51~変わる理由~
「……くぅ(……思い返せば、長いモンだな)」
「なんでさ……なんで、そんな話をするんだよ」
「くぅん、きゅう(あの後、七瀬も達弘も公園のみんなも、一緒に泣いてくれたっけ)」
「人の話を聞けっ! なんで、今、るぅちゃんの話が出てくるんだよっ!」
未だに辛い過去の回想をする俺の態度が琴線に触れたのか、仲島は激昂する。親が気にしないか心配なのだが、彼女にとってそんなことは些事なのだろう。
俺だって、辛い出来事を無理矢理掘り返したくはない。けれど、俺にとってあの出来事は間違いなく、自身の考え方、ひいては人生を変える出来事だったのだ。忘れられるはずがないし、寧ろ大切にしたい思い出ですあらある。
仲島にとっても、きっと……。
「くぅ~ん(なんでって、そりゃあ大事なことだからだ)」
「分かってる! るぅちゃんのおかげで仁にも会えたし、自分の存在を受けれいれることも出来たし……友達も、出来たし」
「くぅ?(なら、なんでそんなに悲観的になるんだよ?)」
「だからっ! 今っ! この話の流れでっ! るぅちゃんの死を引き合いに出す必要があるんだっ! ……訳が、わからない」
「……がるる(……あの時、守れなかったから)」
「えっ?」
「がうっ、がうっ!(俺はあの時、守れなかった! それどころか、俺たちはるぅちゃんのおかげで生きてるんだぞ!)」
「それって、どういう……」
俺の剣幕に動揺する仲島は、思わず抱きかかえていた俺を放す。咄嗟に受身を取り、仲島と対面する形になると、俺はじっと仲島の目を見つめた。
あの時の記憶が間違いじゃなければ、おそらく俺たちはるぅちゃんが居なければ死んでいた。あの小さな命に、俺たちが守ろうとした命に、逆に助けられたのか。
「ぐる……がうっ!(俺は、聞いたんだ……俺たちが意識を失っている中で、必死に吼えていたるぅちゃんの声を!)」
「…………」
「がるぅ……がぅ、がうっ!(俺は、あの時みんなで生きて帰るって言った。けど……るぅちゃんは最後の体力を振り絞って、俺たちを生かした。自身の命を省みずに!)」
「そんな……でも……」
がくりと肩を落とす仲島に寄り添い、もう一度彼女の膝元に飛び乗る。先ほどの嗚咽のように小刻みに震える体は、数十分前よりもかなり冷たい。
「ぐぅ……くぅん。……わふっ(だから……俺は、誰にも不幸になってほしくなかった。小さな命一つとっても、俺にとっては大切な存在。……見知らぬチワワでさえも、な)」
「……まさか、それが理由で?」
「くぅん、くぅ~。……わぅ、くふっ(あぁ。馬鹿だと思うなら嗤ってくれても構わない。けど……俺は、忘れられなかった。あの時失っていたはずの命を、るぅちゃんが助けてくれたこと。命を投げ打ってでも、何かを守ろうとする信念を)」
「……やっぱり、仁は馬鹿野郎だ。それも、死んでも治らない大馬鹿野郎」
仲島から発せられるのは、乾いた笑い声。同時に、俺を抱えたままゴロンと背後に倒れこむと、仰向けのまま俺を持ち上げる。赤ちゃんに『高い高い』をするかのような構図に思わず苦笑するが、不思議と気分は悪くない。
「なんていうかさ……愚問だったね。そりゃあ、仁は昔からお人好しだったけどさ、自己犠牲の発端が私とるぅちゃんだなんて。ははっ、ホント傑作だわ……」
「くぅ~ん……くぅ、わふっ(あぁ、本当だな。けど……お前とるぅちゃんのおかげで、俺は変われた。皆……てか、命の大切さを知れたし、大好きになった)」
「あははっ、変なの! 命が大好きとか……仁は神様かっての!」
「わんっ! ……くふぅ、くぅん(何とでも言え! ……だから、七瀬には本当に悪いことをした。皆にも迷惑をかけた。けど、俺は後悔してないんだ……こうして、仲島とも腹を割って話せたしな)」
俺の気持ち全てを表すには、あまりにも言葉が足りなすぎる。もっと時間をかけて、心の底から仲島と話をしていたい。今ならそれが許されるのだろうけど、何分胸がいっぱいでどんな言葉を発すればいいのか分からない。取り留めのない言葉なんて、カッコ悪すぎる。
それでも、仲島には通じたらしい。今まで見たことのないような優しい表情になると、俺をゆっくりと抱きしめる。体温も先ほどより上がったらしく、心地よい温もりが俺の体を包み込み、形容し難い幸福感を覚える。
「そっか……そんなこと聞いたら、私はますます仁を好きになるじゃないか。帰らぬ人に恋心を抱かせるなんて、罪な奴だ」
「くぅん……ふっ(そんなこと言われてもな……それは、生前で出遅れた仲島が悪い)」
「え、どゆこと?」
そこまで言葉にして、俺は思わず口を噤みたくなる。けれど、いまさら言葉を取り消すことは出来ないし、濁したところで確実に仲島にはお見通し。正直に吐くしかあるまい。
少しだけ恥ずかしいが、折角死んでも言葉が発せられる身分なのだ。墓まで持っていくのも勿体無い……というか、この表現が通じるのかどうかは甚だ疑問だが。まぁそんなことはどうでもいいのだけれど。
「くぅん……わぅ(なんつーかな……俺、仲島のことが好きだった。七瀬は親友の延長なんだけどさ、仲島はその……うん、アレだ)」
「な、なんだよ……男ならはっきりしろ!」
「わんっ。くぅ……(そうだな、うん。俺にとって仲島はあの時から、七瀬とは違う特別な存在だったんだ。守ってあげたくなるような、一緒に居て安心出来るような……そんな感じ)」
「っ!」
結局取り留めのないダサい言葉になってしまったが、俺が留めてきた気持ちは伝わったのだろうか。そんな疑問も、仲島が異常なまでに赤面していることを見れば、答えなど問う間でもあるまい。七瀬に言われたら、きっと泣きながらボコボコにされるんだろうな……遠い目をしながら、そんなことを考えてしまう。
仲島はひとしきり赤面した後……俺の頭に何故か愛おしそうに頬ずりする。寂寥感にも似た何かが滲み出ていて、とてもじゃないが俺が口を開ける雰囲気ではない。時計の秒針が一周するほどの時間をかけた後、ボソリと仲島が呟く。
「……じゃあ、私が告白してたら」
「わんっ!(あぁ、付き合ってた。喜んでな!)」
「ずるい……今更そんなこと言うなんてさ」
「くぅ~?(それは、昔から自己主張を遠慮してたお前の所為でもあるんだぞ、流花?)」
「そ、それは私の性分だから……って、え?」
耳聡い、としか思えなかった。幼少から呼んできて、思春期と言う面倒くさい時期に突入してから封印し続けてきた流花の名を久しく呼んだことに、この状況で気付くとは。相変わらず鋭いというか、本当に敵わない。女子って怖い。
呼称しか変えていないというのに、流花はどうしたことか目を潤ませていた。そんなに感動することなのか? と疑問に思っていると……。
「……くっそ、何で今更。ぐずっ……」
「くぅん……(なぁんだ、今でも泣き虫は変わらないのか……)」
「うっさい! 全部仁の所為だっ!」
理不尽だ。真っ先にその言葉が浮かんだものの、流花の意見も分からないでもない。俺も同じ立場だったら、取り返しのつかない頃合に告白した俺のことを責めるどころか、恨みすら覚えるかもしれないから。我ながら罪な男だ。
けれど、それでも……流花は、すごく嬉しそうだった。今まで見た表情で、一番幸せそうな表情。見ているだけでこちらも幸せになれるような、そんな表情。とてもじゃないが、言葉では表しきれない。
「あーあ、バカみたいだ! 私だって自分の幸せよりナナの幸せ優先して、結局こうして聞かされて何も残らない。私も仁も大馬鹿野郎だっ!」
「くぅ~……わふわふっ、くぅ?(何も残らないだなんて、言うなよ。……流花がこれだけ強気になったのもるぅちゃんとの出来事が原因じゃないかって、ずっと思ってた。違うか?)」
「……言わなくても、分かるだろ」
「くぅん(悪い、愚問だったな)」
そう。人間は面倒くさい生き物で、何かしらのきっかけがないと変わりづらい。それも、流花ほどに性格を逆転しようとすると、尚更。思えばあの一件以降、あれだけ恐縮していた七瀬に対しても、対等に張り合うくらいの度胸は据わっていた。もちろん、塞ぎこんでいた時期もそれだけ長かったのだけれど。
結局のところ、俺と流花の人生はるぅちゃんとの出会いでがらりと変わったのだ。
「……今なら、仁がこのチワワを助けた理由、分かる気がする。似てるもんな」
「くぅ。わふっ(あぁ。だから、最期の最期に俺はるぅちゃんに追いついた。守れたんだ)」
「そっか……」
ポーン、ポーン、ポーン……ポーン。
言葉が途切れた瞬間、今までは意識的に聞き取らなかった時報が聞こえてくる。どうやら壁掛け時計から聞こえてくるようだが……。
「……くぅっ!?(……って、十一時!?)」
「わー……随分と長く話し込んだもんだな」
十一回鳴った音と時計の針を見て、思わず驚く。帰宅してからもう四時間も経っているのか……本当に、長いこと話したものだ。時間を意識した途端、自然と欠伸がもれてくる。
「……時間も時間だし、今日は疲れただろ。飯は用意するけど、私も風呂入らなきゃだし……別に寝ても構わないぞ?」
「くふぅ~(あぁ、そうさせてもらう。本気で疲れたわ)」
思えば、今日は色々なことがあった。一人で外に出て、野良犬と戦って、ケーキ食べて、流花と思い出話して……とても一日でこなした量とは思えない。そりゃあ、疲れも溜まるさ。
流花が俺の頭を撫でた後部屋を出て行くのを確認すると、瞼をゆっくりと閉じる。次に目を開いたとき、流花はどんな表情をしているのだろうか。……って、こんなこと考えていたら、俺がまるでまだ流花のことを好きみたいじゃないか。この浮気者め。
自嘲気味にくすりと笑うと、俺はあっという間に眠りに落ちる。脳裏に千凪の顔が浮かんだが、今しばらくは忘れておこう――。




