28~小さな幸せ、いただきます~
感謝されるのは分からないでもない。けれど、何故謝る必要があるのだろう? 決してお母さんは悪いことをしていないし、仁君だって悪気があって『チワワを助けてトラックに轢かれた』訳じゃない。それなのに、どうして。
三人の視線がお母さんに集中する中、当人は目を伏せながら口を開く。
「あの子は……仁は、本当にいい友達を持ったのね。いなくなって、戻ってこないってわかっていても、これだけ本気で怒ってくれるのだから」
「おばさん……」
「私も、あなたたちの気持ちはよく分かるわ。七瀬ちゃんから連絡を受けたとき、そりゃあショックも大きかったけど……どうしてかしら。『悲しみ』よりも『怒り』が先にきちゃったのよね。事故で命を失ったのは、もう取り返しのつかない事実。冷たいかもしれないけれど、あの子が死んだことは辛かったけど受け入れることはできた」
淡々と、しかしはっきりと言葉にするお母さん。受け入れることができた……だからこそ、まだ息子が亡くなって一週間しか経っていないのに、これだけ明るさを見せられるのだろう。もちろん塞ぎ込むことよりはいいのだろうけれど、それはそれで少し寂しい。血のつながっていない私でさえ、仁君の死を受け入れられないのに。
「……だけどね、お腹を痛めて産んだ私や、一生懸命働いて育ててくれた旦那をおいて先に逝ったことだけは、やっぱり憤りを感じたわ。先に生まれたのは私たちなのだから、子供が先に死ぬなんておかしいの」
「…………」
悲痛なお母さんの声に、私含め三人は一斉に黙り込む。きっとこの想いは、誰の親も共通して言えることなのだろう。まだ、私に分かることではないけれど。
しばらくの沈黙の後、お母さんは私たちの反応にたった今気付いた様子で、慌てて笑顔を取り戻す。こんな状況においても真っ先に私たちを案じ、更に己の胸の内にある憂いをも封じて笑顔になれるのは、流石大人といったところだろうか。もしくは、仁君のお母さんだからこそ為せる技なのだろうか。
「あら、ごめんなさいね……私ったら折角会いに来てくれた息子の友達の前でだらしないわね。
ほら、仁と一緒にケーキでもどう? みんなは甘いもの大丈夫?」
「……い、頂きます」
終始俯いて無言を貫く流花ちゃんに、歯を食いしばったまま顔をしかめる河波君。どちらも返答できるような状態ではなかったので、私が代表して答える。するとその空気を察したのか、お母さんもまた無言で頷くとキッチンへと向かった。
足音が遠ざかり、残されたのは魂が抜けたかのようにただ沈黙する三人。本来なら仁君に最も近かったであろう私が一番沈むのだろうけれど、先刻の二人が吐露した想いに圧倒され、悲しみにくれる暇すら与えられなかった。おかげでこうして冷静でいられるけれど、それは同時に少しの悔しさも覚えさせた。
私の仁君に対する想いは、河波君と流花ちゃんにも劣っているのだろうか。
「はい、お待たせ。つまらないものだけど……仁の前ですっごく美味しそうに食べてあげて。きっとすごく悔しそうな顔して見てると思うから」
胸のうちに黒々と何かが渦巻き始めたとき、お母さんがタイミングよくお盆を両手に入室してきた。おかげで平静を保ったまま、お母さんにぎこちなくだけれど笑顔を見せることが出来た。
微動だにしない二人に代わって、私がお母さんからケーキと紅茶の乗ったお盆を受け取る。淹れたての温かいダージリンティーの香りが鼻腔をくすぐり、一瞬だけこの重い空気を忘れてしまいそうになった。
……そうだ、たったこれだけのことで人の心は動く。きっと流花ちゃんと河波君だって、甘いものを食べれば落ち着くはずだ。
「……ね、二人とも食べ――」
「ゴメン、七瀬。俺用事思い出したんで、そろそろお暇させてもらうわ」
「ナナ……私も、そろそろ帰る。……ごめん」
出来るだけ笑顔でケーキを勧めようとした矢先、私の言葉を遮って二人は立ち上がった。言葉も行動もタイミングが殆ど同じなのだから、幼馴染ってすごい。
……って、そうじゃなくって。
「二人とも……」
慌てて静止しようとしたものの、立ち上がりざまに見せた二人の辛そうな表情がそれを躊躇わせた。結局引き止めることもままならず、別れの挨拶すらせずに二人は玄関へと向かってしまった。残されたのは、まだ湯気の立つ三人分のティーカップとケーキ、そして間の抜けた表情で立ち尽くす私。
なにをやっているのだろう、わたしは。
「あらあら……二人のことは私に任せて、七瀬ちゃんはゆっくりしてね。……なんなら、全部食べちゃってもいいのよ?」
私の気持ちを知ってか知らずか、悪戯っぽく微笑むお母さん。けれど、その微笑みの奥に隠れた深い悲しみは眼に表れていた。私とて、それくらいは見逃さない。
ポツンと残された私は、ケーキを眺め、ティーカップを眺め、そして仁君の遺影を眺める。有り得ないことだけれど、不思議と遺影の仁君は物欲しそうにケーキを見ている気がした。天国に行っても甘いものに対する食い意地は変わらないんだな……そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
「……みんなを残して死んじゃった仁君に、ケーキはあげないよーだ!」
笑顔で言い放った言葉は、後で思い返せばとんでもなく酷いものだった。けれど、何故か不快ではなかった。それはきっと、私の心のどこかでまだ仁君が生きているからかもしれない。
……やっぱり、まだ仁君の死をすんなり受け入れられることは出来ない。けれど、こうしてほんの少しの幸せを見つけていければ、いつかは乗り越えるられるだろう。
その日が来るまで……影ながら見守っていてね、仁君。
「それじゃ、いただきまーす!」
結局、私は三人分のケーキを全て平らげた。優しい甘味が胸に染みて少し泣けたけど、それでも幸せを感じることは出来た。




