1章
イルミネーションにより多くの人々が虫のように光に引き寄せられている。
ただ電球が付いた木だというのになぜこんなに人は惹かれるのだろう。
久しぶりに見る景色だ。最後に訪れたのは8年程前前だっただろうか、ここは彼女と僕が二人で初めて来た公園だ。僕はベンチに座り空や花を一眼カメラで撮影している彼女をただ見つめていた。
僕はこの時間がずっと続いてくれればそれで良かったのだ。
彼女は笑っていた。それはとても暖かく僕の全てが許されたような、そんな笑顔をしている。
彼女は写真を撮りながら僕に語りかける「ねえ、ずっと一緒にいようね…」
「……」
僕はその彼女の問いに対して答えることができなかった。僕は声をだす手段を忘れてしまったのだろうか、なぜか声がでない。
「来年も一緒にこようね」
「……」
彼女は笑っていた。彼女はそんな僕を気にせずに笑顔のまま僕を見ていた。
彼女と会えたのはいつぶりだろう、久しぶりに会えた彼女は僕からまた少し遠くなっているように感じた。
……いや遠くなっている、彼女は僕から遠くなる、景色がだんだんと暗くなる、彼女だけしか見えなくなり、だんだんと彼女の顔も声も彼女の全てがはっきりしなくなっていった。
2019年10月27日(日曜日)
外の雨音と腕の痺れにより夢の中から目が覚めた僕は条件反射のように布団の上に充電されている携帯電話の時刻の確認を行う、時間は午前7時をすぎた頃であった。
どうやら業務の作業中に寝てしまったようだ、椅子に座っている僕の袖口はよだれにより少し湿っている。眠ってしまったということは依頼されていた仕事の納品日まで残りわずかという嬉しくない事実を感じさせてくれた。
「いい夢なんだか悪い夢なんだか…」僕は独り言をつぶやき、惰性で片手にもっていた携帯電話の着信とメールの確認を行う。ここ数年友人からの連絡は皆無である。理由としては僕が友人からの連絡に対して反応をしなかったからであろう。1年もすると僕の携帯電話はほとんど必要のないものとなってしまった。
何も変わり映えのしない履歴を見たあとに意味もなく友人のツイートなどを見て現状をなんとなくではあるが確認をする。この数年ツイートを見てわかったことは、結婚した友人も少なくはないということと、みなそれなりに楽しんでいるということだ。
気づけばみんな立派な大人になっていく、そんな僕は多少の収入があるとはいえ世間一般的には引きこもりの部類であろう。
僕は痺れてしまった腕を伸ばし、デスクトップに目を向ける。そこには30年毎日一緒にいる顔が無表情で僕を見つめていた。
灰皿の中に散乱している中でまだ吸えそうなタバコを口にくわえ、ライターで火をつけ、一呼吸を置いた。「ずっと一緒…か」
8年程前だろうかあの日から僕はタバコを吸い始めた。禁煙もしたりはしてみたが結局は吸ってしまいそのまま今に至る。もしあの子がこの姿を見ればきっとタバコは体によくないなどと言い僕に対し怒るのであろう。
座って眠ってしまっていたせいで疲れもあまりとれていなかったが、依頼を受けた期日の事を考えると布団の中でもう一眠りするという欲求は抑えなければならず、けだるげに僕は制作途中の作業を始めた。
しばらく作業をしていると猫がお腹をすかせたのか、なーごなーごと僕に要求をよこしてくる。
現在、唯一の友達は黒猫の「よもぎ」と茶トラの「かなで」話し相手もこの2匹だ。
僕は電話が嫌いなため、社会的には声がでない耳が聞こえないという設定にしている。そのためほとんどしゃべるという活動はしない。
一時期は声の出し方を忘れてしまうほどでコンビニの店員に大きな声で大丈夫ですと言ったのは悪い思い出でだ。それ以来しばらくそのコンビニは行けなかった。
僕は重たい体で立ち上がり、タンスの中に置いてあるキャットフードをとり2匹分の量を2枚の皿に均等に分けた。
よもぎとかなでの目の前にそれを置いて僕はまたパソコンの前に座り作業をする。
大まかではあるがこれが僕の5年間の朝の流れだ、きっとこれからも変わることはないだろう。
たまにではあるが僕は何をしているのだろうと思わずにはいられないときがある。
あの日に戻れるなら僕はなんでもやるはずだ、だがそんな夢物語叶うわけもなくあまり考えないようにしている。ただそれでも…どうしても考えずにはいられない。
僕はもしあの日に戻れるなら僕はまず何をするべきかなどと真剣に考えながら、キーボードをたたきつづける。
そんな日の昼にインターフォンの音が珍しく鳴り響いた。
僕は居留守を使おうと思ったが、「狭山さーん」と大きな声がしばらくしていたためしかたなく玄関へ向いドアを開けた。
ドアを開けると目の前にいはスーツ姿でいかにもエリートのような雰囲気をかもしだしている長身の男が2人僕を見下ろしている。その瞬間居留守を使えばよかったと後悔をした。
二人とも身長が180は超えているようで、威圧感がある。
「……あの、どちらさまでしょうか?」警戒をしながら聞いてみると。
「お忙しいところ申し訳ありません、私は群馬県警の志村といいます。」「私は加藤といいます」と紳士的に加藤と名乗る長身男が答えた。
「狭山蒼生さんでよろしいでしょうか?」
予想の遥か上をいった来客である。
「そうですけど……あの、何かあったんですか?」
警察にお世話になるようなことに対して心あたりがなさすぎて思わず聞いてしまった。心あたりのない人間はだいたい聞きそうなことである。
志村と名乗る身長の男は大きな瞳のやせ形の男だ。彼は表情を変えずにしゃべりだした。
「伊田芽麻友さんはご存知ですよね?そしてその事件のことも」
「…事件?」
男は僕の反応に少し驚いた様子をしている「半年前にあった伊田芽麻友さんの行方不明事件ですよ。ご存じないのですか?」
「……え?伊田芽行方不明なんですか?伊田芽はどこに?
いつどこで行方不明になったんですか?」
僕は思わずとり見出し、目の前にいた志村につめよった。
「半年前ニュースで大きく取り上げられてましたよ、ニュースは見ないのですか?」隣にいる細い目の天然パーマであろう加藤という高身長の男が呆れながらしゃべりかける。
僕は少しむっとしたが、今そんなことはどうでもいいことであった。
「……テレビがないのでニュースはほとんど見ません。それで伊田芽は?」
「そうですか……伊田芽麻友さんはまだ見つかっていません。現在捜査中です」
志村さんが機械的にしゃべる。その事実に僕は呆然として目の前から景色が霞んでいった。
「………………」
「狭山さん、狭山さん聞いてますか?」
気づくと志村さんが少し心配そうに僕を見ている。隣の加藤はどうでもよさそうだ。
僕はできる限り頭を回転させる。
「えっと……詳しく聞かせてほしいので、…もしよければ入ってください」
普段の僕からは考えられないような言葉であったが、ただ少しでも今は情報が知りたかった。
「私達も少しお伺いしたいことがあるので、少しおじゃまさせていただきます」
僕は志村さんと加藤を自宅に招き入れ折り畳み式のちゃぶ台を部屋の真ん中に置いた。そのあと僕は台所へと向かいお湯を沸かしほこりのかぶったコップをだしインスタントコーヒーを作った。
インスタントコーヒーを2人にだすと志村さんはコーヒーを一口のみ周りをみ私ながら世間話しを始める。
「パソコンが多いですね、3台以上はあるみたいですが……」
「仕事で使うんですよ、まあほとんど1台ですましちゃうんですけどね」
僕は愛想笑いを浮かべながら、椅子に座った。このような相手に気を使わなければいけない会話が必要なのが大人というものなのだろうが、僕自身とてもそれが苦痛で世の中の営業系の仕事の人はある意味尊敬している。僕は要件だけすませたい人間だがこれでも一時期は営業をやっていたのだから自分でも驚きだ。もちろん営業成績は悪かった。
「それで伊田芽の件なんですけど、犯人とかはまだ?」
「現在捜査中なので、詳しいことは申し訳ないがお答えできないんですよね。おい加藤」
加藤はバックの中から資料を取り出しそれを僕に渡してくれた。内容は大雑把ではあったがこのように書かれていた。
伊田芽麻友さん行方不明事件
2019年4月6日群馬県桐生市の伊田芽麻友さん(当時29歳)は、
午後5時に友人との食事に出かけた伊田芽さんは
食事が終わったあと友人の車に乗せてもらい自宅に帰る予定であったが、
友人の証言によると伊田芽さんは食べ過ぎたため徒歩で歩いて帰ることにした。
この場所から伊田芽さんの家までの距離は2キロ以上離れていて、歩くには少し不自然な距離であったことから当初はこの友人が疑われたが、一人で帰る目撃証言と監視カメラの映像により疑いは晴れた。
そこから伊田芽さんの足取りは途絶えている(伊田芽さんの家周辺は田んぼ道で人通りがとても少ないために捜査は難航を極めている)
家族にもPM10時には遅くとも帰るということは伝えてあり深夜になっても帰ってこないことに対し心配した母親が警察に連絡して捜索願いがだされた。
10日間で延べ50人あまりで付近一帯を捜索するも伊田芽さんは見つからなかった
見つかったものは伊田芽さんのものであろうストラップが落ちていて
後日調べたところ伊田芽さんの彼氏がプレゼントしたものであることがわかった。
伊田芽さんの自宅までの道は何もない田んぼ道で、人通りもまったくなかったため
有力な目撃情報などはまったくないまま捜査は10日後に中断された。
現在も伊田芽さんの家族が捜索活動を行っている。
「………………」
「現在提供できる情報はこれだけです。それでお伺いしたいことなんですが
狭山さん5月7日にあなたは何をされてましたか?」
志村さんは感情なく聞いてくる。
「……それは僕を疑っているということですか?」
「いえただの捜査の一環ですから、ご気分を害されたなら謝ります」志村さんは軽く頭を下げたが、あまり申し訳なさそうには見えなかった。
「いえ、大丈夫です。5月7日はここにいましたよ、この5年間この家から1日もいなかったことはありませんでしたし。もしいなかったとしてもコンビニに行く程度だったので15分くらいしか外出はしません。ちょっとパソコンでその日なにしてたか調べてみますね」
「いえ大丈夫です6月7日にコンビニであなたの目撃情報がありましたので」
ぶっきらぼうに手持ちの資料を見ながら加藤がしゃべる、刑事じゃなかったらどつきたい男だ。
「……そうですか、じゃあ聞きたいことはそれだけですか。協力できることがあるならできるだけしますよ。」
僕がそう言ったあとに少しの静寂が流れた。すると志村さんがしゃべりだした。
「狭山さん。失礼ですがあなたと伊田芽さんの関係を教えてもらえませんか?」
「……僕と伊田芽の関係ですか…それは今の関係ですか?……それともあなた達が僕に行きついた理由の関係ですか?」
「両方教えていただきたい」
「…今は何の関係もありませんよ、昔はお互い好き合っていた時期もありましたが。付き合うまではいきませんでした。」
「体の関係はあってもですか?」
加藤がいやらしい目で僕を見ている。
「…そうです。僕が付き合おうと伊田芽さんに言えなかった。そのせいで付き合うこともできなかった。結局付き合ってもいないのに別れてしまった…それだけです」
「それで今でもお引きずるになられているのですか」と加藤はさらに挑発をしてくる。僕は怒りを抑え平常心を装いながら答える。
「そこまでわかっているなら、僕に会う必要はなかったのでは?」
「いえ、あなたの気持ちを確かめるのと心あたりを聞きたと思いまして。」加藤は笑みを深めた。
ピリピリとした空気が頂点に達しようとしたところで志村さんがしゃべりだす。
「狭山さんあなたが知る限り伊田芽麻友さんを恨んでる人や、よく思っていなかった知り合いがいましたらお聞きしたいのですが、教えていただけないでしょうか?」
僕は少しだけ考え、頭のなかに直ぐ浮かんだただ二人の人物のうち一人を応えることにした。
「…僕の知る限り、伊田芽のことをよく思っていなかった人はたくさんました。
ただ僕が知る限り恨んでいるかもしれない人間は、安達海だけです。」
「…そうですか」志村さんは特に驚いた様子もないようだ。加藤もメモさえとらない。
僕はその後もいくつかの質問に答え、重い空気のまま時間はすぎていった。話しにひと段落がつくと「ご協力ありがとうございました。では私たちはこれで失礼します」と志村さんが言うと立ち上がり玄関へ向かった。「コーヒーごちそう様でした」と一口もコーヒーを口にしなかった加藤と一緒に。
僕も一緒に玄関へ向い、「伊田芽さんが見つかったら教えてください」とだけ志村さんに伝える。
「わかりました、私たちも捜査に全力を尽くします、それでは失礼します。」 そう言い残し二人は僕の家から出ていった。
僕の気が少しゆるんだところに、また僕の家のドアがノックされドアが少し開けられた。…志村さんだ。
「先ほどは加藤が申し訳ありませんでした。気分を害されましたよね、これ私の連絡先なので何か思い出したり、わかったことがあったら連絡をしてください。」加藤さんはドアを少しだけ開け名刺を渡してくれた。
「…わかりました」
わざわざそんな事でもう一度謝りにくるとは警察にしては良い人だと思ったのだが、志村さんが言いたかったことは次の言葉であった。
「あ、あと聞き忘れたことが一つありました。狭山さん、伊田芽麻友さんの事を一番怨んでいる人間は誰だと思いますか?」
「……さあ、検討もつかないです」
「…そうですか、では失礼します。」
志村さんはそう言い残し去って行った。たぶん志村さんもわかっていたに違いない、僕はその場に座り一息ついた。
僕の知る限り伊田芽麻友を一番怨んでいる人間はこの僕だ。