37~来訪者~
「……じ、ん?」
小さく呻きながら、私はむくりと頭を起こす。何時間眠っていたのかは分からないが、ママがずっと看病してくれていたのははっきりと分かる。その証拠に、私の眠っていたベッドの足元では、ママが上半身を預けてすやすやと寝息を立てていた。そんなママに苦笑しつつ、私は壁掛け時計に目を向ける。
四時半、もう学校の授業も終わっている頃だろうか……また、クラスメイトの皆に心配をかけちゃったかな。明日こそは学校に行かなきゃ――。
「ママ、起きて。もう四時半だよ?」
この時間まで寝ているということは、きっと晩御飯の準備もしていないのだろう。流石にパパが慌てる羽目になりそうな気がしたので、ぐっすり寝ているママには申し訳ないけれど、控えめに頭を揺らす。すると、五秒後には小さく唸り声を上げた。
「んぅ……ふわぁ。あ、ナナちゃん起きたのね。もう体調は平気?」
私と同じで寝起きの悪いママは、寝ぼけ眼で私の額に手を当てながら聞いてくる。その表情に不安は見受けられず、その点は少しだけほっとした。
「うん、ありがと。もう大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ私は夕飯の準備するけど……食べたいもの、何かある?」
「んー、あっさりしたものがいいなぁ」
「ふふっ、分かったわ」
すっかりいつもの調子に戻ったママは、ふらふらとよろめきながら部屋を出て行く。
スタスタスタ……ドデッ!
……どうやら階段ですっ転んだみたいだけど、これもまた日常茶飯事。いちいち気にしていたら心臓がいくらあっても足りないから、もう気にしないことにした。小さく溜息をつきつつも、あれだけ体調を崩す羽目になった悪夢について考察する。
「なんだったのかな、あれ」
なるべくあの恐ろしい声、そして悪鬼のような形相を思い浮かべぬよう、それでも言葉だけをしっかりと思い出す。三人に共通している話題は、私の仁君に対する想いだった。彼が事故で亡くなってもう一週間が経過しているけれど、未だに仁君の死を受け入れられない。それどころか、実は生きていてひょっこり姿を現すのでは……などという益体もない幻想を見ていることだってある。
それだけ、私の生活は仁君に依存していたのだ。仁君への恋慕、愛情、その他諸々の色んな感情に埋め尽くされながら、短い間を幸せに生きていた。それが突如として消え去った途端、私はここまで弱くなった。ちっぽけな存在になった。いつの間にか、周囲から置いてけぼりを食らうようになった。
「……そんなに、悪いことなのかな」
柿崎君の一件でも見つめなおしたけれど、私自身としては決して『好きだった』人を思い続けながら生きることは決して悪くはないと思う。柿崎君自身、それを決して否定していたわけではないし、彼が私に当たったのも私の為を思ってくれたから。それは本当に感謝している。
けど――。
「そんな簡単に、忘れられないよ……」
忘れてしまったら、その時点で本当に仁君は死んでしまう。私の記憶でぶすっと、それでも時々満面の笑みを浮かべてくれていた仁君が、もしも私の記憶から消えてしまったとき、家族以外でどれだけの人間が仁君を忘れぬまま生きていくのだろうか……。
ピンポーン。
考えても考えても答えの出ない考察が堂々巡りを始めようとした最中、突如インターフォンの音が川本家に響き渡る。こんな時間だし、もしかしたら流花ちゃんがお見舞いに来てくれたのかもしれない。確か木曜日はバドミントン部は朝部活だけのはずだし、その可能性は大いにある。
階下でママが小走りで歩く音が聞こえ、ドアを開錠する音が微かに聞こえる。余程この家の人間に直接用事のある人しか家に招き入れない為、開錠する際は基本的に親戚か私の友達である場合が殆どなのだ。
しばらくすると、誰かが階段を上る音が聞こえてくる。木造住宅独特の家が奏でる音は、この時だけは何故か不快に感じなかった。寧ろ、誰かが私を訪ねてくれることに不思議な嬉しさすら覚えているみたいだ。
足音が私の部屋の前まで来ると、ぴたっと消える。同時に、控えめなノックの音が部屋全体に響き渡る。直後、来訪者が一言。
「かわもっさん、入っても大丈夫か?」
「……え?」
聞き覚えのある声、けれどそれは私の良く知るし親友である流花ちゃんのものではなかった。寧ろ、声の質が完全に男である。男勝りにガサツな流花ちゃんも、ここまで低い声は出せないはず……いや待て落ち着こう。
状況からして、扉の向こうにいる声の主は確実に河波君のはず……だったら、何故一人なのだろうか。この家に来る際はいつだって流花ちゃんと同伴のはずなのに。
「ど、どうぞー」
あれこれ考えたけれど、流石に待たせ続けるのも失礼なので小さく返事をする。いつもの寝巻きを纏っているため、少しだけ恥ずかしいけど……まぁ、河波君なら問題ないだろう。
果たして、明らかに学校帰りの河波君が遠慮がちにドアの隙間から覗き込んできた。その様子にくすっと笑うと、バツの悪そうな顔で頭を掻く河波君。
「お、おっす。また休んでたんで心配してきたんだけどさ……体調良くなったか?」
「う、うん。おかげさまで……きょ、今日は一人なの?」
「あぁ。流花の奴、今日は用事があるからって先に帰った。だから今日くらいは……な?」
何に対して同意を求めたのかは分からないけど、不思議と安心感を覚えさせてくれる。河波君はやっぱりすごいなぁ……ムードメーカーを務めるだけのことはある。
そんな河波君は、その場にしゃがんで鞄を探ると、数枚のプリントがはさまれたクリアファイルと数冊のノートを取り出すと、両手で丁寧に私に差し出してくる。そして、いつも通りの笑顔で言葉を紡いだ。
「これ、今日の授業の範囲と宿題な。分からないところがあれば、俺でも流花にでも聞いてくれよな。……とりあえず、今日のミッションはクリアだ」
「そっか……ありがとね」
私は差し出されたノートとクリアファイルを受け取ろうと、河波君に習って両手を差し出す。すると、受け取る際にほんの少しだけ、仁君よりも若干逞しそうな手に触れる。
「っ!」
「ん、どうしたんだ?」
「なな、なんでもないよ?」
どうしてだろう、友達同士で触れ合うことなんて日常茶飯事なのに……あんな夢を見てしまった後だからか、それとも昨日の夢を思い出すからか――どちらにせよ、やたらとドキドキしてしまう。たった一瞬、手に触れて温もりを感じただけなのに。
高鳴る鼓動を抑えつつ、私は再度手を伸ばしノートとクリアファイルを受け取る。訝しげな表情をしている河波君をちらりと見ると、思わず顔を伏せた。
きっと今の私、ものすごく赤面してる。原因は分からないけど……いや、正確には分かってるけど、素直じゃない私が認めないのだ。
――認めたくないよ。河波君のことが気になってるなんて。




