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29~愛しているから~

「…………くぅ」


 意味を持たない小さな声がポロッと漏れるが、そんなことは一切気にならなかった。ただ、今俺の頭の中に渦巻いているのは、向かいの家から聞こえてきた複数人の会話、言葉。



『私のナナを傷つけたこと、絶対に許さない』

『っ……仁、馬鹿野郎が!』

『先に生まれたのは私たちなのだから、子供が先に死ぬなんておかしいの』



「がるるるるる……」


 まるで人格が本物の犬に化けたかのように、無意識のうちに低い唸り声を上げる。傍から見れば威嚇して唸り声を上げる、躾のなっていない犬に見えるのだろう。けれど、別に怒っているわけではない。むしろ、悲嘆に暮れている。

 七瀬の足音が聞こえてきたと思いきや、二人も同伴している。不思議に思って窓から覗き込んだとき、俺の家に幼馴染の三人が向かっていったのはついさっきの出来事。犬の耳とは便利なもので、建物越しでも向かいの家で交わされる言葉がはっきりと聞こえるのだ。

 ……内容の主軸は、俺の死についてだった。とても気になっていて、しかし聞くのを少し躊躇うような話題。俺のいない世界で、俺の大切な人たちは何を思うのか。俺の遺影の前ということもあり、真面目な本音を聞けるであろうことは予想していた。

 母さんが招き、三人が座り……真っ先に聞こえたのは七瀬の切なさが滲み出る声。続いて少し苛立ち気味な達弘の声、そして仲島の意外にも悲痛な声。皆の反応が俺の思っていたものと少し違うことに戸惑いを覚えていると、急に誰かの泣き声が聞こえる。

 それからは……正直なところ、辛すぎて俺もあまり思い出したくなかった。それでもあえて言葉にするのなら、双方かなり怒っていた。七瀬や親を残して死んだこと、周囲の人間の悲しみを考えなかったこと、等々。

 終盤は聞いている俺自身が辛くなって耳を塞ごうとしたが、無駄に聴力の高い犬の耳はそう簡単に塞げない。聞きたくない言葉も否応無く耳に入り、人間より遥かに小さな脳内で長いこと反響する。


「がぅっ!(うあぁぁぁぁぁっ!)」


 遂に耐え切れなくなり、俺は大きく咆哮する。感覚的には言葉にならない叫びなのに、犬の声帯からは重低音の唸り声として発せられた。

 俺は……最低だ。ただの自己満足のために命がけで小さな命を救い、その代償として多くの人間の心を傷つけた。愛すべき人、長く付き合ってきた親友、育ててくれた親。その誰もが抱く俺への想いを全て蔑ろにし、自分はこうしてのこのこと転生して、今こうして傷ついている。

 結論、自業自得なのだ。全ての行いは自らに返ってくる。死して尚、無念を晴らすために再び命を与えられ、しかし最愛の人に想いも伝えられず、それどころか周囲の人間の悲しみをまざまざと見せ付けられた。

 俺は、どれだけ迷惑をかければ気が済むんだ。どれだけ悲しませれば……!



 ガチャッ。



「ただいまー!」

「……くぅ」


 おかしいな、さっきまで何も聞こえなかったのに。いつの間に七瀬が帰ってきていたのだろうか……昨日は真っ先に気づいて、帰ってくる前に玄関で待ってたのにな、俺。どうにも無気力が前面に出ているのか、七瀬の言葉に対する反応も随分と薄い。

 七瀬は七瀬で俺の異変に気付いたのか、心配そうな表情で俺を抱きかかえる。いつもなら愛おしい七瀬の温もりや感触も、今はやけに淡白に感じた。


「ジン……大丈夫?」

「…………」


 しっかりいつものように元気よく吼えろよ、じゃなきゃまた七瀬に心配かけるだろうが。と、自身に叱咤するものの、何故か声は出ない。まるで魂と身体が切り離されたかのように、俺の意思と行動が一致しないのだ。これじゃあ、まるで抜け殻だ。

 反応が返ってこないことに余程不安を覚えたのだろう、七瀬は俺を両手で持ち上げると、いつもより二割り増しの強さで抱きしめる。けれど、俺の体は今までのような挙動を見せず、まるで凍ってしまったかのようにピクリとも動かない。これでもし体温が存在しなければ、本気で死んでいるかと疑われるかもしれない。

 それほどまでに、俺の心は打ちのめされていた。あれだけ生々しい本音を聞かされ、それでも泣かなかった七瀬が目の前にいて、俺を抱きしめていて……。

 俺は、七瀬に愛される資格なんてないのではないか?


「……大丈夫、ジン。私がついてるよ」

「……くぅ?」


 とうとう自分を押し潰すための極論を導き出した矢先、七瀬の言葉が何故か俺の心に響く。しかし彼女の胸の内は分からず、どうしてその言葉を選んだのかはさっぱりだ。俺はただ、小さく声を漏らすことしか出来なかった。

 対して、七瀬は慈母のような優しい笑みを浮かべると、抱きしめる力を強めつつ言葉を紡ぐ。


「ジンも、不安だったよね。私がずっと悩んで、仁君がいなくなったことを悲しんで、それを傍から見ていて……辛かったよね。

 でも、もう大丈夫。流花ちゃんや河波君は仁君に対して怒ってたけど、私はそんなこと思わない。どれだけ周りが否定したって、私は仁君の選択を責めない。それで命を失ったとしても……私の大好きな仁君は、きっと意地でもジンを守るって思ったから」

「……ぅ(七瀬……)」


 嬉しかった。七瀬の抱くありのままの想い、優しさ。全てが言葉として俺の耳に入り、真っ黒に澱んでいた心を浄化していく。いつしか言葉も取り戻していて、今まで感覚が薄れていた温もりや感触も戻ってきた。

 ……俺は、こんなにも愛されている。資格がある、無いなんて関係なく。


「だから、私も受け入れなきゃ。あの選択が仁君の人生の集大成なら、私は文句を言わない。やっぱり寂しいけど……それでも、私は仁君のことが大好きだから。だからジンは心配しないでいいんだよ?」

「くぅ……っ!(七瀬……俺も、大好きだっ!)」


 どうにかして言葉にしたい。人間の言葉を話せないことにもどかしさを感じることは多々あったが、これほど胸が締め付けられたときが今まであっただろうか……いや、ない。

 だから、せめて少しでも愛を伝えようと――俺は、七瀬の唇にキスをした。今まで犬の自然な行動として顔を舐めたことはあったけど、自らキスをするのは初めてだった。

 男なら背中で語れ、行動で示せ。仲島の言葉が脳をよぎり、衝動的に七瀬の唇に俺の口を重ねたのだが……少しでも伝わったのだろうか。

 七瀬はくすぐったそうに目を閉じながら、それでも嬉しそうな表情だった。気持ちが全て伝わることはないだろうけど、今はそれでも構わない。残されたチワワとしての期間、俺は時間に許される限り七瀬の傍に居続ける。そして、精一杯の愛を返す。

 それが、きっとこうして転生してきた意味なのだろう。俺がしたかったことなのだろう――。


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