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9 承・誘惑

 少女の外見にそぐわず、鑑は達観した様子で外の三日月を仰ぐ。

 その勝手に紫織の傘を差し、勝手なことを言うさまに、陸は頭に血が昇った。


「この、いい加減にしろよっ! さっきからわけわかんねぇことばっか言いやがって。もう出ていきやがれ」 


 陸は鑑の腕を乱暴に掴みあげ、無理やり自分のほうへ向かせた。  


「――わたしはカガミ。あなたがそう(のぞ)むなら、その願望(がんぼー)(したが)うのもやぶさかじゃないわ。でもほんとにそれでいいの? このままだとあの()、“三途(さんず)(かわ)”さえ(わた)れないわ、よ」


 鑑の腕をつかんだ拍子に黒銀の長髪が乱れて、陸の頬をこすった。 

 ぞくりとした。華奢な腕をきつく握られても、鑑はされるがまま身じろぎひとつしない。 

 ただ傘の下から覗く紅い瞳だけが、下火が燻るような秘やかな眼光を宿している。

 まるでめったに怒らない紫織が、本当に怒ったときのような凄味がそこにはあった。

 

「さ、さんずの川?」


 その冷艶な美貌と平淡な声にたじろぎ、陸は手を握ったまま動けなくなる。紙粘土のようにきめ細やかな鑑の柔肌は、ひやりと冷たかった。


生者(しょーじゃ)死者(ししゃ)。この()とあの()をへだてる、はてなき大河(たいが)のこと、よ。その境界(きょーかい)には、みっつの(わた)りかたがあるから、“三途(さんず)”の(かわ)(たと)えたのね」 

「あの世とこの世の間にある川って、そんな、ゲームじゃねぇんだから……」 


 陸は困惑して、鑑から手を離す。

 強く握っていたはずなのに、跡ひとつないのが不気味だと思った。


「あら。生死(しょうじ)世界観(せかいかん)娯楽(ごらく)()りこむよーな昨今(さっこん)でも、()畏怖(いふ)する(こころ)はなくならない、でしょう? ()そのものを克服(こくふく)でもしないかぎり、彼岸(あのよ)此岸(このよ)(つい)のものとして存在(そんざい)する、わ」


 鑑の声はとろりと静かだった。作り話のような荒唐無稽な話なのに、淡々と真実を述べているようにしか聞こえない。


「ぬぅ。よくそんなきっぱりと言いきれるな」

「“地獄(じごく)”はまだだけど、“()(くに)”にいったこと、あるからね」

「ねのくに? どこの温泉地か知らねぇけど、地獄谷みたいのと本物のあの世をいっしょにすんなよ」 

「……仏教(ぶっきょー)神道(しんとー)区別(くべつ)もつかない、常人(じょーにん)認識にんしきはそんなもの、なのね」

「ぬ? 宗教勧誘の話、なのか? 悪いけどオレは神さまなんて信じてないんだ」


 かすかな嘆息をして、鑑は小さく頭を振る。乱れた髪を整えて、どこか哀しそうに透徹とした紅い瞳を揺らして陸を見つめた。


「そのくせ、つぎの(せい)にも執着(しゅーちゃく)する、(ひと)()のひたむきさって、なんなのかしら。もういっそ“三途(さんず)(かわ)”じゃなくて、“一途(いちず)”の(かわ)にあらためたほーがいいのかも、ね」

「ぬぬ? 悪いけど、さっぱりわからんってことしかわからねぇんだけど……。結局、さんずの川を渡れないってどういうことなんだ、鑑?」


 ただでさえ知らない言葉が多いのに、鑑の口調は舌足らずで、陸には難解すぎる。大事なことを言っているようだが、陸の頭では半分も彼女の言うことを理解できないのだった。


◆◇◆


「そうね……。ならちょっとだけ(のぞ)かせて、あげる」


 ゆらりと、鑑は鶴の舞のようにみやびに右腕を動かし、前へ突きだす。その指先には、使われていない古いテレビがあった。

 不意に、ぱちんと、小さな(じゅ)が木霊する。親指と小指を曲げて爪先であわせたあと、鑑が弾指(つまはじき)をしたのだ。 


「えっ。停電?」


 ふっと、部屋の電気が消える。その代わり、鑑の手元に明かりが凝縮されたように、淡い輝きを放ちだした。彼女の白い繊手に、石榴石のような赤い爪が彩られていて、陸をはっとさせる。

 世界に光が消える。世界が闇に包まれる。日常が薄れて、非日常が露になる。 

 そんな中、鑑の紅い瞳が獣の眼のように欄と美しく輝きを放った。


「―――、みずかがみ。」


 中性的な声が染み渡る。鑑の澄んだ声は、鈴の音のようによく(とお)った。

 彼女の手元に集まっていた光が、音もなく前へ放たれる。その光弾は、古いテレビに吸いこまれる。不意にブラウン管が灯り、暗い部屋をほのかに照らした。


「ど、どうなってやがるんだ? テレビが勝手に」


 呆気にとられる陸の顔を反射するテレビ。砂嵐の雑音を漏らすそれは気味が悪かった。青白い不気味な光を暗闇に放っている。


(だま)って()てなさい。しょーねんが()たいもの、(うつ)してあげる、から」


 砂嵐がまとまってくる。昔の白黒テレビのような映像。ぼんやりと人の輪郭が露わになる。音はない。ただ女の子が歩いていた。


「え――?」


 辛そうに。苦しそうに。とぼとぼと、砂漠のように荒廃した場所を、さまよっている。

 彼女は延々と歩き続けたが、道なき道に果てがあるようには見えない。やがて足を取られて、力なく膝をついた。 そのまま座りこんで小さく車座に丸まる。憔悴したその顔は、今にも泣きそうだった。


「なんで、姉ちゃんが……」


 ブラウン管に映っているのは、姉の紫織だった。

 ただこんな映像は一度も見たことのなかった。陸の家庭は元々ビデオを頻繁に撮らないし、そもそもこんな悪趣味なものを撮るはずがない。ありえない光景だった。


「なんだよ。どうなってるんだよ、これ!!」 


 陸は呆然と説明を求めるように鑑へ視線を向けた。

 鑑は平然としていた。何事にも無関心そうな、どこか遠くを見つめるような眼差しで、紫織の映像をぼんやりと眺めている。

 ブラウン管の光を浴び青い燐を放つその横顔は、幽鬼のように不気味だと陸は思った。


「……まだ三途(さんず)(かわ)には、ついてないよー、ね。夭折(よーせつ)した親不孝(おやふこー)罪人(ざいにん)らしく、“闇穴道(あんけつどー)”、わたってる途中(とちゅー)かしら。でもこのぶんだと、七日(なのか)たってもたどりつけそーにないわ、ね」 


 鑑はひとり頷いて、開いていた黒い傘を閉じた。ぶつりと、テレビが消えて、座敷がまた暗闇に包まれる。


「ちょっ、おい?」


 暗がりの中、陸は四角い箱に戻ったテレビを強く叩いた。

 また紫織を見たい一心で、台の上にあったリモコンを強く押す。

 青いランプは点かない。

 ……赤いランプすら、ない。


 陸の背筋に虫が這うような悪寒が生じた。コンセントが入ってなかったのだ。

 そもそもこの古いテレビは壊れていたからこそ、普段使わない座敷に移したのだった。

 先ほどの色と音のない紫織の映像は、怪奇現象そのものだった。


◆◇◆


「オマエ……なにしやがったんだ?」


 震える声で、陸は鑑に問いかけた。

 彼女が見せた映像は、トリックがあるような粗末なものに見えなかったのだ。 


「ちょっとした児戯(じぎ)、よ。()かたや(かんが)えかた、()えた(さき)にある世界(せかい)法則(ほーそく)(つか)って、“遠見(とーみ)”した、の。魔法(まほー)や、超能力(ちょーのーりょく)()えば、わかりやすい、かしら」


 鑑はこともなげに言って、実演するように指を鳴らした。

 そのようなハイテクの機能などないのに、部屋の明かりが当然のようにつく。


「ばっかじゃねぇの。魔法や超能力って……そりゃああればいいなとは思うけど、そんなのありえねぇだろ。そんな子供だましなこと信じられっかよ」 


 目の前で不思議な現象を見せられても、陸は容易に信じられなかった。

 母や祖母を亡くし、姉までも喪った今、奇跡など認められなかったのだ。


「そ。なら(はなし)はここまで、ね。地獄(じごく)も、霊魂(れーこん)も、()ようとしなければ存在(そんざい)しない、(つき)(おな)じ、だもの」


 小さくため息をついて、鑑は部屋から出て行こうとする。陸を置いてこの場から立ち去ろうとする。その潔い姿は、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。


「待てよ。じゃあなんだ。姉ちゃんがあんなに苦しそうにしてるのは、その……、今のことなのか?」 


 だからこそ、陸は鑑を呼び止める。 

 あの映像を現実のものと認め、認めるわけにはいかないことを問いただす。

 紫織は死んだ後さえ苦しんでいるのか、と。 


「そうだとしたらどうなの? (かみ)魔法(まほー)(しん)じないんじゃない、の?」


 血の気が失せるまで拳を握り締める陸に、鑑は起伏のない声で答える。

 彼を見つめる彼女は冷ややかだった。まるで子供が興味のないテレビ番組を見つめるような眼差し。無垢で純粋で、けれど苦しむ陸を他人事のように遠くから眺めている。


「ふざ、けんな! なんで、姉ちゃんばっかが、苦しい思いをしなきゃなんねぇんだよっ! 姉ちゃんみたいなぽややんとしたヤツが、地獄に行くなんてありえねぇだろ!?」

「いいえ。地獄(じごく)にもいけず、輪廻(りんね)()すらくぐれず、その霊魂(れーこん)消滅(しょーめつ)するでしょう、ね。(おや)より(はや)()ぬのは、それだけで(おお)きな(つみ)、だもの」

 

 激情に吼え立てる陸に、鑑は心を動かすことなく淡々と語る。 


「なんだよ、それ。罪ってなんだよ。そんなのってねぇだろ。なんで死んだあとまで、姉ちゃんがそんな目に合わなきゃならねぇんだよ。姉ちゃんはやさしくって、自分のことより家族のことを優先するようなヤツで、損するぐらいバカみたいなお人よしなのに、どうして……」

 

 瞬きもしない陸の眼から、涙が零れ出す。護りたかった紫織になにもしてあげられない無力さに、声を押し殺す。


「……あなたって()なのに、ほんとに()(むし)なの、ね」

「泣いてなんかねぇ」

「そう……。なら()ちどまらず、()げずに行動(こーどー)できる?」

「オレになにができるってんだよ。会いたくても姉ちゃんは……」


 死んでしまった。そこまで言えず、陸は嗚咽を洩らした。

 そんな陸の頬にあふれ出す涙を、鑑は指先でそっと拭う。

 (おもい)を舐め取り、彼女は天使の慈悲のように優しく、悪魔の誘惑のように甘く彼へ囁きかける。


「しょーねんが(のぞ)むなら、わたしが()()してあげる。あなたの(ねが)い、かなえてあげてもいいわよ。そのためにわたしは()たんだもの」

「――え?」 


 願いを叶えてあえてもいい。 

 それはどんな願いでも? 死んだ姉にまた会うことさえ?

 陸は眼を見開いたまま、言葉を出せない。嘘みたいにきれいなやつは、嘘のようなことをやってみせ、そして本当に嘘のようなことをさらりと言ってのけた。  


(ねが)わくば、あなたの(すす)(みち)がつらいものになりませんように」


 鑑は棚に置かれた紙を手に取ると、木の葉についた朝露を払うように息を吹きこんだ。

 なんの変哲もない、ただのメモ用紙だ。だがそれは、胡蝶のように舞っているうちにひとりでに折りたたまれる。そしてぴたりと、驚愕する陸の胸元で宙に浮いたまま静止した。


 涙を服の袖で拭って、陸は紙を恐る恐る手に取る。

 折り紙の“やっこさん”の形に折られたメモ用紙には、糸もなにもついていない。

 ただ赤い文字が燃えあがるように浮かんでいた。


「おいこれ……って、またいねぇし。あいつ、現代に生きる忍者かなんかなのか?」


 陸が紙から顔をあげたとき、白い少女――鑑は忽然といなくなっていた。清廉な鈴の音と蠱惑的な声だけが陸の耳に残っている。

 しかたなく陸は折られた用紙をもう一度見つめる。人型(やっこさん)の胴体の部分には、意外と女性らしい丸い文字でこう書かれていた。



“奇跡を希い、常世と現世の理の天秤に釣り合う代償を支払う覚悟がある? 

Yes/no  

Yesなら、この紙にサインして、あの河原まで一人で来なさい。

貴方の姉にもう一度だけ逢わせてあげる。”


 

「え、えーと……?」


 しかし陸には、この四行の文章が読解できなかった。 

 漢字が読めない。一行目の四文字目から行きづまる。文末から、覚悟があるのか問いかけているのだと、判断した。

 二行目に、夏休み最後の日に白紙の算数ドリルを見たような情けない呻き声を彼はあげる。


「いぇす、の? ……ぬがぁ、読めねぇ! 悠也みたいに筆記体で書きやがって。つうか野球で使うやつをどうやってこれにすればいいんだよ、おい?」


 彼は英語の成績がとても残念な中学一年生だった。

 カタカナ語を嫌う昔気質な久遠院の家系が、さらに陸の英語の成績を苦しめていた。

 その答えを知る鑑は、どうやら一足先に紫織の命を奪った河原へ行ったようだ。


読んでくださり、ありがとうございます。

ようやくファンタジーぽくなってきて、冒頭と繋がりました^^;

これからもよろしくお願いします<(_ _)>



金生水 遠見の術 使用者・鑑 詠唱『水鏡(みずかがみ)』 

遠くの映像、過去を視る術。 

傘をアンテナに、テレビに異界の景色を写した。


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