違うもん。
皆がまだ給食を食べている中、私たちは廊下に飛び出すと、
階段をあがり、いつもの屋上扉前へ。
何をそんなに急いでるのかというと、
今日はいよいよ花咲のカミングアウト決行日なのだ。
「花咲、覚悟はいいか」
「…………」
「返事しろよ」
「いや、だって、何か、やっぱりさ」
「今更やめるとか言わないよね?」
「い、言わな……」
イワナ?
給食の時の勢いはすでになく、ガチガチの花咲。
「大丈夫だよぉ。花咲さんかわいいから、みんなびっくりしちゃうよぉ」
そう言って、お兄ちゃんが用意しておいた紙袋から服を取り出す。
襟元にスタッズの付いた白シャツに、下はバーバリーチェックの膝上のミニ。
厚底のショートブーツで舐めたくなるような脚線美を限界まで引き出すと、
最後に軽めの黒ジャケットを羽織らせて完成。
次に扉前に積まれたイスを引っこ抜くと、それに花咲を座らせる。
問題はここからで、時間がかかるのが髪の毛だ。
お兄ちゃんの給食の犠牲もこのためだったりっする。
今までは髪留め一本で済んだが、
このコーディネートが決まった時点で、
お姉ちゃんから髪はフワフワにするように指示がでている。
しかし、私もお兄ちゃんも撮影のときにお互いに仕上げを手伝うことはあっても、一から全部というのはあまりない。
ましてやこんなサラサラショートをコテも使わずにフワフワにするのはなかなかに手間だったりする。
私も何度かお姉ちゃんに教えてもらいながら家で試してみたが、
ワックスをつけ過ぎて髪の毛がベッタリしてしまい、
何だか安いビジュアル系バンドみたいになってしまった。
だって、花咲の髪って細くて本当にサラサラで全然いうこときかないからイライラするんだもの。
かと言って、いつも散髪屋で「普通刈りで」と注文しているという花咲が自分でできるわけもなく、結局フワフワテクニックを習得したのは気の長いお兄ちゃんだった。
絵にしてもそうだけど、ひとつのことにもくもくと集中して取り組めるという点では、お兄ちゃんは芸術家肌なんだと思う。
今だって、花咲の髪を触り始めてからは真剣そのもので、
「花咲さんちょっと右向いて」と言うその口調もいつもと少し違って、
どこかお姉ちゃんを思わせる。
昼休みの終了五分前を知らせる放送が流れてから間もなく、
「で、できたよぉー!!」
わぁーっと両手をあげて喜ぶお兄ちゃんだったが、
花咲と向き合うように置いていた自分のイスに蹴つまずき、見事に転ぶ。
パン・2ー・〇・ミエ。
「大丈夫か?」
花咲に引っぱり起こされるお兄ちゃん。
そのとき少しだけお兄ちゃんのブラウスがずりあがった。
おっ、と思う間もなく私は眉をひそめた。
雪のように白いはずのお兄ちゃんの背中に、赤黒い模様がちらりとのぞいたからだ。
「お兄ちゃん?」
「なにぃ?」
「背中どうしたの?」
私に言われて、お兄ちゃんが慌てた様子でブラウスの裾を引っ張る。
「ああー、えーと、背中? 背中は、背中はなんでもないよぉー」
そう言ってへへへぇーと笑うお兄ちゃんの目が露骨に泳ぐ。
「お兄ちゃん、ちょっとごめんね」
「ふぇ?」
お兄ちゃんが反応するより先に、私はその両手首を掴むとバンザイさせる。
「花咲、お兄ちゃんのブラウスまくって」
「ダ、ダメだよぉ……!」
私の口調に何かを察した花咲が、
躊躇なくお兄ちゃんの着ているベストと一緒にブラウスを背中からめくりあげる。
――――。
「何だよ……これ」
そう花咲が漏らしたことにより、
私の側からが見えているものが背中にも広がってることがわかる。
お兄ちゃんの白い肌には、細かな内出血の跡が数えきれないほど散らばっていた。
「お兄ちゃん。どうしたのこれ」
「こ、転んだんだよぉ……」
「転んだだけでこんな……」
「あ、あとね、ネコさんに引っかかれたのと、イヌさんに引っかかれたのと、あと……えと、何だっけ……へへへっ、ちょっと待ってね……」
指を折りながら思い出し思い出し喋るので、そのうそはうそにならない。
そもそも、転んだり犬猫に引っかかれたような傷じゃないのは見れば誰にだってわかる。
どれも同じ大きさの何かで強くつまんだ跡がくっきりと残っていた。
――――頭の中でいつぞやのリビングの光景が蘇る。
ダブルクリップか。
あの時分のお兄ちゃんに何かがあったとしたら……。
これ以上考えるまでもない。
「鷲宮ね」
「ち、違うよぉ。鷲宮さんは悪くないよぉ」
悪くないって言ってる時点で答えはイエスじゃないか。
それを聞いた途端、私の頭には血が上り、お腹にはドス黒い気持ちが溜まる。
お兄ちゃんと合わないのは結果として仕方ないと思っていたが、
お兄ちゃんの肌に傷をつけたとなると話は全然別だ。
そんないきり立つ私の目の前でジャンパーが翻った。
「あたしがいってくる」
そう言った花咲は、自前のジャンパーを羽織り直していた。
せっかくのかわいらしい膝上ミニがジャンパーを着こむことで台無しになる。
「ダメだよぉ。花咲さんは女の子になるんだからダメだよぉ」
「それどころじゃねぇだろ」
「それどころだよぉ。ただお人形さんごっこしてただけだから。だから、ね?」
お兄ちゃんが必死で花咲を引き止めようとする。
「お人形さんごっこしてて、こんなになるわけないじゃない!」
今度は私が怒鳴る。
「お、お人形さんごっこだよぉ。お人形さんは何されても動いちゃだめなんだよぉ。そういう遊びなんだよぉ」
頭の中で『お人形さんごっこ』と『ダブルクリップ』が繋がり、
その光景が目に浮かんで、私は思わず唇を噛みこむ。
そうしないと、こんな状況で泣いてしまいそうだったから。
「それにボク、鷲宮さんのお部屋の絨毯にジュースこぼしちゃったし、花咲さんと喋っちゃダメって約束したのに喋っちゃったり、迷惑ばっかりかけてるから。だから」
「だから? だからそんなことされたって仕方ないって言うの? 黙ってろって言うの? んなの、許せるわけないじゃない!」
「セリカの言う通りだ。そこにあたしの名前が出て来たのも気に入らない」
私と花咲はお兄ちゃんを置いて、そのまま階段を踊り場まで降りる。
「やめてよぉ――――!!」
黒板を爪で引っかいたような声が階段に響いた。
振り返った私達は、その声を出したのがお兄ちゃんだと信じられず、
ただぽかんと見上げていた。
沈黙の中、授業開始のチャイムが鳴り、やがて余韻を残しながらゆっくりと消えていく。
おそらくさっきの絶叫で枯れてしまったのだろう。
しんと静まり返った校舎に絞りだすような掠れた声が響く。
「いやだよぉ……。もういやだよぉ。誰かに迷惑かけるのも、誰かに嫌われるのも、いやなんだよぉ。役立たずなのはわかったからぁ、お願いだから、もう……もう許してよぉ……」
そこまで言うと、お兄ちゃんは喉が切れそうな細い声で泣いた。
それは、お兄ちゃんが今までずっと飲み込み続けてきた悲鳴のかたまりのようだった。
ぜんぜんだめでした。
ぜんぜんやくにたちませんでした。
ぜんぜんきらわれものでした。
そんなの……そんなのは……、
「違う! それは絶対に違う! 役立たずだなんて絶対に言わないで!!」
さっきのお兄ちゃんに負けないくらい大きな声で私は叫ぶ。
「いいのぉー! ボクは役立たずなのぉ!! もういいのぉ!!」
「いいわけないでしょ!」
「いいのぉ!」
私は一段飛ばしで、踊り場から一気に階段を駆けあがる。
――――!
パチンという音は冬の乾いた廊下によく響いた。
私は肩で息をしながら、あまりにも実感のない目の前の光景に、
これは私の頭の中の妄想じゃないかと一瞬だけ期待した。
ただ、妄想にしてはピリピリとしびれる私の右手も、
赤くなったお兄ちゃんの左頬もリアル過ぎる。
兄妹ゲンカなんか一度だってしたことはない。
ずっと仲の良い双子で、ずっとずっとそれを大切にしてきた。
――――私は生まれて初めてお兄ちゃんに手を上げた。
「セ、セリカちゃんが……セリカちゃんが叩いたぁ!」
そう言うとお兄ちゃんは、仕切り直すようにまたポロポロと涙をこぼした。
「私、謝らないよ」
叩いたことは悪いと思うけど、言ったことは間違ってない。
それをうまく伝えようと息を吸い込むと、ひゅるりとその息が震えた。
違う。震えるているのは喉だ。
私は何とかそれを押さえこんで声にする。
「だって……だって、お兄ちゃんは役立たずじゃないもん!」
頑張って出したその言葉は驚くほど幼稚で、ただ叫んだだけだった。
目の前のお兄ちゃんの姿が歪んだかと思うと、
とうとう私の目尻からも涙がポロポロとこぼれた。
「違うもん! 絶対に、絶対に違うもん!!」
「違うくない! セリカちゃんは友達いっぱいいるんだから好きにしたらいいでしょぉ!! ボクは放っといてよぉ!!」
「お兄ちゃんが寂しい思いしてんのは、私はイヤなの!!」
「ボクはセリカちゃんが楽しいのを我慢してるのはイヤなのぉ!!」
「いいの! 私はお兄ちゃん好きだからいいの!!」
「ボクもセリカちゃん好きだから、だからイヤなのぉ!」
「私がいいって言ってんだからいいでしょ!」
「セリカちゃんがよくてもボクがイヤなのぉ!」
泣きながら埒のあかないことをわめき合う。
そんな小学生のテンプレートにのっとったケンカに、見かねた花咲が間に入る。
私は一旦花咲に掴みかかるも、そのままその胸に顔を埋めて泣いた。
そして強く思った。
やっぱりおっぱいは大事だなと。
授業には二十分以上遅れて、先生にしこたま怒られた。




