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看視

 「学園紛争の頃先頭に立って運動してきた奴等って、皆、戦中か戦後すぐに生まれてきたんだ。言い換えれば、日本が民主化を推し進めているその真っ只中に子供時代を生きていた奴等なんだよ。そういう奴等がああして徒党を組んで、いわゆる「権力」というものに立ち向かっていった。そして、結局権力の前に破れ去った。俺にはそれがどうしても不思議でしょうがないんだ。なのに、それからたった30年しか経っていないのに、今生きている奴等はほとんどが何も疑っていない。例え疑っているように見えてもみんな表面的で、間接的だ。俺と修にはそのことが、もっともっと分からなかった」

 店内は休日の午後ということもあってか、客の出入りが激しかった。たくさんの若いグループやカップルが美香と宏司の横を通り抜けていく。中には大声で笑い合いながら通りすぎていくものもいた。

 美香はそういう人達を視界の片隅に捉えながら、今の宏司の話との「すきま」に思いを至らせていた。宏司の語っている話の世界と、今美香の視界にはいってくる情景の差異がどこに起因するものかはっきりとは分からない。ただ、美香にも漠然と感じることはある。とにかく、平和なのだ。

 「俺は、学園紛争の時代が好きだ。出来るなら、あの当時に生きていたかった、とさえ思う。ただ、あの当時の思想が正しいとか正しくないとかいうことは俺には分からない。今となってはそんな事はもうどうでもいいような気すらする。俺はあのエネルギー、あの当時の奴等のあのパワーが好きなんだ。少なくとも俺にとってあの時代が俺自身のアイデンティーでもある訳なんだからな」

 美香は一言も口を開くことが出来なかった。何を喋ってみたところで言葉たちはすぐその場で消えてしまいそうだった。ただ自分の意志表示として宏司の目をしっかりと捉えることが精一杯だった。

 「だから俺にはただ見ることしか出来なかった。根底では何も疑ってない奴等の中で、俺にはそうすることでしか生きていけないような気がしたんだ。修は自分が30の誕生日に死ぬということを信じていた。それが運命なんだといつも自分に言い聞かせていた。だから俺に良く言っていた。俺の最後だけはしっかりと見ていてくれって、それだけは真実だからって」

 「でも、何で死んじゃうのよ。宏司が止めてあげないのよ」

「あいつの人生だからな。あいつの人生について口出しできる程、俺は自分の人生をしっかりとは生きていないんだよ。だから、俺はただ見るしか出来ないんだ。俺等みたいに学園紛争を未だにひきずっている奴には、今の世の中は住みにくいもんなんだよ。実際闘っていないわけだからなおさら始末悪いわな」

 そう言って少し笑った。何だか宏司の笑顔を見るのが久し振りのように感じた。

「美香はいつも何を見て生きてるんだ」

「えっ、何を見て……」

そんな事いきなり言われても分からなかった。ただ目に入って来るものを見てるだけなんだから。答えに窮して宏司の顔を見ると、ちょっとはにかんだ笑顔を浮かべたまま、美香を優しい瞳で包んでくれるようなあたたかな目をしているように感じた。

 「それじゃさ、美香は何を信じて生きてるんだい」

「何をって言われても……、見たまんまを信じて生きてるよ」

「そうだろう。見たまんまをみんな信じてるんだと思うよ。でも、俺たちには何も見えなかったんだ。何を見ることが出来るのか、それすら分からなかったんだ。だからこそ、俺は見ることしか出来なかったんだ。何も、見えていないからこそ必死になって見るしか出来ないんだ」

 ガラス一枚隔てた外の喧噪が、嘘のように遠のいていくのが美香には感じられた。凍り付いたような気配すら覚えた。

 「見たものなんてみんな人によって異なるものだ。結局みんな幻想を見てるにすぎないんだよ。幻想を信じてるんだ。実際に存在し得ないものを信じてるんだから、空っぽなんだよ。だから、修は破壊したかったんだと思う。自分自身を破壊することで……」

 「宏司も自殺したいとかって思ったりするの」

「分からないな。自殺って思ったりとかするのとは違うんじゃないかな。だって、自殺しようと思った人がいても思ってるだけで死んでなければ自殺でも何でもないんだから。自殺したいとか思うことと『自殺』それ事態とは何も関係ないと思うよ」

 宏司が口を閉じるとそれに合わせて辺りの空気も、まるで沈黙を守っているかのようにひんやりと重くなっている感じがする。美香には、周囲の雑音が耳に入ってこないのが不思議だった。宏司の言葉だけしか脳髄には響いてこないのである。

「自殺ってさ、何か、もっと別の何かに組み込まれているもののように思うな。一つの表現手段なんだと思う。少なくとも俺はそう信じてる」

 「そういうものなのかな……」

「そういうものなんだよ、多分。でも、俺も破壊したいとは思う。何をなんて聞かれると困るけど、常に何かを破壊しようと思っている。なんていうかな、身体の中の血がいつも沸き立ってるように感じるんだ」

 「何か、それって危険じゃない」

「そうかも知れない。でもさ、美香、何か新しいものを生み出すには常に何かを破壊しなければいけないんだ。鳥を見てみろ。生まれるとき、あんな小さな雛が自分で、自分一人だけの力で卵を割ってこの世にでてくるんだ。俺は、これこそが誕生だと思う。卵が一つの世界なんだよ。学園紛争の頃の奴等にはこの破壊のエネルギーだけはあったんだ。それがいいことなのかどうかは別にして、俺にとって、それが合ったということが重要なんだ」

日中の暖かい陽射しが店内までとどくようになってきた。

「何だかつまらない話、したみたいだな。退屈だっただろう」

「そんな事全然ない。結構面白い話だったよ。宏司のこと、私の中ではちょっと分かった気がしたから」

 宏司が軽く微笑むのが、妙に心地よかった。

「さっき、昨日のこと、私にだけは見てもらいたかった、みたいな事言ってたでしょう。なんでなの」

 「なんでなんだろう。俺にも良く分からないよ。多分、美香のこと本気で愛してるからだと思う。本気で愛するようになったって言う方が正確なのかな。俺の全てを知ってもらいたかったから、俺のたった一人の友人も含めて」


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