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花咲く……ん?


 キンコンカンとその日の二時間目の授業が終わる。


 私は前の時間が体育だったお兄ちゃんの着替えでも覗きにいこうかと教室を出たところで、花咲の背中を見つける。


 別に花咲になんて興味はなかったが、三階から更に上へと階段をのぼっていくのを見て私は足を止めた。

 それの何が気になったかというと、うちの学校の校舎は三階建てで、その上は屋上しかない。

 つけ加えるなら屋上へ続く扉は鍵がかかっているし、その前には使っていない机やイスが山と積まれてある。

 それに着替えるなら男子は視聴覚室だ。

 つまり、これって怪しくない?

 ってこと。


 私は花咲が一番上までのぼったのを足音で確認すると、そこへと続く踊り場の手前までのぼり、手すりに貼りつくようにして訊き耳を立てる。


 やがて衣擦れの音と共に、んしょっ、という声が聞こえてきた。

 何あいつ?

 着替えてんの?

 ここで?

 何で?


「はぁー、気持ちいい……」

 何かから解放されたような花咲のそんな声。 

 続いて、「ああ……」だの、「んんー……」だの、何かをこらえるような艶っぽい声が漏れ聞こえてくる。


 人目の付かないところ。

 小五男子。

 喘ぐような声。

 頭の中で想像のつばさがバッサバッサと音をたてる。


 これは、私の本棚には決して並べられないコレクションの中でも曖昧なあの描写が、すぐそこで行われてるってことなのか?

 

 汗ばむよ。喉がカラカラだよ。胸がドキドキするよ。

 何をためらう?

 ぼやぼやしてると終わっちゃうよ?

 こんなチャンスめったにないよ?

 まさに足元のこれが大人の階段!

 想い出をいっぱいつくろう!

 こ、こんなところでしてる花咲が悪いんだからね!


 私は自分の中の純粋な好奇心に、目一杯のいいわけを貼りつけると、手摺りに手を掛ける。

 そして、ちょうど階段の折り返しに沿うようにして踊り場から少しだけ顔をのぞかせた。


 ………………ん?


 びっくりして目が点になるなんていうけど、あれは逆だ。

 人は驚くと瞳孔が開く。

 それともその開いた動向をさして『点』というのだろうか?


 私が踊り場から見たものは当たりでもはずれでもなく、それは私の想像を根底から覆すものだった。

 例えるなら、インド人がやってる本格インドカレー屋でビーフカレー出てきたくらいの驚き。

 ううん。

 うそ。そんなもんじゃない。

 今まで本当の兄妹だと思ってたのに実は血が繋がってなかったとか。

 ううん。

 それは私の願望。


 とにかく、私が今するべきことは、花咲に気付かれないようにここから立ち去らなくちゃという――


「セリカちゃーん、そこで何やってんのぉ」  


 黙ってマイエンジェル。

 かわいさの分だけ、タイミングと空気を読むパラメーターが著しく低いお兄ちゃんが目ざとく私を見つけて声をかけてくる。

 私は左手の人差し指を口の前にあてると、右手で階段下に現れたかわいこ天使に制止を呼び掛ける。

 静かに。こっちに来ちゃダメ。と。


「ハハハッ、何それぇ魔法使いのマネぇ?」


 天使はいつだって無邪気。


「あのねぇ、さっき体育でドッジボールやってねぇ、ボクねぇ――」


 珍しく体育で何かいいことがあったのだろう。

 お兄ちゃんが活き活きとした笑顔でずんずんと階段を上ってくる。

 この状況下でもお兄ちゃんを愛くるしいと思える私の脳はもうダメなんだろうか?


 っていうか、私が階段を降りたらいいんだ。

 それに気付いて立ちあがろうとした時、私の足にフラグの神が舞い降りた。

 早い話、滑って転んで躍り出た。

 踊り場に。


 階段の上、

 そこに向けて、恐る恐る視線をあげる。

 そして作業の途中で固まっている花咲と目が合った。


 それをなんとか無難な笑顔で回避しようとする私。


「セリカちゃん大丈夫ぅ?」


 そしてそのフラグを全力で回収しにくる兄。


「お兄ちゃん、来ちゃダ!」


 メ。と言った時にはすでに遅く、

 踊り場まであがってきたお兄ちゃんは花咲の裸をそのきれいな碧い瞳に映しこむ。


 お兄ちゃんの長いまつげが一度だけぱちくりと上下する。

 あとは硬直。

 ガン見。


「花咲く……ん?」


 ようやく漏れたお兄ちゃんの(かす)れる声は疑問形だった。

 それも無理はない。

 今の花咲を見たままに、下から順に説明すると、


 上履き。

 白のハイソックス。

 そこからしばらく白い足が続いてー……ピンクのギンガムチェックのショーツ。

 縦に割れたおへそと、白いお腹が続いてー……小五にしては十分に発育した胸。


 そんな感じの男の子いるいるー!

 わけない。

 どう見たってあれは女子だ。

 一時停止ボタンを押されたように、花咲は濡れタオルで脇の下を拭いている姿勢のまま一秒一ミリたりとて動かない。


「ほらっ、セイラ行くよ!」


 私は未だ状況を理解できずに茫然としているお兄ちゃんの手を引いて、

 その場から立ち去った。


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