想望
夜、宏司と食事をした後で、宏司がとっておきの場所に案内してやるといって歩き始めた。宏司と渋谷を何気なくブラブラ歩いていると美香の顔に訳もなく笑みがこぼれてくる。今日、初めて宏司と付き合っているんだということを肌で実感した。宏司のことは相変わらず何も分からない。そして、宏司の生い立ちを聞いた今でさえ、宏司がどう考えて生きてきたのか、そして今何を思って生きているのかも美香にはとても理解できることではない。ただ、例え美香がそれらの事を全て知ったとしても何も分かっていないということに変わりない、ということを美香は知ったのだ。
昨日、生まれて初めて人の死を見たとは思えないほど、美香は清々しい気持ちに浸っていた。宏司も自分のこと愛していてくれていると分かっただけで、その喜びだけでほかの全てのことが霞んでいるかのようだった。多分、宏司の言うように、私の中って空っぽなんだろうな……、そんな事を漠然と思った。隣りを歩いている宏司の方を見た。また、いつもの寡黙な宏司に戻っている。
「私って、多分空っぽなんだと思うよ。そんな私でもいいの」
何となく宏司にそれだけは聞いておきたくなって尋ねた。
「いいんだよ。みんな空っぽなんだから」
宏司は歩みを止めて美香の方を向きおり、優しい声でそう言った。
「アジア・太平洋戦争に日本が負けて、アメリカ軍による民主化が推し進められるようになった時からの日本人の宿命なんだと思うよ、空っぽなのは。だからしょうがないんだよ。俺だって空っぽなんだから」
「良く分からない」
「分からなくてもいいよ。俺がそう思ってるだけなんだから」
そう言って、再び夜の渋谷を神泉の方へと歩き出した。美香は、宏司の言ってたことを自分なりに理解しようと少し考え込んでいたため置いてかれそうになった。
「待ってよ」
そう言って走りながら思った。いいや、宏司の思ってることが分からなくたって。後で、少しずつ分かる様になっていけばいいだけなんだから。
宏司の言ってたとっておきの場所は、渋谷から神泉に抜けるところにあるちょっとした森のようなところだった。渋谷の中心からそんなにも離れていないのに、確かに人も少なそうなところだった。宏司とその森のような中に入ってみた。中にあるベンチに二人ならんで腰をかけた。
宏司が空を見上げた。美香もそれを真似て空を見上げた。いつもと変わらない闇色の空が目の前に広がった。
「美香と初めて会ったときも、こうして星を見ていたよな」
「そうだったね。私にも、何だか星が見えそうな気がしてきた」
「そんな感じでいいんだよ。結局自分が見えたものを信じるしかないんだから」
空を見上げている美香の目に、確かに目映いような小さな光りの粒子が落ちてくるのが見えた。
「ねぇ、いま、流れ星が通ったよ。宏司、見た」
「いいや、俺には見えなかったよ。美香にだけ見えたのかも知れないな。で、何か願い事したのか」
「もちろん」
美香は笑顔でそう答えた。
「でも、宏司には教えないよ。願い事って、口にすると効力がなくなるって言うからね」
宏司は笑いながら美香の肩に手をかけた。そしてそのまま、美香を自分の方に近付けた。美香は、宏司の顔が目の前に来ていまさらながらに胸がときめいた。
美香がした願い事は、多分、宏司には分かってしまっていることだろうと思う。
宏司の唇が美香の唇の上に軽くふれた。
終わり