56~二つの視線~
数分後、私と達弘君は学校へと辿り着く。二人で並んで歩く風景は目立つと思われたが、周囲にもそんな男女はたくさんいたし、そもそも私たちは周囲からも仲のいい四人組みとして認知されていたため、さほど気にされる様子も無かった。手でも繋ごうものならば、一気に注目の的となり質問攻めに遭うだろうけど。
教室に入ると、クラスの人間の半数以上がこちらを振り向く。ここ数日休みがちな人間の登校とあってか、さして面識の無いクラスメートも一応気にはかけてくれているらしい。
「おはよー。もう大丈夫なの?」
どう挨拶すればいいか戸惑っている最中、助け舟を出すかのように弁当仲間の市川さんが声をかけてくれる。それが契機となって、私の緊張はかなり解れた。
「うん、もう大丈夫! ……でも病み上がりだから気をつけなきゃ」
「そっか……」
ここで強がることも考えたけれど、あまりに説得力の無い強がりは逆に相手を不安にさせる。ならば少しくらいは心配してもらってもいいだろう……思惑通り、一瞬心配そうな表情になった市川さんは、最終的には苦笑しながら自分の席に戻っていく。
こうして、特に質問攻めされることも無くいつも通りに授業は進む。一時間目から体育であったけれど、病み上がりということで見学。その後は三連続の座額(国数英と実に退屈なラインナップであった)も終わり、あっという間に昼休み。退屈ではあったものの、久しく感じる授業はそれなりに満足感を得られた。学生の本分は学業、という言葉をしみじみと思い出しつつ、私はいつもの女子メンバーに加わりながら弁当を広げる。
「えっへへ~、私にも遂に春が……!」
「なんだとっ! すぐに教えろっ!」
「そーかそーか……ま、私が先輩だがな。わはは」
「くっそ、幸せ者共め……爆発してしまえ」
相変わらず恋バナに花が咲く私たちの界隈は、目に見えぬ桃色のオーラを放っている。一応はそれに加わっているものの、積極的に話に参加しようとはしない。無論、墓穴を掘ることになりかねないから。
不用意に私へ質問する人間が居ないことが、何よりも救いだった。今ここで仁君の話を持ち出され、追求された日には逃げることも許されず、泣きながら話すことだって――。
「そーだ川本さん、あれから恋とかしないのー?」
「…………えぇっ?」
一人で思考に耽っていると、唐突に正面から声が掛かる。つい最近彼氏が出来たらしい高木さんは、何の気なしに問いかけてきた。私が一番聞かれたくないであろうことを。
そして、その言葉がきっかけとなって周囲の視線が一気にこちらに集まる。もう逃げられない、誤魔化すことも叶わない。一体、どうすれば……。
「えっと、その……」
どうにか言葉を濁すことで平静を保っているものの、胸中はいつ気絶してもおかしくない程、プレッシャーに圧迫されている。どう答えれば、彼女たちは納得するのだろう。どう答えれば、私は満足するのだろう……。
沈黙が場を支配し、そろそろ言葉を発しないと相手が業を煮やしそうな空気。そんな時、私は直感的に二つの視線を感じる。ふと振り返ると、その視線はどちらとも私のよく知る人物から発せられていた。
「…………」
一人は、小さな諍いの末に心交わすことが出来た、私と同じ気持ちを抱いていた男子――柿崎悠君。その目は細められていたものの、妙な目力が込められていた。
もう一人は、親友という意味でも恋している人という意味でも、現状で私にとって最も大切な存在だと思える男子――河波達弘君。周囲の男子が談笑している中、こちらに釘付けになりながらも私と目を合わせ、そして小さく頷く。その真意はよく分からなかったけれど、妙な安心感を覚えさせてくれたのは間違いない。
二人とも、影で私を支えてくれている。私が過去に引きずられないように、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれるかのように。
ならば、本心を打ち明けてもいいのだろうか。あまりの速さで過ぎ去ったここ数日、たくさんの変化があった。辛いこともあった。もちろん、嬉しいこともあった。
今の私を見て、お星様になった仁君はどう思うのだろう。簡単に心変わりしてしまう私のこと、嫌いになるのかな。それとも、一度幸せを失っても幸せを求め続けたことを、褒めてくれるのかな。
……大丈夫、私は仁君のこと、忘れたわけじゃない。心の中で、しっかり生き続けてるから。
「うん、してるよ。次の恋」
あれだけ躊躇ったにもかかわらず、あっさりとその言葉は出てしまった。どういう答えを期待していたのかは知らないけれど、私の返答を聞いた周囲の女子はポカンと呆けた表情になり、一斉に黙り込んでしまう。先ほどまでの空気は一転、私がこの場を支配している。
「もちろん、仁君のことはすごく辛い。今でも会えるのならぎゅって抱きしめたいし、たくさんの愛の言葉を交わしたい。……けど、事実は事実。仁君はもう帰ってこないし、それを理由に逃げ続けるのは卑怯だなって」
「…………」
「だから、私は前を見ようと努力する。そりゃあ、いきなり大好きだった人への愛を捨てて他の人を愛するなんて、とてもじゃないけど出来ない。それでも……横を見れば、私と一緒に歩いてくれる仲間がいる。私と同じ想いを抱きながらも、前を見ようとする仲間がいる。
だからこそ、私はそんな人たちと一緒に歩み続ける。それをきっと、仁君も――」
そこまで口にすると、一度言葉を止める。そして瞳から流れ落ちる静かな涙を拭いながら、最大級の笑顔で言い放つ。
「――仁君も、望んでるから!」
またしても沈黙。けれど、それは先ほどのように私にとって居心地の悪い空気ではなかった。私の想いが万人の心に響くとは思えない。もしかしたら、一途な人間にとってはそれすらも言い訳と聞こえるかもしれない。
でも、言いたいことは言った。達弘君、流花ちゃん、柿崎君……私を支えてくれた人の言葉、その想いを胸に刻み込み、私自身が出した最終的な結論。たとえ周囲に受け入れられなくても、構わない。私自身が満足し、仁君の気持ちも斟酌して導き出した答えなのだから、悔いも無い。
「……川本、さぁん」
「ど、どうしたの?」
「うわぁぁぁん……なんで、そんなに素敵な話するのよぉ!」
質問した当人はというと、しばらく黙り込んだ後に急に泣き出し、私に抱きついてくる。そして、それにつられて他の女子も続々と私の周囲に集まり、手を握ったり抱きしめてくる。
「くるひぃ……」
「私、七瀬ちゃんの次の恋、全力で応援するから!」
「そーだよ! きっと、川本さんなら大丈夫!」
「みんな……」
計五人の女子に囲まれ、更にクラス全員の視線を浴びるのは中々に辛いものがあった。でも、不思議と気分は悪くない。これほどまでに自己主張することが怖かった事案も珍しいけれど、それを受け入れて尚且つ応援してくれるこの教室のメンバーの気持ちが、素直に嬉しかった。
もみくちゃにされながら、私はもう一度先ほどの二人に振り向く。柿崎君は私と目が合うと、恥ずかしそうに顔を窓側に背けながら頬杖をつく。達弘君は、苦笑しながらも小さくサムズアップし、そして笑顔を放つ。
うん、これで良かったんだ。……良かったんだよね、仁君。
キーン、コーン、カーン、コーン。
「っと。予鈴なっちゃった。野郎共さっさと食えー!」
いつも通りの慌しい食事風景が戻り、思わずクスリと微笑んでしまう。今まで封印されてきた日常が、たった今解放されて戻ってきたような、そんな気分。これほどまでに学校が楽しいと思ったのは、仁君がいなくなってから初めてかもしれない。
私も遅れを取るまいと、広げられた弁当をそれなりに急いで食べ始めた。




