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3〜Help!〜

 チチチチチ、チチチチチ。



「……くぅん」


 鳥のさえずりに起こされた俺は、小さな唸り声を上げながら目を開く。

 薄く開いたカーテンから差し込む光は七瀬を仄かに照らし、白い肌が一層輝いて見えた。

 こうして見ると、やっぱり美人だよなぁ……小さい頃はそうでもなかったのにな。

 昔から付き合いは長く、一緒にいることも多かった。というのも、俺の父と七瀬の父は小学校からの親友だからだ。

 その関係もあって、七瀬とはしょっちゅう遊んでいた。まぁ、気弱な俺を強気な七瀬が引っ張っていく、俺にとって姉のような存在だったのだが。

 遠い過去に思いを馳せて微笑みながら、俺はふと時計を見る。

 相変わらずモノクロで映し出される視界は、8:55と表示されているデジタル時計を捉えた。


(って、思い切り遅刻じゃんか!)


 文字通り飛び上がった俺は、慌てて七瀬の体を揺さぶる。

 しかし、何故か一夜明けても拘束は解かれぬまま。結果、体を揺さぶると彼女の胸が大いに揺れた。


(なんだよコレ、滅茶苦茶恥ずかしいんですけど!?)


 しかし今の俺は犬であり、これくらいのことは普通。そう言い聞かせて、身体を細かく揺さぶり続ける。

 少しすると、流石にこの不自然な振動に気がついたのか、うーんと唸ってうっすらと目を開ける。

 むっくりと体を起こした七瀬は、俺と同じ様にまず時計に目をやる。

 細く閉じられていた目は徐々に開かれていき、最終的には虹彩が丸くなるまで大きく見開かれた。


「……ちこく、だ」


 わなわなと震えだした七瀬は、すぐにベッドから立ち上がる。

 だが、直後に辛そうな表情を浮かべ、頭からベッドにボスンと倒れ込んでしまった。

 ただ事ではないと思い、俺は人間だった頃のように七瀬の下へと駆け寄る。

 荒い呼吸で顔を赤らめている七瀬は、どうやら熱に浮かされているみたいだ。思わず額に手をやると、肉球越しにかなりの熱が伝わってきた。


(マズイ……とりあえず、親でも呼ぶか?)


 焦りながらも今やるべきことを理解した俺は、すぐに七瀬の部屋から出ようとする。

 しかし木製のドアが進路を塞いでいて、部屋から出ることが出来ない。

 人間だったら簡単に開くはずのドア。けれど、今の俺にとってはかなり高い位置にドアノブがある。


(くそっ、何とかして開けなきゃ)


 幸い丸い形のドアノブではなかったので、あのバーを下に引けばドアは開く。

 あとは上手いことぶら下がって、手前にドアが開けば晴れてこの部屋を出られるのだ。

 頭の中でプランを練ると、俺は昨晩の様に上方へと高く跳躍する。

 最初はバーに手が届く寸前で落ちてしまったけど、数回繰り返して何とかぶら下がることが出来た。


(って、早く開けよ!)


 ぶら下がったはいいものの、手前に開く様子は見受けられない。

 これは俺自身がなんとかして、手前へドアを開かないといけないみたいだな……。

 ずり落ちそうになる体を必死に支えながら、俺は小さな体を思い切り揺らした。



 キィィィッ……。



(やった、開いた!)


 少し軋んだ音とともに、数センチほどドアが手前に動いた。

 ただドアを開くというだけの作業なのに、今の姿だとものすごい達成感を覚える。

 もしかしたら、どこのチワワにも真似できない偉業を成し遂げたのでは?


(……って、喜んでる場合じゃない。早く親を呼ばないと)


 すぐ我に返った俺は、少しの隙間が開いたドアを鼻先で開き部屋を出る。

 最近はこの家にもあまり来ていなかったから、正直なところ間取りはうろ覚えだ。

 現在地、つまり七瀬の部屋は二階にある。親もこの時間なら寝室ではなく、一階のリビングにいることだろう。

 大まかに推測すると、俺は廊下の突き当たりにある階段を降り――られなかった。


「きゃんっ!?」


 あまりの衝撃に、思わず悲鳴を上げてしまった。

 状況を簡単に説明するならば、俺は階段の一歩目を思い切り踏み外したのだ。

 面白いくらいバタバタと階段を転がり落ち、気づけば一階の廊下に辿り着いていた。

 目的は達成しているが……洒落にならないくらい体中が痛い。よく無事だったな、俺。


(この体にはまだ慣れてないから、あまり無茶をするべきじゃないな……)


 自分に言い聞かせながら、廊下を曲がって広い空間へと入る。

 久しぶりに見るリビングは新鮮で、幼い頃に来たときとはがらっと家具の配置も変わっていた。

 そんな中でも変わることのないダイニングキッチンに、七瀬の母は立っていた。


「……あら、どうしたの?」


 俺の存在に気がついた七瀬母は、どこかぎこちない笑顔で俺を見下していた。

 やっぱり、俺の存在を受け入れるのには抵抗があるのだろうか。心なしか、俺を見る目が冷めている感じもする。

 胸が締め付けられるような感覚に襲われつつ、俺はひとまず言葉で伝えることにした。


「うぅ~、きゃん!(七瀬が熱を出してるんで、看てやって下さい!)」


 言葉にしているつもりでも、人間からすればただの鳴き声。

 なんだろうな……この、気持ちを伝えられないもどかしさは。

 案の定、七瀬母は眉間にしわを寄せて首を傾げていた。


「全く……一体なんなのよ。

 お腹でも空いているの?」


 面倒くさそうに言う七瀬母に多少の苛立ちを覚えつつ、俺は首を横に思い切り振る。

 前世が人間で、言葉が理解できるからこそこうして意思表示が出来るのだ。普通の犬では、こうもあからさまに首を振りはしないだろう。

 流石にその動作だけは七瀬母にも伝わったらしく、眉間のしわがさらに深まる。


(はぁ……どうすればいいんだ?)


 募りに募るイライラ感で頭を掻き毟りたくなったが、そんなことをしても現状を打開できるわけではない。

 言葉が通じないことは人間だった時でもあった。例えば、海外の人間と話すときとか。

 けれど、そういう時は多少の知識を使って対応すればなんとかやり過ごすことが出来た。

 『アイキャントスピークイングリッシュ』と棒読みで言ってみたり、身振り手振りで……。


(ん? 身振り、手振り……)


 そうだ、ジェスチャー!

 これなら視覚的に誰でも理解できる。現に、さっき首を振ったことは分かってもらえたじゃないか。

 突然の閃きに感動にも似た何かを覚えつつ、俺は早速ジェスチャーで七瀬母に伝えてみる。

 無理に熱が高いと伝えなくても、ただ七瀬を看てもらえればそれでいい。だったら、部屋に連れて行けばいいだけの話。


(……頼むぞ)


 俺は右前足を持ち上げると、カンフー映画よろしく手首をくいっと数回傾けた。

 つまり、『ついてこい』のジェスチャーだ。

 こんなことをする犬、きっと俺以外にはいないだろうな……多分。


「…………」


 難しそうな顔で見ていた七瀬母だったが、俺が歩き出すと後を追ってついてきた。

 そのまま廊下にある階段を上り、先行して七瀬の部屋へと誘導する。

 俺の思惑通りついてきてくれた七瀬母は、七瀬の様子を見た途端に顔色を変えた。


「ちょっとナナちゃん、大丈夫?

 ……うわぁ、すごい熱じゃない!」

「マ……マ?」


 ぐったり倒れこんだままの七瀬は、顔を上げながら虚ろな目で見つめる。

 その後の七瀬母の行動は早く、ものの数分で新しい氷枕や毛布、スポーツ飲料、風邪薬などを用意してしまった。

 多少落ち着いた様子の七瀬母は、七瀬の寝るベッドの横に腰掛けると彼女の額を撫でる。


「昨日よりも熱が上がるなんて……可哀想に。

 今日はしっかり休むのよ?」

「うん……ありがと。

 それより、ジンはどこ?」


 ジン? 聞きなれない単語を聞いた俺は、少しだけ不安を覚える。

 明らかに男の名前であるそれが、もしも七瀬に新しく出来た恋人だとしたら……。

 それに似たことを思ったのか、七瀬母も訝しげな表情で尋ねる。


「ジンって……誰よ?」

「あっ、そっか……ママにはまだ言ってなかったっけ。

 仁君が助けてあげた、あのチワワだよ」


 俺が助けたチワワ……って、それ紛れもなく俺の事じゃん!

 多少の驚きを覚えつつも、とりあえず七瀬の新恋人でないことにホッとする。

 てか、つまるところ今の俺の名前は『ジン』ってことなのか?

 確かに昔は名前の漢字が『仁』だから、ふざけて『ジン』と呼ばれることはよくあったが……七瀬にもその名で呼ばれるとはなぁ。


「あっ、ジン! こっちおいで~」


 そんなことを考えて複雑な気持ちの最中、俺は七瀬の柔らかい声に呼ばれた。

 いつもの勝気な七瀬と妙に違う優しげな雰囲気に違和感を覚えつつ、俺は七瀬の寝るベッドへと上る。

 まだ少し火照りの残る頬がやけに可愛らしい七瀬は、俺を手招きで呼び寄せると――昨日と同じ一瞬の早業で抱きしめてきた。


「きゃうっ!?」


 柔らかい感触が全身に伝わり、またしてもパニックに陥りかける。

 俺の気持ちなぞ知る由もない七瀬は、満面の笑みで抱きしめながら俺の頭を撫でくり回していた。


「ねぇママ、ジンってばすっごくお利口なんだよ?

 私が倒れてすぐ、ここのドアを開けてママを呼びにいってくれたんだから」

「そうなの?

 私はてっきりご飯でもねだりに来たものだと……」

「もうっ、ジンがいなかったらママ私を看に来なかったでしょ~?

 しっかり感謝しないと……ねー、ジンっ」

「わんっ!」


 ……って、俺は何を普通に返事しているんだ。

 とりあえず分かったこと、『わん』と吼えるイメージで声を発するとしっかり吼える。

 あまり使い道はなさそうだが……こういうときに場を和ませるのには使えるか。


「そうね……ありがと、ジン」


 相変わらず浮かない顔の七瀬母だったが、とりあえず頭を撫でながら礼を言ってくれた。

 やっぱり嫌われているのかな……何せ、間接的にも七瀬の心を傷つけたのは俺自身――このチワワなんだから。

 当の本人はあまり俺の存在に抵抗が無いみたいだけど、それもいつまで続くか分からない。

 七瀬の笑みを見つめながらも、これからの生活に多少の不安を覚える俺だった。

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