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36~生存競争の末~

 ここに至り、やっと四匹の犬は俺の存在に気付いた。中央のチワワは突如現れた俺を見て小さく唸り、周囲の三匹は何やら面白くなさそうにこちらを見ている。

 ひとまず、奴らの気を引くことには成功した。問題は如何にして中央のチワワを逃がし、かつ揉め事を起こさずに俺自身も離脱するか、だ。こういう状況になってしまった以上、無傷で全てを解決できるとは毛頭思っていない。

 だが、あまり傷ついて帰って七瀬を心配させたくなかった。ただでさえ精神的に不安定で寝込んでいるというのに、俺が傷ついて帰ったら――想像したくもない。


「がるる……!(多数で一匹を襲って楽しいのかよ……!)」


 本当はこんなこと言いたくないし、そもそも俺の言葉が奴らに通じるかも分からない。けれど、どんなに過酷な状況を生きている犬であっても、大多数で一匹を狩ることを看過出来ない程には、無駄にお人好しなのだ。

 生存競争、だからどうした。そういうのは憩いの場じゃなく、他のところでやってくれ。

 俺の率直な思いは、裏を返せば他の場所でなら構わないといっているようだった。自らのあまりにも冷酷すぎる感想に思わず嘲笑してしまうが、その胸中は向こうの三匹には通じないようだ。寧ろ、鼻で笑ったような仕草が気に入らなかったのか、完全に襲い掛かる対象を俺へと切り替えたらしい。

 これはこれで好都合……後はそれなりに逃げるか追い払うかすればよい。そして俺の思惑通り、傷ついた野良チワワは三匹の気が逸れた途端、脱兎のごとく垣根をくぐって公園の外へと逃げていく。三匹は慌てて振り返るものの、その頃にはチワワの姿はもう見えない。

 とうとう本命の獲物を逃がしてしまった三匹は、歯をむき出しながら俺を盛大に威嚇してくる。どうやら、俺の肉を喰らいたいらしいな。


「がうっ、がうがうっ!」

「がるぅ……!(あー……全然言葉分からん!)」


 怒り狂って吼えているからなのか、はたまた俺自身の脳が言葉を理解していないのか……どちらにせよ、野犬との意思疎通は難しそうだ。犬とも人間ともまともに言葉を交わせないとは、なんとも困った転生をしてしまったものだな。

 もう言葉にするのを諦めて、俺もいつでも立ち向かえるよう臨戦態勢をとる。双方睨みあい、低く唸り声を上げながら低姿勢のまま固まる……刹那。


「ばうっ!」


 先頭にいたパグの甲高い咆哮を合図に、三匹が一斉に走り出した。ここで取れる選択肢は二つ……逃げるか、立ち向かうか。って――。


(あれ……俺が戦ったらチワワ逃がした意味ないんじゃね?)


 あまりに馬鹿すぎる自身の考えに反応が遅れ、我に返った時には既に遅かった。一回り大きい体のパグが思い切り圧し掛かり、俺の体を押し潰す。同時に、遅れてやってきたパピヨンと柴犬も俺を囲い、そして噛み付く。

 

「ぎゃう!(っでぇぇぇぇっ!)」


 あまりの顎の力に、思わず悲鳴を上げてしまう。人間の時も何度か噛み付かれたことはあったが、それが愛情表現だったということを今更になって気付かされた。飼い犬が噛むときなんかは、痛みは感じても余程のことがない限り出血などしないだろう。だが、俺の首筋からは確かに液体が流れる感触がある。

 これが、生きるために狩る野生の本能の力。命を殺めてでも生き延びる者の意地。全く体感したことのない世界に、俺の思考は極限までに混乱していた。

 このままではやられる……怪我では済まない。肉を喰らわれ、骨の髄までしゃぶられ、この獰猛な三匹の糧となってしまうのだ。『死』という、数日前に身を以って体感した恐ろしい経験がフラッシュバックし、俺の体は魂が抜けたように硬直する。そうしている間にも、三匹は俺の体の空いているところに容赦なく噛み付き、肉を喰らおうとする。

 怖い。こんなところで、無様に死にたくない。けれど、身体が動かない。


「……こないなところで、何しとるんどす?」


 遂に傷跡の感覚が薄れ、意識が朦朧としてきた。そんな時――俺の聴覚は、はっきりと澄み渡った女性の声を捉えた。同時に、俺を喰らおうとしていた三匹の犬は一斉に声のした方へと振り向き、重低音の唸り声で威嚇する。

 ふらつく頭でどうにか振り向くと、そこに立っていたのは……。


「ここは公園さかい。皆仲良く遊ぶところちゃいます?」


 妙に似非くさい訛りを放つ、容姿端麗な女性だった。生前の俺に迫るくらいの女性にしては高身長に、太くくっきりした眉、色白な肌に生える艶やかな長い黒髪。その出で立ちは、簡単に言うならば『大和撫子』だった。

 そんな年齢不詳(学生服を着ているからおそらく高校生)の女性は、今にして思えば公園でブランコを漕ぎながら読書をしていた女性だった。どうしてこんな時間にこの公園にいたのかは全く以って謎だが、今の俺にとって救いの女神なのは間違いない。


「喧嘩することがあかんだなんてよぅ言わん。けどな、きっちりテーピーオーは弁えんと」

「ぶふぁっ!」


 満身創痍であるにも関わらず、思わず噴出してしまう。お姉さん、それってTPOのことを言いたいんだよな? あー……うん、きっと英語苦手なんだろうな。

 しかし、そんな場違いな笑いが祟ったのか、急激に傷口からの出血が増える。同時に、なんとか保っていた俺の意識がぷっつりと切れた。

 最後に見たのは、思いのほか広がっていた自身による血溜まり、そして目を細めて俺を見下ろしながら、伸びてくる細く美しい真っ白な手――。

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