25~葉桜の下、再び~
午前中はずっと座学が続き、妙に眠気を覚えたまま昼休み。いつものように友達と他愛も無い話で盛り上がりながら食事をした後、一層深まった眠気を堪えつつも午後の授業。六時間目の体育ですっぱり目を覚ますと、あっという間に放課後になった。
帰りのHRでもいつものように手短に済ませた石松をよそに、これまたいつものように気の抜けた挨拶。さようなら~、と疎らに聞こえるクラスメートの声をぼんやりと聞きながら、私は一足先に教室を後にする。
呼び出したのはこっちなのだから、先に着いていなくてどうする。前回だって、柿崎君には桜の木の裏で待ち伏せされていたのだし。
昇降口で靴を履き替え、小走りで駆けること約三分。校舎の裏にひっそりと佇む葉桜の木に辿り着いた私は、一息吐くと大きな木に背中からもたれかかる。背中から伝わる木独特の妙な温もりに、気持ちが少しだけ落ち着いた。
とりあえず、私は柿崎君に何と言えばいいんだろう。呼び出した案件は言う間でもなく昨日の出来事の謝罪だけど、ただ謝っただけでは根本的に解決しない気がする。考えの相違から発展し、昨日はカッとなってしまったけれど、流花ちゃんの言葉もあって気持ちはそれなりに汲んだつもり。それをどう伝えれば、柿崎君にも分かってもらえるだろうか。
ふと、私は正面に眼を向ける。目の前に広がるのは私が歩いてきた軌跡であり、校舎からこの一本桜に続く唯一の道。柿崎君が来るとすれば確実にこの道を辿るはずだけど、未だに人が歩いてくる気配は無い。頷いていたけれど、やはりここに来るのを躊躇っているのだろうか。
「んー……」
唸りながら、手持ち無沙汰になった私は青く茂る葉桜を見上げる。この桜は開校当時――およそ五十年前から存在していたと聞いたことがある。その頃から桜の花を咲かせていたことを考えると、樹齢はどれほどのものになるのだろうか……樹木の知識に疎い私には想像もつかない。けれど、歴史のある木だということくらいは分かる。
歴史と言えば、この学校に伝わる『一本桜の木の下で告白云々』という伝説も、それなりに歴史があったっけ。お母さんが学生の時代には既に伝わっていて、数々のカップルを生み出したとか。その点、事情はあれど私はその伝説を見事に打ち砕いてしまった。私が悪いわけではないと思うけれど、何故か少しだけ申し訳なく思ってしまう。
これを機に、告白する人間が減るのかな……。
「あっ」
少し気分が沈んで溜息をついている最中、私の耳は微かな足音を捉えた。すぐさま校舎に続く道に視線を移すと、そこには見覚えのある小さな男子生徒。
間違いない、柿崎君だ。
「…………」
「あっ、えっと……その、いきなり呼び出してゴメン。時間大丈夫?」
「……あぁ」
私は努めて明るく振舞うものの、抑揚の無い声で返してくる柿崎君の表情は、ヘアピン留めされていない長い前髪に隠されて見えない。きっと仏頂面なのだろうな、というのは想像に難くないけれど。
妙にピリピリとした空気の中、先手を打つべく少し震える声で私から声を発する。
「あの……昨日は本当にごめんなさい。柿崎君の気持ちも知らずに、カッとなって手を上げちゃって」
「……別に」
「私もあの後冷静になったら、柿崎君にすごく酷いことしたなって。河波君と流花ちゃんが来なかったら、もっと酷い言葉をぶつけてたと思う」
「…………」
「だから……謝って済む問題じゃないかもしれないけれど、ごめんなさい」
誠心誠意、思いのままに謝罪しながら、私は深く頭を垂れる。もちろん相手の表情を窺うことは叶わないけれど、大事なのは気持ちだ。しっかり言葉にして態度に表せば、きっと柿崎君も許してくれるはず。
昨日より穏やかなそよ風以外何も聞こえない中で、しばらく無言の状態が続いた。恐る恐る頭を上げると――何故か、柿崎君は静かに涙を流していた。
「……俺も、大好きな人が居たんだ。とっても優しくて、いつでも親身になって話を聞いてくれた、すごくいい人だった。ずっと一緒に居られればいい、そう思っていた」
「柿崎、君?」
「その人は、突然死んだ。階段から滑り落ちたなんてくだらない理由で、俺は大好きな人を失ったんだ」
「っ!」
淡々と、無感情に言葉を漏らす柿崎君に、私は掛けるべき言葉が見つからなかった。今の彼に届けられる言葉なんて、私は持ち合わせていなかったから。
ただ、このやり取りで一つだけ分かったことがある。流花ちゃんの言ったとおり、柿崎君もまた大切な人を失う悲しみを知っている。ならば、昨日の辛辣な言葉の真意は――。
「命って、簡単に消えるんだって実感した。たくさん泣いた。人生から目を逸らした。影で彼女の死を嗤う奴等を憎んだ。もう誰も好きにならないと決めた。
……けれど、それじゃダメなんだ。どれだけ亡き最愛の人を想っていても、それをその人は望まない。本当に最愛の人を想うのならば、過去に縛られず、次なる未来に進むべきなんだ」
「……そう、だよね」
「だから、川本さんにも俺と同じ道を辿って欲しくない。って、今更取り繕うみたいで格好悪いんだけどさ……俺、どうも口が悪くて。後々考えたら、自分が言われたら絶対腹が立つような言い方だった。本当に悪いのは俺の方だ……ごめん、なさい」
「…………」
どう声を掛けていいか分からぬまま、数秒間の沈黙が続く。こういうときに限って葉桜を揺らすそよ風が止むものだから、気まずいことこの上ない。散々迷った末に私が取った行動は、何故か彼の肩を掴むことだった。私の気配を感じ取ったであろう柿崎君は、涙で少しはれた赤い目をこちらに向けてくる。それは相変わらず前髪で見えなかったけれど、朝のような刺々しい視線ではない。純粋な優しさで輝く、良心に満ちた眼。
「ううん、いいの。誰だって意見は食い違うものだし、不器用なのはお互い様。腹を立てて手を上げちゃった私の方がよっぽど格好悪いよ。だからさ……喧嘩両成敗ってことで」
我ながら都合のいい決着だとは想うけれど、事が穏便に済むのならそれに越したことは無い。私は幼い子供のような目の柿崎君にそっと微笑みかけ、そして優しく掴んだ肩をポンポンと叩く。その様子に一度は眼を見開き、けれど申し訳なさそうにゆっくりと私の手を払い除ける。
拒絶されたわけじゃない、きっと気後れしただけなんだ。そんな柿崎君を見ていると、今までとの印象がガラリと変わる。外見はともかく、中身はただの優しい少年だ。
「ほら、シャキッとする! 私はもう許したんだし――って、それも何かおかしいね。許す許さないって感情より、私は柿崎君が自分のことを話してくれたのが嬉しかったな。最初は感じ悪い子だなって思ったんだけど……不器用なだけって分かって安心した」
「……不器用なのは、お互い様だよ」
「あー、それ私の言った言葉だよ?」
私のおどけた口調に、いつしか二人を取り巻くピリピリとした空気は消え去っていた。柿崎君は表情こそ相変わらず読み取りづらいものの、その口元が微かに笑っていたのを私は見逃さなかった。
ひとしきり笑い合うと、意外にも先に口を開いたのは柿崎君だった。
「はぁ……最初っからこうして腹割って話せば、川本さんに叩かれることもなかったのにな」
「ま、過ぎたことはしょうがないよ。今こうして笑い合えてるんだから結果オーライ、それでいいじゃない」
「……それもそうか。じゃあ、そういうことにしておくよ」
「うんうん、それでいいの」
すっかり和んでしまった葉桜の木の下、私は微笑みながらふと思い出す。そういえば事の発端となったのは、柿崎君の告白だったような。
それがもしも好意に基づくものだったとしたら……。
「あの……最後に一つ、不躾な質問して良いかな?」
「別に構わないけど……何?」
「えっと、その……柿崎君って、最初から私に告白する気で私を呼んだんだよね?
それが今回のような流れにならなくて、OKしてたら……どうしてた?」
「……もちろん、付き合ってたよ」
「そっか……ありがと」
自分から質問しておいて、急に気まずくなってしまった。せっかくいい気分のまま帰れそうだったのに……なんでだろ、やけに鼓動が早い。別に、私は柿崎君のことが好きってわけでもないのになぁ。
「おーっす、今日もやってるなぁ。仲睦まじいことでなにより――ぃでえっ!」
「黙れ達弘。真剣な話に茶々入れるやつは私が許さん! ……つーわけで、調子どぉ?」
どうしたらいいか分からずにモジモジしていると、助け舟が二隻も来た。この表現は大いに間違っているかもしれないけれど、それでも構わない。
明らかに茶々入れしているのは流花ちゃんな気がしないでもないが、それももう気にしない。
「うん、絶好調!」
「そぉかそぉか……ま、何とか仲直りしたみたいだし、よかったねぇ」
「そうだな……悠、事情は流花から聞いた。ありがとな」
「……礼を言われる覚えは無い」
「相変わらずだな、悠は。まぁいい、それよりかわもっさんや」
「ん、何?」
河波君の声が掛かり、私はやっと落ち着いた心臓に手を当てながら返す。
すると、河波君の口から意外な言葉が発せられた。
「さっき流花と話したんだが……今から仁の家に行かないか?」
「えっ……良いけど、何で?」
もちろん、仁君の家に行くことは反対する理由も無い。けれど、今まで一度も足を運ばなかった河波君と流花ちゃんは、何故急に行く気になったのだろう。
その真相は、神妙な面持ちの流花ちゃんの口から放たれた一言で解決する。
「今日でさ……アイツが亡くなって一週間経つんだ」




