38~二人の時間~
「んじゃ俺は帰るけど……無理すんなよ?」
「え? あ、その……」
河波君が帰る、ただそれだけなのにどうしたことか言いよどんでしまう。相変わらず素直になれない私の思考が、今の気持ちを言葉にするか否か迷っている……どうしよう。
妙な焦燥感に駆られる中、流石は察しの良い河波君。私の曖昧な反応に目聡く気付き、踵を返そうとしていた体をこちらに向ける。
「どうしたんだ? 何かあるなら遠慮なく言えよ?」
「そっ、その……も、ももも」
「……桃? 桃が食いたいのか?」
「ち、違うの! あの、その……も、もう少しここに、居てくれないかな?」
やっとのことで言えた私の本心。変な意味で捉えられないか心配だけど、寧ろそういう展開もアリだなー……とか思いつつ紅潮した顔を河波君に向ける。こんなことを思うのは私自身が許さないだろうし、仁君にも怒られるかもしれない。もしかしたら、河波君も心変わりした私を見たら失望すらするかもしれない。
けれど、この久しく感じる胸の高鳴りには逆らえなかった。精神的に弱っている今だからこそ、誰か傍に居てほしい。贅沢を言えば、私の事を考えてくれる人に居て欲しかった。
そんな想いが通じたかどうかは分からないけど、きょとんとした顔の河波君は数秒後、今までに見たことのないような優しい笑顔になると、控えめに頷いた。
「……しょーがないな! 七瀬のご指名ならば喜んで」
「そ、そんなんじゃ……けど、ありがと。そこの椅子に座っていいよ?」
「お、さんきゅー」
私は先ほどまでママの座っていた椅子を勧めると、河波君も嬉々として座る。少しだけ近づいた距離にドキドキしつつ、私もまたベッドに体を預けた。
「…………」
「…………」
双方無言の時間がしばらく続く。自分から頼んだくせに、いざ傍に居てもらっても言葉が出てこないとは……何を話せば良いのだろう。
実際に話したいことなんていっぱいある。一昨日から見る夢、流花ちゃんや河波君の胸中、柿崎君の気持ち、その他にもいっぱい……けれど、どれを話せば良いのか分からない。結果、口をつぐんでしまい言葉が出てこないのだ。
「……そうだ、昨日はゴメンな。ついカッとなっちゃって」
そんな私に助け舟を出してくれたのは、他の誰でもない河波君だった。神妙な面持ちで話すものだから、私も自然と昨日の事を思い出して辛い気持ちになる。それでも、こうして私に対して面と向かって誤ってくれる。それが少し申し訳なく、それでも嬉しかった。
「河波君は誤る必要なんてないよ? 実際、仁君が悪いところもあるんだし……」
「それでも、さ……あのまま気持ちを吐き出し続けたら、流花も七瀬も傷つけてた。そんなことしたら、俺はもう二人に顔を合わせられねぇよ」
「そんなことない! ……確かに驚いたこともあった。けど、私としてはあれだけ真剣になって本音を言えるくらい、仁君のことを思ってくれてたんだって。そう思ったら、やっぱり河波君はいい人なんだなぁ……って、私はそう思ったよ?」
「ははは……やっぱり七瀬は優しいなぁ。全学年からモテる訳だわ」
「もぅ、私はちっとも嬉しくないよ。好きになった人以外、興味ないし」
「そっか……七瀬は仁一筋だもんな!」
「う、うん……あはは」
テンポ良く進む会話は、自然と私の心を何とも言えない幸福感で満たしていく久しぶりに感じる、人と心が繋がっている幸せ。それがとっても嬉しくて、私の顔には屈託のない笑顔が浮かんでいた。
今の河波君になら、何でも話せる。ここ数日に思ったこと、全て。
「……あのね、河波君――」
それからというものの、私の近況、そして起きた出来事をずっと話し続けた。一方的に話していたから河波君も飽きないか心配だったけれど、時々相槌を打ちながら様々な反応を見せてくれた。時に驚き、時に真剣な面持ちになり、時に笑い……話し終える頃には日も暮れ始めたけれど、その時間ずっと私の話を聞き続けてくれた。
子一時間話した末、河波君は長い息を吐くと共に微笑を浮かべる。
「そうか……アイツがいなくなって、そんなことが起きてたんだな。ってか、夢の話だが……恥ずかしいが、事実だ。あ、もちろん最初の方だぞ?」
「そ、そうなんだ……仁君も河波君も、意外と熱いところがあるんだね?」
「昔の話だっ! とはいえ、まぁ……アレだ、うん」
「アレって?」
「なんでもないから忘れろっ!」
こうして河波君と言葉を交わしていると、何だか昔を思い出す。仁君、私、河波君、流花ちゃん。四人揃ってあかね公園で遊んでいたあの日々を髣髴とさせるのだ。中学でも高校でも四人揃うことは出来たけど、やはり昔ほどの無邪気さはなかった。
やっぱり、こういう時間が好き。もう一度、あの頃に戻りたいな……。
ヴーッ、ヴーッ。
「七瀬、電話鳴ってるぞ?」
「あ、ホントだ……流花ちゃんだ!」
唐突に鳴り出した携帯電話を取ると、着信の名前を見てすぐに電話に出る。すると、聞き覚えのある音楽と共に大好きな流花ちゃんの声が聞こえてくる。
『あー、もっしー! ナナ体調だいじょぶ~?』
「もしもし~! うん、何とか熱も下がったし、大丈夫だよ!」
『そっかー、それならよかった。明日はしっかり学校来るんだぞ~?』
「うん、明日は大丈夫。河波君もお見舞いに来てくれたし、今は元気いっぱいだよ!」
『ん、達弘居るのか……まぁいいや。そだ、こっちでジン預かってるから帰ってこなくても心配しないで~。明日には多分自力で帰ると思うわ』
「え、それどういうこと?」
『言葉の通り。ジンが私の家にお泊まりしたいってさ……大丈夫、喰ったりしないよ』
「そっかぁ……わかった。それじゃまた明日ね~!」
『おぅ、また明日! ……達弘に襲われるなよ~?』
ツー、ツー、ツー。
「……あんのバカが」
「そ、そうだよね……あはは」
さっきからジンの姿が見当たらないと思ったら、そういうことだったのか。ジンが居ないことに一抹の寂しさを覚えつつも、呆れ顔の河波君に対してこちらも苦笑する。まさか、河波君に限って襲うだなんてことあるわけがない、賭けてもいい。
そんなことを考えつつ携帯電話を枕元に置くと、ドアから微かなノック音が聞こえてくる。次の瞬間、ドアがゆっくりと開くと同時に、ママがジュースとケーキを持って現れた。
「達弘君に迷惑かけてない? はい、遅いけどおやつね……あ、どうせならここで晩御飯食べていく? 無理に、とは言わないけどね?」
ママの唐突な言葉に、河波君はともかく私も驚く。こういう時、いくら友達とはいえ男の子なんだから、女の子の親としては少しくらい警戒するのでは……まぁ、幼少からの友達だから気を許しているのだろうけど。
「んー……それじゃ、お言葉に甘えて」
河波君は河波君で、少し迷った末に小さく頷く始末。ママはいいとしても、パパはこういうの許すのかなぁ……仁君に関しては寧ろ大歓迎で、勢い余ってお酒を飲まそうとした程なんだけど。
結局、笑顔のまま部屋を出て行ったママは慌しく階段を降りていく。今回は珍しく躓かなかった様子で、危なっかしい音は聞こえてこない。
ふと時計を見上げると、時刻はいつの間にか五時半を回っていた。確かに遅い、というか遅すぎるおやつだけど、ケーキを見るとやっぱり食べたくなるものだ。どうやら手をつけていいか迷っている河波君に対して、小さく一言。
「……昨日食べ損ねたケーキってことで、ね?」
「そう、だな。んじゃ遠慮なく!」
やっぱり昨日の出来事を気にしていたのか、私の言葉を聞いた途端にバツの悪そうな顔をする。けれど、最終的には至極美味しそうにケーキを頬張っていた。
「うん、うめぇ! これも、昨日仁の母さんが言ってた、えーと……何て店だっけ?」
「シュプラン、だよ? ママも最近ハマったらしくて、買い物帰りによく買ってくるの」
「ほぅ……って、なんか聞き覚えあるな。流花が何か言ってた気がするんだが」
「あー……多分、斎京菊恵さんって人が働いてるからだよ。流花ちゃんのお姉さん的存在って言ってたけど。知ってる?」
「あー、なるほどな。菊恵さんは俺も子ども会でお世話になったわ」
会話しながらも、もぐもぐとケーキを食べ進める私と河波君。いつしか時間も過ぎていき、気付けばもう六時。そろそろ晩御飯も出来た頃だろう。
「それじゃ、そろそろ行こっか?」
「そうだな……そうだ、一つだけいいか?」
「うん……何?」
突然の話題提起に、私は小さく首を傾げる。ここにきて改まって質問とは、一体なんだろうか?
小さく息を吸った河波君は、数回呼吸を繰り返した後、こんなことを口にする。
「その、さ……情けない話なんだが、俺がまだ七瀬のこと好きだって言ったら、どうする?」
「…………え?」
あまりに突然の告白に、時が止まった気がした。




