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8〜絶えぬ苦悩〜

「…………」


 俺は昼間の出来事を思い浮かべながら、リビングでただ寝そべっていた。

 あれから時間は経ち、一般家庭では晩飯時の午後六時半。七瀬母も帰宅して、今は夕飯の準備をしている。

 どうして七瀬の部屋に向かわず、今ここで寝そべっているか――理由は簡単。空気を読んでいるだけだ。

 先ほど抱きしめられたとき、不思議と七瀬の考えていることが伝わってきた。もちろん、抱きしめられたときの涙も静かな嗚咽も、何かと敏感な感覚を持っている今の俺には筒抜けなのだが。

 あの時、七瀬は確実に俺に対し『乾仁』としての姿を投影していた。俺がある意味では期待し、ある意味では恐れていたことが現実になってしまったのだ。

 このことを起点に、俺はより一層の愛情を注いでもらえるだろう。けれど、俺が存在することで仁としての俺が七瀬の心に根強く残ることになる。

 ダメだ……このままでは、俺が何のために転生してきたのか分からないじゃないか。

 俺の幸せのため? 否、間違いなく七瀬の幸せのためだ。

 だとしたら、ここで七瀬の心に仁の存在を居座らせたらダメなのではないか?


「ナナちゃーん! ご飯出来たわよ~!

 ……ねぇジン、ナナちゃん呼んできてくれない?」

「わうっ」


 しかし、そんな思考を遮るかのように七瀬母からお声が掛かる。いつも思うけど、こういうネガティブな思考をしているときに限って茶々入りすぎじゃないか?

 これも女神の采配だとしたら……よし、今夜は逆にお手をしてやろう。

 益体も無いことを考えているうちに気が晴れた俺は、慎重に階段を上りながら七瀬の部屋を目指す。

 一応木造の一軒家なので、先ほどの七瀬母の声は七瀬に届いているはず。反応しないということはきっと寝ているのだろう。

 部屋の前に辿り着くと、相変わらず立ち塞がるドアという高き壁。


「……ふっ!」


 しかし、一日経って俺もこの体の扱いには慣れた。今度は一発でドアノブを掴むと、体を振り子にして器用にドアを開く。

 やっぱり、俺は犬の領域を超えた気がする。これならそのうち文字を書くことだって出来るかもしれないな。

 そんなことを考えつつ、俺は七瀬の部屋に入る。やはり寝ているらしく、俺はベッドの上に飛び乗ると七瀬の肩を頭で揺さぶった。


「……ん、ジン?」

「わんっ!」


 目覚めつつある七瀬を、俺は控えめに吼えて起こす。むくりと体を起こした七瀬は、可愛らしい控えめな欠伸をすると一言。


「……おはよっ」

「……くぅ(いや、早くないから)」


 思わず本音が漏れてしまいハッと口をつぐむものの、今は聞こえていないんだと気づき冷や汗をかく。

 生前七瀬に盾突こうものならば、一瞬の早業で首を絞められてたっけ……今では面影も見当たらないな。

 その変化に少し悲しくなりつつも、俺は先導を切って部屋を後にする。流石に七瀬も気づくだろう。

 予想通りのろのろとついてきた七瀬にほっと一息つきつつ、俺はまたしても慎重に階段を下りる。もう階段で転げ落ちるのはこりごりだ。

 七瀬が追いつくのを待ち、ゆっくりと降りてきた七瀬と共にリビングへと足を運ぶ。


「あっ、ナナちゃんやっと来た!

 ほらほら、ご飯冷めちゃうわよ?」

「……うん」


 未だに眠そうな顔のまま食卓につく七瀬。俺はその様子に苦笑しながら、食卓につくわけでもなくその辺で待機。

 小さかった頃は、俺も食卓で度々ご馳走になってたっけ。七瀬母って料理上手だからなぁ~。

 そんなことを思い出しつつ、随分前から嗅覚を刺激してやまない匂いに思わず涎をたらす。行儀が悪くてもいいじゃない、犬だもの。

 匂いだけで旨みの伝わる魚介だし、ぐつぐつと煮込まれているそれはおそらく――。


「はい、消化のいい鍋焼きうどんよ~。よく噛んで食べるのよ?」

「もーっ、私は子供じゃないんだから。……でも、ありがと」


 予想通り、犬と化した俺の聴覚と嗅覚はこれくらい余裕で当てられる。便利なモンだな。

 七瀬にお礼を言われて満面の笑みを浮かべる七瀬母は、ご機嫌そうに俺の元へと寄ってくる。なんていうか……いい年して何してるんですか。

 俺の考えが通じるはずも無く、ハミングまでし始めた七瀬母にげんなりしていると、いきなり目の前に赤いカップが置かれた。

 この形状、アニメとかでよく見る犬用の器だな。つまり、今日から俺の飯はこれに入れられるわけだ。

 普通のことをいたって普通に考えていると、七瀬母は少し冷めたうどんと小さなソーセージを持ってきた。

 てっきりドッグフードとかが入れられると思っていたのだが……流石に偏見だったか。今は人間と同じものを食べられることを喜ばねば。

 ゲンキンな腹の虫が鳴き一刻も早く食べたかったが、そこは我慢するのが元・日本男児。七瀬母は俺の目の前に立つと、しゃがみこんで右手を差し出す。


「はい……お手」

「わうっ」


 やっぱり来るとは思っていたが……もう少し笑顔でやりましょうよ。見てるこっちが怖いです。

 相変わらず俺の扱いに慣れていないのか、七瀬母は頑なに目を合わせようとしない。胸がチクチクと痛むが、こればかりは俺の方が慣れるしかないだろう。

 おかわりを要求されることも無く、そそくさと去っていく七瀬母を見送りつつ、俺は心の中で頂きますと言い喰らいつく。

 うん、相変わらず美味しいな。犬用だから味は薄めだし、ソーセージも油が抜かれてもそもそとしている。

 けれど、態度には表されないものの食事から確かに七瀬母の愛を感じた。勘違いかもしれないけれど、それが俺には途轍もなく嬉しく思う。

 俺の様子を見て微笑む七瀬、呆れ顔の七瀬母。まだまだ俺にとってはぎこちない空気だけど、今はこれでいいんだ。

 こうして人に囲まれて、一緒に食事が出来る。犬として新たな生を得た俺にとって、これ以上の幸せを求めるのは贅沢だというものだろう。

 そんな和やかな空気を噛み締めながら、俺はあっという間に供された飯を平らげた。


「ご馳走様でした!」


 七瀬も食べ終えたらしく、満足そうな声がリビングに響く。

 それを見た七瀬母は、いきなり七瀬の首元に抱きつき頬ずりする。相変わらずの溺愛っぷりだなぁ……。


「もう、くすぐったいよぅ」

「そんなこと言わないのっ。うーん……熱も下がったみたいね。

 それじゃ、デザートあるんだけど食べられそう?」

「デザート……食べるっ!」


 親子のほんわかとした会話に思わず微笑んでしまう。デザートかぁ……。


(って、デザートだとぉぉぉっ!?)


 七瀬母の発言に、思わず過剰に反応してしまった俺。無意識だが、きっとすごい勢いで尻尾が振られていることだろう。

 何せ俺は、自慢じゃないが極度の甘党だ。三度の飯もスイーツでいいと思えるくらい大好きだ。むしろ愛している。

 どんなものが出てくるかワクワクしていると、七瀬母が冷蔵庫から取り出したもの、それは――。


「はい、シュプランのチョコケーキ!

 最近ニュースで話題だから買っちゃった」

「うわぁ……美味しそう」

「わんっ、わんっ!」


 ケーキの姿は僅かしか見えないものの、出てきた名前に俺は興奮を隠せない。

 シュプラン……スイーツブランドとして人気を誇る有名チェーン店。隣町に新店舗が出来たのは、俺が生きている頃から知っていた。

 何でもケーキがとっても、それこそほっぺが落ちるくらい美味しいのだとか。いつかは食べてみたいと思っていたが、足を運ぶ前に俺は死んでしまった。

 そのケーキが今、目の前にあるのだ。興奮せざるを得ないだろう、これは。


「ふふっ、ジンも食べたそうだね。

 ……けど、犬ってチョコレートダメなんだよね?」

「うーん……私は詳しくないけど、確かにチョコはダメかも。

 脂っこいし、味が濃いし」

「っ! くぅ~ん……(なっ! 別にいいから、一口だけでも……)」


 そんな展開認めない、絶対認めないぞ。目の前に未練として残したケーキがあるのに、食べずに死ねるかっ。むしろ食べて死にたい。


「……ジンには申し訳ないけど、二人で食べよっか。

 ゴメンね、ジン」

「……くぅ~」


 最大限に目を潤ませて懇願するも、やはり俺の身を案じているようだ。結局、一口も食べられぬまま二人はケーキを食べ終えた。

 ところどころに見せる二人の幸せそうな表情が、今の俺にはものすごく辛い。俺も食べたかった……食べたかった。

 改めて犬として生まれ変わったことに悔しさを噛み締めた、幸せ半分辛さ半分の夕食だった。


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