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5 閑話・雨傘

※第三者視点のもので、本編七月二十四日とは違う日の出来事になります。

 稲妻。金色の稲穂を結実させる閃き。 

 神鳴。悪事の報いに天から下される罰。 


 地面を叩く水の音。豪雨に濡れていく肌。落雷。奪い去っていく。

 立ち籠める黒煙。建物に燃え拡がる炎。雷火。灼き尽くしていく。


 渇きを訴える躰。癒しようがない。

 また雷。酷い皮肉。なんて残酷な帰結。


 醜く穢れた世界は、どこまでも冷たい。

 わたしは一体、誰に救いを希えばよいのだろう?


◆◇◆


――二日前――


 七月二十二日。また今日も雨だ。天外が抜けてしまったように、ずっと降り続いている。ジメジメと蒸し暑い中、小さな古本屋の軒先で、わたしは雨宿りしていた。 


 古代、雨とは天からの恵みであり、神が零した涙とも考えられたという。


 成る程、確かにそうだ。

 何があっても無慈悲に降り続けるそのさまは、彼らの荒ぶる性質を現している。

 そして高みから姿を見せないそのさまは、悠然と坐すだけの彼らの本質を表している。


 ……そんな盲目的な信者のような考えが浮かぶほど、この長雨にはウンザリしていた。

 憂鬱な心のさまを表すような曇天の空に遮られ、周囲は夕暮れ時のように薄暗い。

 ばしゃりと。前を通り過ぎた車が、豪快に泥水を撥ねた。 


 元より雨除けには頼りない狭い軒先だったのだ。おかげでわたしは全身濡れ鼠になってしまった。

 ……それでも、行く当てなどどこにもない。軒先で無様に縮こまっているのが、今のわたしにはお似合いだろう。


「うわー、さっきよりすごい雨。滝みたいで気持ちいいなー」


 どういう神経をしているのか。ひょっこり古本屋から出てきたそいつは、おっとりと外を眺めた。

 豪雨の中、人工の大輪の花が――チェックの黒い傘が咲き、嬉しそうに水を浴びる。 

 

 蒼穹の空でも見あげるように雨空を仰ぎ、そいつは鼻唄を歌い始めた。

 るんるんと。傘を廻し、水たまりを踏みしめ、童女のように笑っている。

 母の迎えを待つその童唄は、底に哀しい響きがあり、切なささえ感じられた。

 雨の中に浮かぶその笑顔に、わたしは惹き寄せられる。 


「あれれ? どうしたのー? あなたひとりー?」


 そいつはわたしに気づくと、チャプチャプと近づいてきた。

 雨は嫌いだ。嫌いな水に濡れるから。こんな奴にさえ、憐憫の眼を向けられるから。


 とても相手にする気がなれず、鉛の空を見上げた。 

 雨が落ちてくる。(あめ)が落ちてくる。誰かの涙が落ちてくる。 

 でもほら。高みから憐れむだけで何もしてくれない。 


「――?」


 不意に涙が止まった。いや、雨が止んでいた。 

 ……変な奴だ。そいつは屈んでわたしに傘を差し出していた。自分が濡れることを厭わずに。

 

「もう、めーだよー。せっかくこんなかわいいのに、びしょ濡れじゃない」 


 そいつはげっ歯類のように頬を膨らませると、わたしの躰を拭き始めた。有無を言わさずにハンカチで擦る手つきは、けれど優しい。

 変な上に、暇な奴。でも、こんな奴が神さまだったら、世界はもっと穏やかに成るのかもしれない。そんな莫迦みたいなことを、わたしは半ば本気で夢想した。


 雨垂れは、穏やかに世界を潤す。

 でも、心地よい静謐な時間はいつまでも続かない。


「なんだ。まだ居やがったのか、そいつ」 


 古本屋の店主が顔を覗かせ、鬱陶しげに溜め息を吐いた。


「あれ。おじさんこの子知ってるんですか?」

「ああ、最近ここらをうろついてるんだ。商売の邪魔になって仕方ないよ」

「えー。かわいいし、福を招きそうですよー?」

「まさか。そいつの愛想悪い目、よく見てみな。赤いだろ」

「あ、ほんとだー」

「いかにも不吉を呼びそうで、気味が悪いじゃないか」


 ……雨に濡れて、莫迦みたいだ。

 わたしはうっそりと立ち上がる。会話を聞き流し、他の軒先に行こうとする――その背後に声がした。


「もう、おじさん。そんなこと言っちゃダメですよー」


 そいつは緩やかな眦を吊り上げて、人差し指を突き立てていた。 

 口調は柔らかい。だがどうやら本気で怒っているようだった。 

 ……本当に変わった奴だ。なぜ他の者の為にそこまで真剣になれるのだろう?


「すごくきれいじゃない。夕陽を見てるみたいでわたしは好きだよー」


 わたしの頭をわしゃわしゃと撫でて、そいつは微笑する。

 大人のような淑やかな笑顔だ。雲の隙間から差し込む太陽のように暖かく、(かな)しいものさえ秘めている。

 なんて顔をするのだ。少女の浮かべる笑みに、わたしは眼が離せなくなる。


「はぁ。紫織ちゃんの優しさには敵わないよ」


 店主は見当違いのことを言う。己の是と思うことをそのまま為せるこの娘は、強いのだ。

 敬われるのではなく、畏れられるのでもなく、憎まれることもなく、阿られるのでさえもない。忌み嫌われるわたしが人から擁護されたことなど、果たして今まであっただろうか。 

 思い出す。そうだ、この娘は――。


 雨が好きらしいそいつは濡れながら、夏の驟雨の中をのんびりと歩いていった。

 傘が力強く雨を弾く音。古本屋の軒先にはチェックの黒い雨傘が残っていた。 

 わたしは雨が嫌いだ。嫌いな水に濡れるから。そして動けないわたしは、因縁果の流れに絡め取られることになるから。


 分厚い雲から光が差し込み、雨の代わりに蝉時雨が煩く鳴き始めた。

 ただ――煩わしく泣いていた。 



“うそつき”



 愚かでちっぽけで弱々しく。誰よりも泣きじゃくっていた。

 それはやり残した責務。果たせなかった、果たさねばならぬこと。

 だからわたしはこの場所から動いてみることにした。


読んでくださり、ありがとうございます。

次話より承のパートに入ります。

テンポが遅いですが、これからもよろしくおねがいします。

ご意見感想、誤字脱字の報告等、ご感想お待ちしております<(_ _)>


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