長く時間を空けすぎると怪しまれますから」
その指差した奥。
細い通路の突き当りに目立たず、ひっそりと有る壁に埋没したドアへ視線を当てながら。
「もしかしたら皆さん、肩透かしされたような感じを受けるかもしれませんが、あの普通にあるドアが我々の知らない上校舎への入り口……別に意図して隠そうというようなわけでもなく、単に奥まっていて気づかない。用が無いから来ることもない。わざわざ教えられるでもない。そういったシンプルな理由で今の今まで、知らなかっただけの場所……つまりはそれだけのことなんですよ」
「なるほどな……約款云々も含めて、隠してるんじゃなく、ただ俺ら普通の生徒にゃ関係無えから知らなかったってだけ……っつうことか」
「んで、ついに怪人どものアジトを探り当てることに成功したあたしたちの活躍でこの学園に平和が戻るって流れだねっ!?」
「タガリンってば、ほっんと血の気が多いやねえ……でも悪いけど、俺そーゆうドンパチって苦手だからさ、今回は応援だけで許してちょ?」
「心配ご無用! どんだけ怪人がウヨウヨ出てこようが、あたしだけで全っ然、ラックショーよおっ!!」
「そりゃまた……頼もしいこってす……」
鉄道ですら軽く引いてしまうほど、見る間にどんどんアップテンポになってゆく箍流が浮き気味の四人の会話が進む中、滑は一人、目的のドアへと近づき、まじまじとその全体を探り見ながら背後へ向け、静かに語る。
「……ひとつ、先に言っておきますが、今日はその怪人さんとは昨日の間に調べをきちんと済ませられた一人……一人だけにしか会う予定はありません。勝負は水物……そして箍流さん、そうした勝負の時にあって最も恐ろしい敵は、己自身の力への過信だということを肝に銘じておいてください」
「あ……う、すみません師匠……」
すっかり滑に飼い慣らされてしまったのか、たった一言でスイッチでも切ったようにおとなしくなる箍流に、思わず蓮春は柄にも無くクスリと笑い声を漏らした。
自分でも(キャラじゃねえなあ……)と、心の中で自嘲しつつ。
そして、
そんな自嘲で落ち着いたことで、ふと蓮春は教室を出てこの通路まで来る最中、ずっと抱いていた疑問を滑へ問おうと口を動かす。
何故か手ぶらの蓮春、鉄道、箍流と異なり、何やら大振りな三脚ケースらしきものを肩へ掛けている滑の、まさしくそれについて聞こうと。
だが、
「なあ、気になったんだけど滑、その……」
「スーチャン、そういやそのドアって普通に入れるわけ? 鍵とかは?」
わずか早く発せられた鉄道の質問に、蓮春の問いは掻き消されてしまった。
これへ滑はやおら背後に首を回すと、
「もちろん鍵はかかってますよ。一応、隠してはいないだけで特別な施設なのは間違いありませんので」
「ありゃあ……じゃあダメじゃん。どうすんの?」
言われ、さらに次いで質問した鉄道に滑は件のケースを肩から下ろし、横のジッパーを開きつつまた答える。
開けたケースの口へと右手を滑りこませる滑の動きに、何やら嫌な予感を覚える蓮春を尻目に。
「その点は問題ありません。私、マスターキーを持ってきてますので」
「なんだ、ちゃんと用意してんじゃん。心配して損し……」
転瞬、
鉄道が言い切るよりも早く、蓮春の悪い予感は見事に的中した。
滑がケースの中身を取り出したのと同時、無造作に空となったケースを床へと落とすのへ目がいっている間に、
ガチャリと固いものが擦れ合う音が聞こえた瞬刻、
爆音。
それもほぼ間を置かずに二度。
瞬く間のデジャヴ。
まるで毎朝の目覚めと同じ。
咄嗟、もはや条件反射で体をちぢこめた蓮春へ目掛け、砂利のようなコンクリート片と、粉塵と煙の混じった強風が、投げつけられたように腕で庇った頭部を除く、体の側面に圧力を伴ってぶつかってくる。
瞬間、普通の人間ならひるんで硬直しそうな状況にありつつも、望んでもいないのに慣れてしまった体に複雑な感謝をしながら、爆音の発生した方向……分かりきっている……滑の立っていたドアの付近へと、耳鳴りで多少の機能不全を起こしている平衡感覚に鞭を打ち、体ごと視線を素早く向けた。
そこで見たのは、
未だ漂う薄煙の中、
蝶番を破壊されて斜めに倒れ込んだドアの前で、構えたショットガンをゆっくりと下ろしている滑の姿だった。
容赦の無い轟音につい、いつも自分がされているドア爆破と勘違いしていたが、実際は大口径の射撃音でしたという、まあどちらにしろ良かったことにはならない現実に、蓮春の口元が引きつる。
で、当然そんなことには気づきもせず、滑は傾いたドアを踏みつけ、開いた道の先へと入り込み、
「さあ、早く行きますよ皆さん。騒音に気づいて誰か来られても面倒ですから」
呼びかけたのへ、
「滑いぃっっ!!」
先ほどのショットガンが吐き出した炸裂音にも負けない怒号を上げ、蓮春は唖然として固まっている箍流や鉄道とは対照的なアグレッシブさで滑に詰め寄ってゆく。
「何だ! 何なんだっ!? なんで今さっき鍵持ってるっつったのに、ショットガンぶっ放す必要があんだよっ!? 大体、騒音で誰か来たら困るってんなら、その開け方ってまず何より先に選択肢から外さなきゃダメだろが普通はっっ!!」
至極まっとうな文句をがなり立て、早足に滑のもとへ向かう蓮春だったが、当の滑はそんな蓮春を見て気にしないどころか、まるで意味が分からないといった風で目を丸くし、小首を傾げ、
「……え? だってこれ、ちゃんとスラッグショットを装填したマスターキー……」
不思議そうに言った。
すると、
それを聞いた蓮春は須臾、自分の意識がどこかへ消し飛んだかと思うようなショックを心身共に色濃く滲ませるや、その場で膝を突きそうになる己が両足をなんとか踏ん張り、
「いや……そうだけどぉっ! そっち系の用語的には間違ってないけどぉっっ!!」
間違ってはいない。
嘘も言っていない。
その確たる事実に、激昂することも憤然とすることもままならず、ただただ、ぶつける場所の無い忿怒の感情を、声のボリュームに変えて喚く出すよりほか、どうすることもできなかった。
注釈・軍や警察などでは、事件や作戦任務において屋内への突入時、さらには室内戦闘などで鍵のかかったドアを素早く開けるため、錠前や蝶番を破壊して(ドアそのものに穴を開けて破壊するのはドアの種類や材質などによっては不可能なうえ、不必要に時間がかかってしまうため)侵入する際、スラッグショットと呼ばれる、散弾ではない単発弾が用いられます。
これは理屈的には発射直後に限って大口径ライフルと同程度の威力があり(理論上は運動エネルギーだけならほぼ対戦車ライフルに匹敵する)、こうしたことからスラッグショットを装填したショットガンを指して「ドア・ブリーチャー」、もしくは「マスターキー」と呼ばれています。