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7〜涙、流れて〜

「ただいま~……って、ママまだ帰ってないんだ」


 多少のドタバタはあったものの、私は無事家に到着することができた。

 家の壁掛け時計を見ると時刻は三時半。さして時間は経っていないけれど、病み上がりの私にとってはそこそこの疲労を覚えた。

 私の隣でトコトコと歩いているジンは……そこまで疲れていない感じだ。羨ましい。

 とりあえず復路で消耗した水分を補給するべく、キッチンへ向かおうとする。


「と、その前に……」


 玄関に上がろうとするジンの足を、とにかく綺麗に拭いてあげた。

 こうしないと多分ママが怒るからなぁ……まぁ、綺麗好きなのはいいことなんだけど。

 隅々まで拭いて汚れを落とすと、ジンに向けて笑顔で頷く。すると、それに応えるかのように一度軽く吼え、そして廊下を直進する。

 なんだろう、この妙に懐かしい感じ。私は今まで一度も犬を飼ったことは無いけれど、不思議とずっと前からこの子の存在を知っている気がした。

 ……気のせいだよね、きっと。

 小さく息を吐き、先ほどまでの考えを払拭するとキッチンにある冷蔵庫を開け、冷やしてあるミネラルウォーターを取り出した。


「はい、お疲れ様っ」


 労いの声をかけつつ、私は器に注いだ水をジンの前に差し出す。

 もちろん、今回もすぐには飲ませない。私は右手を差し出すと、さっきのように笑顔で一言。


「お手!」


 私の声に反応したジンは即座に右手をポンと置き、物欲しげな目で尻尾をブンブン振っている。

 反応の速さに相変わらず驚かされつつ、きちんと次の動作を待っているジンの律儀さにも感心した。

 まだ一緒に過ごしてあまり時間は経っていないのに……なんて従順で、いい子なんだろう。


「おかわり!」


 左手を差し出すと、ジンもまた素早く左前脚を差し出す。

 すごいなぁ……なんて賢いんだろう、この子。

 ちょっと嬉しくなった私は、ジンの頭を優しく撫でてやる。気持ちよさそうに撫でられたジンは、それを合図に目の前の水を飲み始めた。

 ぺろぺろと水を舐めるようにして飲む音、それ以外は何も聞こえない静かな空間。

 世界って、こんなに静かなんだなぁ……つい最近までは、もっと世界が賑やかだった気がする。

 その流れが狂い始めたのは、言う間でもなくあの事故からだろう。大切な人を失い、深い悲しみに心はやせ細り、学校でも周りとの隔壁が出来てしまった私の世界。

 私は……喧騒を失ったのか。それとも静寂を手に入れたのか。


「……くぅ?」


 ジンの息遣い、そして視線を感じ取り、私はやっとのことで自らの目に溜まる涙を認識した。

 おかしいな、別に悲しいことがあったわけでも、目にゴミが入ったわけでもないのに。

 子供のように両手で目をゴシゴシ拭うと、ジンに対し強がった笑顔を作る。

 ……仁君の守ったこの子だけには、弱いところを見せたくなかったから。


「ううん、何でもないよ?」


 言いながら、私はもう一度ジンの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 たとえさっきの疑問の答えがどちらであっても、別に構わないじゃない。

 喧騒を失ったとしても、静寂を手に入れたとしても、たまにはこういうのもいいかもしれない。

 勿論、仁君がいなくなった傷は未だに癒えない。けれど、それと引き換えに私はジンと出逢えた。

 熱を出して倒れている私を助けようと、必死になってママを呼んでくれたジン。不審者がこちらに向かってきたとき、臆せず吼えてくれたジン。今もこうして、私の心の支えになってくれるジン。

 そう、今まで仁君の役回りだったことを、ジンが引き継いでくれているのだ。

 だから私は、こうしてまだポッキリ折れずに頑張れる。生きることを諦めず、前を向いていられる。

 

「……ありがとね、ジン」


 水を飲み終わったジンを、私は優しく抱きしめる。突然の出来事にジタバタするジンだけど、私は構わず抱きしめる。

 ……もしも生前の仁君をこのように抱きしめられたら、同じ温もりを感じられたのかな?

 静かに頬を伝う涙を勘付かれぬように、私はジンをずっと抱きしめ続けた。



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