天使なんかじゃない。
「セリカちゃん」
不意に背中からかかった声に慌ててノートを閉じると、
私はうっかりそのまま振り返ってしまう。
「なに? お兄ちゃん」
そう言った自分の声が鼻にかかってることで、しまったと気付く。
「セリカちゃん、泣いてるのぉ?」
ベッドの中で、まだ少し寝ぼけ眼なお兄ちゃんが首を傾げて訊いてくる。
私は応急処置で涙を袖で拭う。
大丈夫。
慌てたおかげで涙は引っ込んでいる。
笑え、私。
「いやぁー、あくびが出ちゃってね」
「セリカちゃん。こっちぃ」
お兄ちゃんがそう言って私に手招きをする。
「ん?」
招かれるままに、私はお兄ちゃんのベッド脇に屈む。
もう何でも言って。
私がお兄ちゃんにしてあげられることならなんでもする。
内臓だって好きなのあげる。
「セリカちゃん。手ぇ」
ああ……もう、かわいいなぁ。
手ぐらい汗でふやけるまで握っててあげるよ。
そう思って差しだした私の手を、お兄ちゃんが両手で包みこむ。
寝汗でじっとりしめった、熱い手。
私は意味がわからず、眉を寄せる。
「もう大丈夫だよぉ」
「ずっと握ってるから大丈夫だよぉ」
「雷こわくないからねぇ」
そういうと、お兄ちゃんは掠れた弱々しい声で「あるーひー」と歌いだした。
一呼吸置いて、「もりのなかぁー」と続ける。
鼻の奥がつんと痛くなる。
それを合図に、引っ込んだはずの涙が瞼の内側から滲み出る。
何よそれ。
違うでしょ?
それって違うでしょ?
今苦しいのは私じゃないでしょ?
心配するのは私じゃないでしょ?
辛かっただとか、寒かっただとか言えばいいじゃない!
もう。ムリだ。
大粒の一滴が布団に落ちると、ボタッと思ったよりも大きな音がした。
そして布団の中から私を見上げるお兄ちゃんの顔を見ると、あとは蛇口が壊れたようだった。
私は、幼稚園児みたいにわあわあと声をあげて泣いた。
その頭をお兄ちゃんが撫でるもんで、さらに胸が苦しくなって余計に涙があふれた。
こんなことになってから、気付いて手を差しのべるのは簡単だ。
こんなことになっても、他人に差しのべようとするその手は、
全然見当違いで、不器用で、バカみたいで。
だけど純粋で。
ただただ純粋で。
私はこんなに他人の気持ちを一番に置けない。
私は――――天使なんかじゃない。
前日の雨が嘘のように晴れあがった次の日、
私は昔のようにお兄ちゃんと手をつないで登校した。
皆が私達のことを見ていたけど、そんなのはどうだってよかった。
「は、恥ずかしいよぉーセリカちゃん……」
「いいの!」
仕方ないじゃない。
大好きなんだから。
ふやけるまで握ってやる!




