41~憂う悠~
声をそろえてシュプランの控え室を後にした俺たちは、長蛇の列を成している店頭を抜け出して大通りへと出る。ここは夢見ヶ丘地区の中区であるため、地区の境にあるあかね公園からここまでの距離はざっと計算しても……十分弱は掛かるだろう。そんな距離を俺を抱えて運んでくれたのかと思うと、菊恵さんには本当に申し訳ないことをした。
血まみれになった俺を抱きかかえて街中を歩く菊恵さんを想像して身震いしながら、てくてくと仲島に歩調を合わせて歩き続ける。昨今は犬の放し飼いなんてありえないし、ただでさえ包帯だらけの俺は街中だと否応なく目立ちまくる。それに並んで歩く仲島も同様に目立つだろう、と思いきや、周囲からの視線を気にすることなく堂々と歩く。
そんな姿を見てあからさまに眉をひそめる者や、距離を置く者、挙句の果てに俺たちを指差しながら小声で話す輩もいた。状況が状況であるため、致し方ないのは重々承知。けれど、それらの行為はやはり快いものではなかった。俺の姿を見て引かれるならともかく、その巻添えを喰らっている仲島は少し不憫に思える。
もし、これが虐待だとか思われたらどうしようか。考えすぎだとは思うが、今時の人間は、特に仲島と同年代の若者は何を考えるか分かったものではない。そしてそれが噂として広まったとき――。
「ボケ、考え過ぎだっての。いちいち気にすんな」
「くふぅ(……悪い)」
完全に俺の心中を読んだかのように、ジロリと軽く睨みながら呟く仲島。もちろん、俺にしか聞こえないように呟いているため、周囲から変な視線を送られることもない。
俺としたことが、先ほどまでの考えはあまりにもネガティヴ過ぎた。そうだ、例え噂になったところで仲島は動じることはないし、今まで一度だって虐められていたことなんて……。
(……あれ、仲島って昔はもっと内気だったような)
虐められていた、なんてことはないだろう。けれど、幼い頃の仲島は動物好きだけれど無口で、友達も片手で数えるほどしか居ない、目立たない少女だった。自慢じゃないが友達は多い方だった俺が言うのだから、おそらく間違いない。
段々と逸れていく思考は、どうしてか昔の俺たちを思い出させる。俺、七瀬、達弘、そして仲島の四人組。あかね公園で出会って友達となり、こうして腐れても切れぬ縁で繋がれながら人生を共に歩んだ親友ならぬ『真友』。けれど、それは単純に出会ってからすぐに繋がった縁などではなく、それなりの紆余曲折があってこその縁なのだ。
「……どうした、ジン?」
「…………」
昔の色々な出来事を思い出しながら、仲島の問いに無言で首を横に振って否定する。これは歩きながらする話でもないだろう……込み入った話は、こいつの家ですればいい。
仲島にこれ以上悟られないように、俺はほんの少し歩調を速める。その行為が何になるかと問われたら何にもならないが、それでも気分的に早く仲島の家に行きたかった。それはこの姿で外を歩きたくないというのもあるし、死に掛けた体はやはり疲れを隠しきれていない。
これ以上、誰にも迷惑をかけたくはない。さっさと休んで明日は笑顔で七瀬の家に帰るんだ。
「……ジン、待って」
「くぅ?(どした?)」
歩調を速めてまだ十メートルも進まぬ頃、仲島の静止を受けて俺も足を止める。何事かと声の主に振り向くと、仲島は立ち止まって一点を見つめていた。あまり良くない視力で仲島の見つめる先に目を向けると、そこには一軒の店があった。
『タカサゴ』とポップな書体で書かれた看板に、ショーウィンドウ一面に並ぶたくさんのぬいぐるみ。どうやらぬいぐるみを扱っている店のようだが、仲島は何に目を留めたのだろうか。
そんな疑問を抱えているうちに、仲島は俺を置いてすたすたと歩き出した。別にぬいぐるみを見るのは構わないが、目的くらいは伝えて欲しいものだ。思わず脳内でぶつぶつと小言を言いながら、徐々に遠ざかる仲島の背中を追う。
「……やっぱり。おーい、柿崎ー!」
「っ! ……仲島」
急に叫んだかと思うと、ショーウィンドウの目前にいる誰かがこちらに振り向く。途轍もなく髪の長いその人間は、懐かしい西山高校の男子制服を着ていた。柿崎――その苗字、つい最近七瀬の口から聞いたものだし、俺と同じ学年の生徒として知っている。
件の男子は、やはり柿崎悠だった。先日七瀬に告白し、振られた男。一部始終は聞いたものの、どうしてか憎めない不思議な男だ。外見はチャラいし、授業態度もあまり良かった覚えはない、七瀬に近づけたくない人種の相手の筈なのだが。
そんな柿崎は、仲島を見るや急に憂いを帯びた表情になる。まるであまり見られたくない場面を見られてしまったような、気まずさを前面に押し出した雰囲気。流石に俺でも気になるから、仲島も気にせずにはいられないだろう。
「こんなところで何してるの?」
「……別に、いいだろ」
それだけ残すと、すぐに視線を逸らして逃げ出すように小さく後ずさる。しかし仲島はそれを許さぬようで、大股で一歩詰め寄ると何の躊躇いもなく柿崎の肩をポンと叩く。見た目では軽く触れたようにしか見えないが、実際は思い切り肩を鷲掴みにしているのだ。妙に表情をゆがめる柿崎をじっと見つめながら、顔を近づけて仲島は詰問する。
「まぁそう固いこと言うなって。私たちの仲だろ?」
「どういう仲だよっ! ……はぁ、分かった。話すからその手を離してくれ」
「うむ、素直でよろしい」
結局仲島のごり押しに負けた柿崎は、手が離れた瞬間に大きく溜息をつき、観念したようにがっくりと肩を落とす。どうでもいいが、こいつ俺の存在に気付いていないようだ。気付かれたからといって、別に何か変わるわけでもないが。
仲島の強い視線を受けながら、柿崎は数回呼吸を繰り返した後、静かに口を開く。
「……とりあえず、全部話す。その代わり、俺の質問にも答えてくれないか」
「あぁ、分かった。だからまずは話せ」
「……この店は、死んだ俺の大好きだった人がよく通いつめていた店なんだ。街に出るときはいつもタカサゴに寄って、毎回ぬいぐるみを一緒に選んで……」
「…………」
あまりに唐突に出てきた『死んだ俺の大好きだった人』という言葉に、仲島と俺は思わず息を呑んでしまう。てっきりこいつが単にぬいぐるみ好きだとか、そういう理由だと思っていただけに動揺を隠せない。
仲島の表情が一変したのを見て、柿崎は自嘲気味に笑いながら続ける。
「情けないってのは分かってる。川本さんにもあれだけ迷惑をかけて、未練と決別するつもりだったのにさ……やっぱり、俺はハルのことを忘れられない。結局、俺は他人に偉そうなことを言える資格なんてなかったん――」
「……なぁ、ちょっといいか?」
柿崎の言葉を遮りながら、仲島は真っ直ぐに相手の目を見据えて言う。下から見るその表情は、どこかもの悲しげで、それでも優しさを滲ませている、不思議な表情だった。俺の語彙で表現するとしたら、それは『慈愛』が当てはまるのかもしれない。
「柿崎の気持ちはよく分かる。けどさぁ、『忘れる』ってのはちょっと違うと思うんだ。私だって大切なものを失う辛さは知っているし、その後に残る悔恨や自己嫌悪の気持ちも知ってる。全てを投げ出して人に押し付けて、自分の世界に篭りたいって気持ちになったこともある」
儚く、それでも強く響く仲島の言葉に、俺は息をすることも忘れて聞き入る。それは柿崎も同じらしく、仲島から放たれる哀愁のオーラに当てられたのか、無言のまま彼女の言葉を待ち続けていた。
当の本人は、先ほどから表情を一切変えず、その代わりにぎらぎらと輝く眼光をじっと柿崎の顔に向け続ける。そして、言葉を続けた。
「……けどさ、そういう経験って忘れちゃいけないんだ。忘れたら楽になるって思うのかもしれないけど、それは大きな間違い。寧ろ、再び同じようなことが起きたときに悲しみを増幅させるだけ。
本当に柿崎がしなきゃいけないのは、そんな気持ちを忘れないように、だけどその悲しみや辛さと付き合うことだと思うんだ。人間誰だって一度や二度、不幸は起こる。けど、そんな理不尽をただ嘆くより、自分を成長させる糧として受け止めた方がずっと立派だと思うよ。
……って、これは私の考え。納得するもしないも、柿崎自身で決めるといいよ」
「…………」
長い語りは遠慮がちな言葉で終わり、バツの悪そうな表情でそっぽを向く仲島。その様子を見上げながら、俺は仲島の言葉を脳内で反芻する。理不尽を嘆くより、成長させる糧として受け止める……仲島らしい、ポジティヴな発想だ。そしてそれは、まるで自身に言い聞かせるように口にしててるようにも聞こえた。
仲島の胸中は俺にはさっぱり分からない。けれど、柿崎の憂いを見た仲島が元気付けようとしていることだけははっきりと分かった。それが伝わったのかどうかは定かではないが、柿崎は苦笑しながら気まずそうに頭を掻いていた。
「……簡単に、考え方を変えることは出来ない。けど、仲島の前向きな考え方、俺は嫌いじゃない。だから……ありがとう」
「礼を言われる筋合いはないな。それどころか、ナナを気遣ってくれたことに私が感謝しなきゃいけないくらいだ」
「……気に、するな。そうだ、さっきの質問だが……川本さん、今日学校休んだよな」
「あぁ、また体調崩したんだとさ。それがどうかしたか?」
「いや、その……もしかして、俺の行動が原因じゃないかと思って」
「くふっ、ふぁっはっは!」
本気で心配そうな表情をしている柿崎に対し、何故か仲島は大笑いする。流石に不謹慎とは思うが、俺としては仲島の考えに大いに同意する。いくらなんでも考えすぎだろ、柿崎。
「な、何が可笑しい!」
「いや、ははは……柿崎って意外と可愛いトコあんのな。ちょっと面白かったわ」
「ぐっ……人が本気で心配してるってのに」
「それは分かるけどさぁ、流石に気負いすぎだっての。そんなんじゃ早死にするぞ?」
「悪かったな!」
仲島の茶化しと柿崎の憎まれ口の応酬に少しばかりハラハラしている傍観者の俺だったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。何故なら、言葉を交し合うにつれて、双方徐々に笑顔になっていったのだから。
「はぁ……よし、これで柿崎の悩みは解決。私も満足! んじゃ、また明日な~」
「ん、あぁ……また明日」
別に同じクラスでもないのに、このような別れの挨拶もどうかと思うが……本人が良いと思うならいいのだろう。唐突に始まった会話はあっさりと終わり、仲島は自宅へ向けて再び歩き出す。俺も柿崎を一瞥した後、仲島の後を追った。
「……乗り越えろよ」
歩きながら小さく呟いた仲島は、確かにそう言った。含みのある言葉に少しだけ胸が痛む中、俺はふとタカサゴのショーウィンドウを振り返る。
そこには、先ほどよりもほんの少しだけ明るい表情をして、先ほどと変わらずガラス越しにぬいぐるみを眺めている柿崎がいた。
「ハル、もう忘れないからな」
そして、そんな呟きも風に乗って俺の耳に届いた。




