それは幕間劇という名の、幼馴染同士の会話
保健室で起きた諸々の事柄もなんとか無事(?)に済ませ、授業も終えた蓮春は、今日も今日とて学業とはまるで関係の無い事情によって心身ともに疲弊し、一刻も早く休みたいという衝動に駆られて、寮へと戻る足取りを急がせていた。
何故だか大量の印刷されたコピー用紙を抱え、隣へ寄り添うようについてくる滑を伴いながら。
余談だが、
当然、男子寮に帰る都合上、鉄道も二人と一緒になって帰ろうとしたものの、それは実現していない。
理由は細かく話すのも面倒なので、
単に校門前で滑の銃から残弾がまた一発、失われたとだけ述べておこう。
余談ついでの余談をするなら、
「今日は転校初日なだけあって、いろいろと疲れたでしょうし、早く寮に帰って体を休めてください。明日からは嫌でも忙しくなりますので」
との滑の薦めを箍流が素直に受け、早々に女子寮へと戻ってくれたおかげで、蓮春の胃へのダメージが微小とはいえ軽減されたこと。
これは今日一日の中でも数少ない、紛れも無き小さな幸運だったと言えよう。
さて、
閑話休題して話を現在に戻そう。
「それにしても今日は今朝がた予想していた通り、希望に満ち溢れた素晴らしい一日でしたね。まさかここまで収穫の多い一日になるとは」
「……収穫ってのは何か? 仕留めた獲物の数か? だったらお前の言ってる意味も分からんでもないが……」
「違いますよ。そんな些細なことで私が喜ぶわけないでしょう? 収穫というのは何と言ってもあの箍流さんという転校生です。あの娘は上手く扱えば、この先かなり長く楽しめるはずですからね」
「人を三人も射殺しといて些細なことかよ……というか、なんでお前さっきから俺についてきてんだ? 女子寮は東側だから真逆だろが」
「心配いりません。鉄道君はどのみちあのくらいで死にはしないはずですし、あと二人についても、その他大勢に含まれる人間は何人死のうとノーカウントというのが創作における残酷な真実です。その証拠に、子供の気分次第で人がコロコロ死ぬ作品なんてそこらに掃いて捨てるほどあるでしょう? 今、これを読んでいる方々も多分にそういった作品は観賞されていると思いますから、慣れてらっしゃると思いますよ? 深く考えると怖い話ですけど」
「当たり前のように第四の壁、破ってんじゃねえっつうの……」
「壁は常に破るためにある……と、無駄話はさておき、ちょっとこれを見てください」
言って、滑は手中の紙の束から一枚を抜き出すと、蓮春の視界を遮るように差し出す。
それをさも邪魔くさそうに手で払おうとした時、ふとその紙にクリップで留められた写真が目に入り、蓮春は払いのけんとした手を止めてしばし、差し出された紙に記載された内容へと興味を移した。
添付された写真。
見間違うことは無い。
どう見てもそれは箍流。大見得霧箍流。
現時点で置かれた立場と、当人の頭が揃ってカワイソウな転校生。
「彼女、大見得霧箍流の転入手続きに際して提出された書類のうちの一枚です。なかなか興味深い内容ですよ?」
「おまっ……! なんでそんなもん、お前が持ってんだっっ!?」
「存外、蓮春君も無自覚に麻痺してきてますよね。そこをツッコムならまず私が何故、銃や爆発物を当たり前のように所持しているかをツッコムのが順序だと思いますが?」
「あー……いや、そこはもうツッコミ始めるとキリが無いって学んだから……」
「で、問題なのはここです。彼女の本校への転入動機」
「聞けやぁっ! 人の話は最後までぇっっ!!」
他のことはいざ知らず、この(話を振っておいて放置)のパターンにはいまだに慣れない蓮春が怒号を上げる中、滑はそちらに一瞥もくれず、見せた書類の一部を指差して話を続ける。
「直に面接を担当した先生方にも確認してみましたが、ここに記載された内容は誓って本物です。その証拠にこの記述を再確認するため彼女へ質問したところ、一言一句と違わず転入動機は『校名が悪の組織っぽいので、とりあえず悪人がいたら懲らしめるため』と答えたそうです」
「……は?」
瞬間、蓮春の挙動が混乱する。
滑の顔と、差し出された書類……の、示された記述個所の内容。
交互に双方を何度も見直し、最後はただただ(信じられない)といった表情を浮かべて。
「ちょ、ちょっと待てよ……じゃあまさかあの娘、たったそんだけの理由でここに転校してきたってのか?」
「他の情報も合わせ見れば、そういった答えになりますね」
「ウソだろ……とても正気の沙汰じゃねえぞ? そんなほとんど思い込みだけの、フワッとした理由で転校とか……」
「さりとて、その正気の沙汰じゃない考えと行動が彼女の本質なんですよ。ほら、これが大見得霧箍流の過去の素行記録です」
言って、滑はまだ困惑する蓮春へさらにもう一枚の書類を取り出して見せた。
そこへ書かれた内容に、困惑の度をなお増す蓮春の表情を確かめながら。
「……え、と……以前在校していた高校では、入学から一年未満で自校の不良生徒38人を病院送り……さらに、近隣の他校不良グループとトラブル多発……結果として地元不良グループ4つを解散に追い込み、その構成員、156人は現在も入院治療中……?」
「はい。しかもすべて多対一のシチュエーションで。最高記録は非公式ですが41人の武装した不良生徒を相手に素手で戦ったという話もあります」
「マジかよ……」
「簡易精神鑑定でも指摘されたらしいですが、どうも彼女は俗に言う英雄症候群というもののようですね。ただし、一般的な英雄症候群の人間は九割方が理想として目指す行動が、自身の能力とは釣り合わない……すなわち、自己顕示欲に曇って冷静に判断できなくなった根拠の無い自信による凡才の暴走であるのに対し、箍流さんは自分の理想を成し遂げるための身体能力をかなり高レベルで持ち合わせています。この点は単なるイタイ子とは一線を画す優位性であり、私が大いに興味を持った最大の理由なわけです。まあ頭がかなり残念ではありますけど、そこは優秀なブレーンが近くにいれば済むだけのこと。『ナントカとハサミは使いよう』とも言いますし、私にとっては何の不便もありません」
「それって……お前もう完全にあの娘で遊ぶ気満々じゃねえかよ……」
「言い回しに悪意を感じますね。正しくは(あの娘で遊ぶ)ではなく(あの娘と遊ぶ)です。日本語表現は正確にお願いしますよ蓮春君」
「言ってろ!」
いつものことというのもあり、さほど本気でもない一喝を滑へ吐きつつも、説明を聞いた蓮春は自然、箍流に対して抱いていた細かな疑問が氷解したせいか、寸刻の間を置いて小さく鼻を唸らせ、これまでの大まかな流れに一定の納得をする。
が、すべてというわけではない。
そう、疑問のすべてというわけでは。
思って、蓮春の視線はまるで誘導されるように滑の手元へ残された大量の書類に向かう。
ポツリと、その残された疑問をつぶやきながら。
「ん……にしても、あの娘のことだけでそんなに書類なんてあったのか? たかが生徒一人分の個人情報にしちゃあ、えらく量が……」
「ああ、違います違います。こちらの書類はまた別の個人資料です」
「……え?」
「だって、遊ぶからには遊び相手が必要でしょう? その遊び相手に関する資料ということですよ」
唐突に湧いて出てきた話(無論、それは蓮春にとってであって、滑にとってはこれもまた込みになった話でしかなかったのだが)に、新たな疑問が生まれたものの、はて、それについては何をどう問えばよいのかと、わずかに思考の速度が追いつかなくなり、蓮春は視線を宙へ泳がせ、短く沈黙を作る。
刹那、
不意を突いて滑は蓮春の耳元へ口を近づけると、急に妙な話をし始めた。
「……蓮春君。突然ですけど、この学園の施設構造……もう一年以上も通っていますが、完全に把握してますか?」
いきなり耳元から声がしてきたのへ驚き、ひたと横を振り返った蓮春は、思っていた以上に接近していた滑の顔に、危うく互いの唇が触れあいそうになって焦りを露わにしたが、そんなことには関心すら持たず、滑は話を続ける。
「一年生の時は下校舎……二年生の今は右校舎……三年生になれば左校舎……中央区画には校長室、職員室、保健室、体育室に屋内プール、購買部や食堂等々……」
「そ……んなこたあ……言われなくったって知って……」
「なら、上校舎は?」
へどもどと答えようとした蓮春の言葉を断ち切り、滑が問う。
この質問に対し蓮春は、
一瞬、唖然としてしまった。
言われればおかしな話。
蓮春は滑の言った通り、すでに一年以上もこの学園に通っているにも関わらず、その特徴的な外観を誇る十字型の校舎の全体を、まだ回りきっていなかったのである。
何か学業に関わらない別目的の施設ならともかく、上校舎は名前の通り(学び舎)として存在しており、学園内の案内ボードでも確認できるが、複数の教室があることだけは確かなのだ。
しかし、ではその教室は何のために存在するのか?
何らかの事態で通常の教室が使えなくなったり、教室数が足りなくなった際の予備施設?
常識的に考えればそういった目的の場所というのが最も自然ではある。
だがそれでも不自然さは残る。
そういう非常時の使用を目的としているとしても、施設の説明程度は普通ならされるはずであるし、見学程度もするのが普通だろう。
なのに、一切見たことが無い。見た記憶が無い。
上校舎に限っては内部どころか入口さえも。
そうして、
奇妙な思考の停滞に、軽い混乱をきたしそうな蓮春は、
不意に聞こえた微かな破裂音に似た音で意識を引き戻された。
見ると、滑が資料を抱えた片腕をそのままに知らぬ間、上着のポケットから取り出した炭酸飲料のものらしきアルミ缶のステイオンタブを片手の指だけで器用に開けた際の音だったことに気づく。
途端、密着しそうなほど接近した蓮春との顔の距離を引きもせず、滑は開けたばかりのアルミ缶の飲み口をすする。
瞬時、その場へ漂う独特のハーブ臭が蓮春の鼻を突き、アルミ缶の中身がやはりルートビアであろうことを認識させた。
「……面白いものです。深く考えていない人間のほうが、むしろ本質に近い予測に至る場合もあるというのは……本当に面白いですよ。悪の組織っぽい……なんて、ね。それがまた当たらずとも遠からじだから、なおさらに……面白いです……」
日の落ちた道を照らす外路灯の光に薄ら笑いを浮かばせ、そう滑は楽しそうに言うと、中身の残ったルートビアの缶を無防備な蓮春の手へ押し当てて無理に握らせるや、すいと身を翻し、後戻りする形で女子寮へと歩み始める。
男子寮に帰ろうと向かってくる男子たちが、当たり前の如く怯えた様子で道の両端へと逃げるように寄り、滑との距離を取る様へ目もくれずに。
「それでは蓮春君、今日よりもさらに楽しくなること請け合いの、夢に溢れる明日にまたお会いいたしましょう」
「や、ちょっ、ちょい待てっ! そんで結局、上校舎って何なんだよ! 尻切れトンボで話を終わらせて帰るとか、何がしてえんだお前はっ!!」
「サプライズはイベントを盛り上げるための基本スパイスですよ? ともあれ、明日をお楽しみに。あくまでも興奮しすぎて寝不足になったりはしない程度に……ですけど」
「お前のサプライズはサプライズというよりテリブルな場合が大半だから、興奮じゃなくって不安で寝れなくなるんだっつうのっっ!!」
おあずけを喰らわされた形で置いて行かれる蓮春の文句を背に受けながらも、滑はそこまで以上は何も答えずにただ、空いた片手を頭上で広げ、左右へと振る。
徐々に互いの距離が開き、その背も夕闇に消えゆく中で、
「……それに、俺……」
蓮春の、
「ルートビア……飲めねえの知ってんだろうに……どうしろってんだよこれ……」
力無く、溜め息のように吐き捨てた言葉が、
誰にも聞こえることなく、空しく宙を舞う。
そんな黄昏の道を、ゆっくりと進みつつ。