55~並ぶ歩み~
その面影は、一瞬だけ仁君を思わせた。彼も私と付き合ってからは時々、こうして登校前に門の前で待ってくれていたこともある。けれど、そんな彼は居るはずもなく。
「おはよう、達弘君。ご心配おかけしまして……けど、もう大丈夫っ!」
「そっか、それは何よりだ。……髪型、変えたんだな」
気付いてくれた! 内心でガッツポーズをとりながら、私は平静を装って後頭部から生えた小さな尻尾をくりくりと撫で回す。その様子を見ていた達弘君も、先ほどまでの苦笑いから一転、朗らかな笑みを浮かべた。
「う、うんっ! どう、かな?」
「……すっごく似合ってる。可愛いよ」
あまりにストレートかつ気の利いた言葉に、鼓動が高鳴るのを感じる。少し期待はしていたものの、こうも思い通りに褒められてしまうと逆に動揺してしまう。不意打ちと言うわけじゃないけれど、これはどうにも……ズルイ。そんな満面の笑みで包み隠さず『可愛い』だなんて言われたら、私でなくてもキュンとしてしまうではないか。
誤魔化すのも億劫になって思い切り赤面しながら、私は達弘君に歩み寄る。一気に近くなった距離、しかし今までは自然に振舞えていた距離。けれどどうしたことだろうか、今まで通りに目を見て話すのがすごく難しい。
恋って、こんな感じだった。好きな人とは目も合わせづらいくせに、一緒に居るだけで幸せ。ほんの一週間前まで覚えていたのに、ぽっかりと穴が開いてしまったその感覚を、達弘君はいとも簡単に取り戻してくれる。
そんな単純な私が大嫌い。けれど、再び誰かを愛せるようになった私は……嫌いじゃない。
「それじゃ、行こっか?」
「おう! ……なんか、嬉しいな。こうして二人で登校するってのも、悪くない」
「それは……こっちの台詞だよ」
昨日の出来事の所為だろうか、互いにどことなくぎこちない挙動になってしまう。私は達弘君の好意を知っているし、私自身も達弘君に好意を抱いている。その条件だけで言えば、あと一歩踏み出せばすぐにでも彼氏彼女の関係になることは可能。けれど、この心と心が触れるか触れないか、際どい関係と言うのもまたすごく楽しい。
こういう幸せの形もまた、悪くない。
「そうだ、今日私のうちに来ない? 流花ちゃんも誘って!」
「俺は構わないんだけどさ……二日連続でお邪魔しちゃ、悪くないか?」
「全然問題ないよ! ママもパパも、達弘君と流花ちゃんのこと好きだから!」
「そっか……それじゃ、お邪魔しようかな」
いつも通りの通学路を歩き、いつも通りの会話を交わす。けれど、いつも以上に楽しいのはどうしてだろう。……答えなど問うまでもあるまい。
二人並んで歩き続け、その間にもたくさん話した。雑談や夏祭り、そして迫る夏休みの計画等々……弾みに弾んだ話でひとしきり笑うと、背後からよく知る人物の気配を感じる。
「やほー! ナナ、体調はもう大丈夫か? 熱下がったか?」
「あっ、流花ちゃんおはよっ! うん、心配ないよ~」
「あぁ、よかった……して、なんでパーカーがここにいんの? 道違うだろうに」
「んだよ、別にいいだろ? 俺もかわもっさんが心配になったもんでな」
「…………ま、いいけどさ」
実に面白くなさそうな顔をする流花ちゃんを見て、私は自然と笑みがこぼれる。いつもは立場的に流花ちゃんのほうが強いはずなのに、今日は調子が良いのか達弘君が勝っている。目配せをすると、達弘君もまた私に向けてニヤリと微笑んだ。
「……お二方、やけにいい空気じゃん。何かあったの?」
「「別に~?」」
流花ちゃんの問いに二人分の声が重なり、私と達弘君はまたしても微笑み会う。更に訝しげな表情になる流花ちゃんは、最終的に追求するのを諦めたのか首を振ると私たちの前を歩き出した。ツカツカと歩くその後姿は、拗ねているようにも見える。
きっと、流花ちゃんのことだから勘付いているんだろうな……少し申し訳ない。けれど、これは私が決めた選択。最初は慣れないかもしれないけれど、きっといつか分かってくれるはず。
「……あれ、そういえば」
「ん、どうかしたのか?」
「うぅん……そういえば、流花ちゃんの恋、私知らないなぁって」
「…………」
何気なく発した言葉に、黙り込んでしまう達弘君。深く考えているわけでもなく、どちらかと言えば何か後ろめたいことがあるような表情。それが少しだけ気になったけど、この話題を続けてはいけない気がした。何か、達弘君の琴線に触れそうな気がして……。
しばらくの沈黙の後、私たちは再び歩き始める。流花ちゃんの背中は随分と遠くなってしまったけれど、まだ視界の内にはいる。それだけで、ちょっとだけ安心する。
……ふと考えたことだけれど、よく考えたら私は流花ちゃんとは仲良しだけれど、彼女の恋愛話に関しては殆ど知らない。いつも私は流花ちゃんに相談を持ち掛けてばかりで、相手のことを聞く機会が無かった。
なんでだろう……その事実が、少しだけ怖い。まるで、自身の悩みを一人で背負い込んでいるようで。
「七瀬、大丈夫か? 顔真っ青だぞ」
「……うん、大丈夫」
少しぼーっとしていただけなのに、随分と心配されてしまった。確かに顔の血がサッと引いていく感覚はあったけれど、まさか表に出るほどとは。
病み上がりで心配をかけたくなかった私は、首を振るとキリッと視線を前方に向ける。そうだ、今日は折角学校に久しく行くんだ。元気な顔を見せなきゃ!
明らかに変わったであろう私の表情を見て、達弘君も安心したのか小さく息を吐く。こういう時、仁君なら無理にでも熱を計ろうとするのだろう。けれど、達弘君は毅然とした表情で、再び通学路を歩き始める。
やっぱり、似てるようでしっかり違うんだなぁ。もう十年以上の付き合いなのに、新たな一面を発見してしまった。それが嬉しくて、思わずはにかんでしまう。
四人で過ごした青春は、あまりにも唐突に砕け散ったかと思われた。けれど、私たちが覚えている限り、歯車は欠けること無く廻り続ける。悲しい気持ちが消えたわけじゃないけれど、仁君の分まで今を楽しまなきゃ。
自分に言い聞かせるように胸に手を当てると、小さく呼吸を繰り返す。右手で鼓動を感じながら、しっかりと脳に刻み込むように、呟いた。
「私は、生きてる」
隣で達弘君が小さく首をかしげているけれど、今は気にしない。この楽しいひと時に、私の雑念が関与する余地など絶対に与えない。
左を向いて達弘君に微笑みかけると、通学路を無言で歩きだす。
ほんの少しだけ、達弘君との距離を縮めながら。




