世界一美味しいレタスでいいよ
古川が美術部をやめた。そしてついでに、彼は私の彼氏も、やめた。
私は美術室で鉛筆を握りしめていた。
三年生は文化祭で引退してしまったから、これで美術部は残り二人。私と、一年生の宮本くんだけ。きっと、来年は廃部だな。
宮本くんはといえば、来て早々色紙を広げていた。色とりどりの折り紙を、ハサミで三角に切り刻んでいく。
宮本くんは絵が上手い。なのに気が向いたときしか描かない。いつも遊んでいるのに、いつの間にかびっくりするような絵を完成させている。もし私が宮本くんくらい上手かったら、一日中描いてるのに。
でもたぶん、好きなときに好きなように描くから、あんな絵が描けるんだ。
「部長、手伝ってくれませんか?」
突然宮本くんに声を掛けられた。部長と呼ばれるようになったのは最近だから、すぐに反応出来なかった。
私は目の前の真っ白な画用紙に目をやってから頷いた。赤い色紙を手に取る。
「……なに作ってるの?」
「もちろん紙吹雪です。部長、こういうの得意そうだし」
はい、と彼は私にハサミを差し出した。
「ふうん……」
無愛想にハサミを受けとり、私は素直に紙吹雪作りを始めた。なんで紙吹雪なんて作ってるのかと聞く気には、ならなかった。
色紙を切る、ちょきちょき、という音だけが響いている。
「昨日、古川先輩からやっぱり美術部やめるってメール来ました」
この宮本くんのひと言で、ああ全部バレてるんだな、と思った。
私が古川に振られた事も、そのせいで彼がやめてしまった事も。
「うん。気まずいだろうし仕方ないよ」
口にしてみたら、悔しさがこみ上げてきた。仕方ない? 私が彼に振られたのも、私に魅力がないから、仕方ないの?
ハサミを持つ手に力がこもった。
ちょきちょき、ちょきちょき。
「――振られた理由さ、なんだったと思う?」
「さあ……」
宮本くんは苦笑して首を傾げた。私は構わず続ける。
「君のお姉さんが好きになったから別れて欲しい、だって。昼ドラかよ」
ちょきちょき、ちょきちょき。
三角に切られた色紙が、机の上に広がっていく。
「それはまた、切ないですね」
「こう言ったらなんだけど、私とお姉ちゃんって、結構似てるんだよ。顔も、声も。むしろ、お姉ちゃんの方がドジだし、地味なの」
「へー」
私は手を止めて、ため息を吐いた。
「似てるのに、わざわざ姉を好きになるって事はさ、よっぽど私は駄目なんだなって思うと、悔しい。私じゃ、駄目なんだよ」
たった一人に振られただけなのに、あの瞬間、私は自分の全てを否定されたような気がした。君よりあの子がいいって言葉は、胸の奥まで突き刺さる。
俯いていると、宮本くんは紙切れを寄せ集め出した。
「古川先輩は、キャベツ派なんですよ」
「……なんの話?」
「たとえ話です。――部長は、すっごく美味しいレタスなんです。でも、世の中には、美味しいレタスより普通のキャベツが好きな人もいるんです。部長は美味しいレタスとして、胸を張っていればいいんですよ」
「……人のこと、レタス呼ばわりするのはどうかと」
「だって、レタスとキャベツって見た目似てるでしょ? でも味も調理法も全然違うんですよ」
ああもう、それでいいや。レタスでいい。私はキャベツにはなれない。
「じゃあ、世界一美味しいレタス目指すよ」
「頑張って下さい。ちなみに俺は、レタス派ですよ」
「――え?」
瞬間、宮本くんは立ち上がり、両手いっぱいの紙切れを私の頭の上で放った。色とりどりの紙切れは、紙吹雪になってちらちらと舞う。
目を見張った私に、宮本くんはにやりとする。
「部長が美術部に残ってくれたお祝いです」
私が呆れて笑うのを見て、彼は満足げな顔をした。
私はそこら中に散らばった紙切れに視線を落とす。
「片づけるの大変だよ、これ」
「……頑張ります」
「先生に見つかったら怒られるよ」
「……ご、ご内密にお願いします」
「うん、言わないよ。誰にも、言わない」
きっぱりとした口調で言うと、宮本くんはきょとんとした。
スカートに乗っている紙吹雪をつまみ上げて、私は目を細める。
悔しい気持ちは、どこかにいってしまっていた。
まあいいや。レタス好きもいる筈だもの。少なくとも目の前に、一人はいる。
きっとそれで、十分なんだ。