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50~生きること、死ぬこと~

 言うまでも無い、どす黒い雨雲に追いつかれたのだ。あまりに天候の変化が早すぎて驚いていると、先ほど聞いた雷の音がまたしても周囲に響き始める。無論、るぅちゃんがそれを聞いて平静で居られるはずが無い。


「きゃんっ! きゃんっ!」

「るぅちゃん!」


 またしても逃げ出そうとするるぅちゃん。それを今度は仲島がしっかりと抱きかかえ、もう逃がすまいと必死にホールドする。そうしている間にもどんどん雲は広がり、いつ泣き出すか分からない空を見上げながら、俺はすぐに進むべき道を検討する。

 いくら山奥とはいえ、帰るのに一時間も掛からないだろう近所。なのに、満身創痍な身体と悪くなった視界が邪魔して帰路を探すのに集中できない。そうして手をこまねいた末――。


 ポツ、ポツ……ザアァァァッ。


「うわぁっ」


 上空の暗雲は、遂に泣き出した。幾千幾万の雨粒が、下界の有象無象に容赦なく襲いかかる。もちろん、それなりに標高の高い山にいる俺たちも例外ではない。


「ひとしくん、あそこ!」


 必死にるぅちゃんを濡らすまいと抱きかかえながら、仲島は一点を指差す。そこには、少しだけ急になった山の斜面に自然発生した、窪みのようなものがあった。足元は落ち着かないものの、子供二人が雨風を凌ぐには十分すぎる大きさだ。

 急いで駆け出すと、洞穴にも見えるそれにすぐ身を隠す。反応が遅れて服はびしょ濡れになったものの、どうにか雨宿りは出来そうだった。流石に十分もすれば、この夕立にも似た豪雨は過ぎ去って、ぬかるんだ道を歩いて帰れる。そう思っていた。

 ――現状は、そこまで甘くなかった。体操座りでじっと待つものの、一向に雨が止む気配はない。それどころか、徐々に雨脚が強まっている感じさえする。振り返ってみると、このときは『ゲリラ豪雨』なんて言葉が出来て間もない頃だったから、台風でもない限りここまで強い雨が降るなど大人でも容易に想像は出来なかったであろう。

 無頓着な母もきっと天気予報など俺に教えることもなかっただろうし、それを聞いたところで俺自身も無関係に思っていたに違いない。そういう点では、この小規模な遭難は防げなかった事態でもないのだ。


「……くぅ」

「『おなかすいた』、だって。るぅちゃん、かなりまえからなにもたべてないの」

「そう、なんだ……」


 切なそうに交わされる言葉に、目の前で降りしきる梅雨真っ盛りの雨。ずーんと落ち込む心にこれでもかと言わんばかりに、重低音の雷鳴が山に響き渡る。まだ落ちてはいないみたいだが、雲の中で蓄積された電気がいつ俺たちの近くに落ちても不思議ではない。

 このまま帰れないのではないか、ふとそんな想像をしてしまい、自然と身体が震えだす。恐怖が要因なのか、それとも防ぎきれない横殴りの雨に濡れた身体が冷えているからなのか……それすらも見当がつかない。


「……このまま、しんじゃうのかなぁ。ぐずっ」

「――ろう」

「ふぇ?」

「ばかやろーっ! おれたちはぜったいにしなない! るかちゃんもるぅちゃんもおれも、いきてかえるんだっ!」


 半ばヤケ気味に叫んだ声は、雨の音に掻き消されていく。それでも、泣きそうになった自身の心を奮わせる起爆剤としては、仲島とるぅちゃんの存在は十分過ぎた。空腹だし雨も止まないし、隣では大切な友達が泣いている。

 それでも、そんな時だからこそ俺は泣きたくなかった。泣いてしまえば、きっと仲島はもう泣き止まない。脳裏を過ぎった『死』が、現実になってしまいそうだった。

 それだけは、絶対に嫌だ。大切な人が死ぬ姿なんて、見たくない。


「るかちゃん……ほら」

「……うん」


 俺は仲島の隣にくっつくと、小さな肩に腕を回して密着する。俺なんかよりもずっと冷え切った身体は小刻みに震えていた。けれど、肩を組む力を少しだけ強めると、自然と震えも嗚咽も止まる。同時に、るぅちゃんも俺に身を寄せてきた。

 犬の表情はよく分からない。けれど、潤んだ目はまだ輝きを失っていなかった。それだけで、俺の心に安心感を与えてくれる。三人分の温もりは繋がり、それぞれが抱える恐怖に打ち克つ為の原動力になっているに違いない。

 さっきよりも随分と身体は温かくなったけれど、それでも雨は止む気配を見せない。かれこれ二時間はたったのではないか。暗雲はいつしか宵闇へと変わり、時間的にも既に夜へと突入しているように見える。もうそろそろ、母さんも心配する時間だろう。


「……ふわぁ」

「……ねむい、ね。るぅちゃんもねむそうだ」

「くぅ~」

「『さむい』、って。そういえば、そうだね」

「うん……」


 身体が体力を温存することを優先してしまったからか、自然と声も小さくなる。疲労と空腹と寒気、これだけ揃うと本当に眠くなる。この時、雪山に遭難する映画を見たことがあれば、寝るという愚かなことは考えなかったに違いない。

 それでも、睡魔に耐えられるほど精神的に成長していない。いつしか、俺と仲島は身を寄せ合ったまま、重たくなった瞼をゆっくりと閉じていく――。



 …………わん…………んっ!…………



 ――目を覚ますと、俺は暗闇で誰かに抱きかかえられていた。現状を思い出そうと必死に頭を回転させるものの、頭痛となってそれは阻まれる。顔を上げると、そこには銀色のヘルメットを被った男の顔があった。


「おーい、目を覚ましたぞ!」

「こっちの女の子もだ! すぐに救急搬送!」


 女の子? あぁ、仲島のことか……呑気に考えながら、俺は救急車に運び込まれる。担架に乗せられ、白い天井を見て、またしても俺は意識を失う――。


 ――最初に見えたのは、花柄の天井だった。見慣れぬ空間を見渡すと、俺の寝ているベッドの周囲はカーテンで遮られている。それだけで、ここが病院だと言うことは一目瞭然。腕に突き刺さった点滴の管をまじまじと見つめながら、俺はゆっくりと体を起こす。


「……るか、ちゃん?」

「ひとし、くん。そこにいるの?」


 呟きに反応があったことに驚きつつ、俺は左に目を向ける。カーテンで見えないけれど、きっとこの向こうに仲島が居るに違いない。点滴の所為で身動きはとれないので、誰かが来るのをじっと待つことにする。しばらくして、サッと軽やかな音と共に、カーテンが開く。そこには、見慣れた俺の母さんが涙目で立ち尽くし、数秒後には俺を強く抱きしめる。


「仁っ! ひとしぃ……!」

「おかあさん、どうしたの? おれはだいじょうぶだって」

「あんたねぇ! ……三日間も姿消したと思ったら西山で遭難するなんて……山奥には入っちゃダメって言ったでしょ?」

「え、みっか?」


 まだこの時は理解出来ていなかったが、当時の出来事を簡単に纏めるとこのようになる。

 あの時、西山市には突発的に発生した梅雨前線が随分と巨大な積乱雲を形成していたらしく、るぅちゃんの判断は大いに正しかった。記録的な集中豪雨は二日にわたって続き、西山市にかなり甚大な被害をもたらしたとか。

 母さんは俺たちが遭難した当日には警察に捜索願を届けていたらしく、それでもこの豪雨で捜索は大いに難航した。そして積乱雲が過ぎ去ったところで、西山を捜索。そこで衰弱しきった俺と仲島、そしてるぅちゃんを見つけたそうだ。

 当時は、とても凄惨な光景だったらしい。やつれた二人の子供が身を寄せ合い、一匹の犬を二人で抱えている構図。俺が想像してもとても気分のいいものではなく、実際に生死の狭間を彷徨っていたらしい。あと一日発見が遅れていたら、死んでいたかもしれないのだ。

 詳しい説明こそ後にされたものの、とにかく俺と仲島は生きていた。それだけで十分――で、あるはずもなく。


「ねぇ、るぅちゃんは? るぅちゃんはどこにいったの?」

「…………」


 俺の質問に、青ざめた顔で黙り込む母さん。昔からポーカーフェイスが苦手だったこともあり、俺はその反応だけで全てを悟ってしまう。

 信じたくない、信じたくない、絶対に信じたくない。


「おかあさん、うそでしょ? ほら、うそつきはどろぼうのはじまりなんだって……ねぇ、おかあさん! うそっていってよ! ねぇっ!」

「…………」


 ハッキリと言わないことで、俺の心を傷つけたくなかったのかもしれない。それでも、事実に直面してしまえば結果は同じ。俺はがくりと項垂れ、力なくベッドに倒れこむ。

 そこからの記憶は、ほとんど、ない。

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