1~哀しみの後〜
私の大切な人が亡くなって数日間、いろいろなことが起きた。
まず病院に着いた私は、仁君の両親に出会った。私が連絡して、ここに呼び寄せたのだ。
そして二人に、私は淡々と事故の一部始終を全て話した。
私が抱えているこの犬を助けるために、自らトラックに轢かれたこと。惹かれる寸前、仁君は笑顔だったこと。
話を聞いた仁君の両親は、ただただ静かに涙を流していた。
「全く……あいつらしい、死に様だったんだな」
仁君の父が言ったその言葉に、私は哀しくなりつつも少しだけ同感してしまった。
仁君は、いつでも自己犠牲の激しい男の子だった。人の為なら自分の身を投げ打ってでも助けようとする、度の過ぎたお人好し。
長い付き合いの私は、それはもういろいろな場面で助けてもらった。望んでいなくても、いつの間にか助けられているのだから不思議だ。
そして今回も、見知らぬ犬の為にその自己犠牲の精神を働かせたのだ。仁君の父の言葉は、的を射ているとしかいいようがない。
そのような話をしたことだけしか、私はその日の出来事を覚えていない。
後日、仁君の葬式が行われた。
遺体は原形を留めていなかったので、火葬の後に葬式を行った。
最後に見た仁君の表情は、遺影に写る輝いた笑顔だけ。
もう二度と、記録以外ではあの輝きを見ることが出来ないんだ。
そう思うと涙が込み上げてきて、私は遺影を直視できなかった。
告別式には、私と仁君の通う高校のクラスメートや、親戚も多く集まった。
誰もが一様に、悲しげな表情をしていた。当たり前といえば、当たり前なのだろうけど。
これだけたくさんの人に見送られて逝けるのなら、きっと仁君も幸せだろう。
私は自分の不幸について考えるより、仁君の幸せを願うことに専念した。
もう会えないのは、仕方のないことなんだ。これが仁君に、私に与えられた運命ならば、受け入れるしかない。
まだ心の傷は癒えないけれど、少しだけ肩の荷が下りた気はした。
数日間ショックで学校にも行けなかったけど、ようやく学校にも顔を出せるようになった。
教室に入ると、私を見て哀しげな表情をする生徒は多かった。それでも、平静を装って挨拶をしてくれる子もいる。
私にとって、そんな気遣いはとても助かった。下手に慰められるよりは、素通りしてくれた方が助かるから。
しかし始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入り、いつものようにHRが始まると、急に激しい悲しみに襲われた。
一つだけ不自然に空いた席、それを見ても誰も何も言わず、いつも通りの時間が過ぎていく。
いつの間にか、私はこのクラスの日常から置いてけぼりを食らっていたのだ。
その事実がひどく哀しくて、その日は三時間目で体調を崩し早退した。
私が保健室へ行く際にも、保健委員の女子に肩を担がれながら移動したのだが、その時聞いた言葉も私の心を締め付けた。
「……つらかったよね、七瀬ちゃん。私も同じ立場だったら、きっと耐えられないよ」
「うん……心配してくれてありがと」
「気にしないで。私はただ、男子みたいな最低連中に成り下がりたくないから」
「えっ? それって、どういうこと?」
「……ここだけの話ね。ウチのクラスの男子に数人、仁君いなくなって喜んでる奴もいるの。最低だよね」
「っ!?」
その言葉は、私の胸に幾千幾万もの矢となって突き刺さった。
仁君がいなくなって、喜んでいる? 意味が分からないし、分かりたくもない。
最初は彼女が嘘をついているのだと思った。けれど、冷静に考えれば彼女はクラスでもかなりの真面目っ子。
こんな嘘をつくとは、色眼鏡なしに見てもあり得ないと断言できる。
「そ、そうなんだ……でも、何で?」
「さぁ……多分、七瀬ちゃんがフリーになったからだよ。七瀬ちゃんって、学年超えて結構有名だもの」
「…………」
彼女の言葉に、多少の思い当たる節はあった。
仁君と付き合うまでは、週に一回のペースでいろいろな人に告白されていたのだ。
外見は割と普通、身長もそんなに大きくない、どちらかといえば童顔とも言われる。
こんな私の何処が好きになるのか分からなかったけど、確かに告白される回数で言えば名は知れ渡っていたかもしれない。
元から男に興味のなかった私だから、その全てを断り続けていたのだけれど。
「……まぁ、何かあったら先生に言いなよ? あんな最低な奴ら、気にしたらダメなんだから」
「うん、ありがと」
力無く答えると同時に、保健室へと辿り着く。
結局、熱がかなり出ているということもあり、すぐに母の迎えを貰って家に帰ることとなった。
「なんで……どうして」
家に着いた私は、着替えるのも億劫でそのままベッドへと潜り込んだ。
仁君の死、彼がいなくても廻る世界、彼の死を喜ぶ不謹慎な人たち。
全てから逃げたくて、泣いた。泣き続けた。
そうしていると、なんだか妙に喉が渇いてきた。涙を流すための水分も、枯れてしまったのかな。
体を少しだけ起こし、母が枕元に置いてくれたスポーツ飲料を飲むとすぐにまた倒れ込む。
そうしてまた、泣き続ける。
くぅ~ん。
そんな中、私の足元で犬の鳴き声がした。
私の泣き声を嗅ぎつけたのだろうか、妙にしょんぼりと俯き加減で見つめてくる。
そう、あの時仁君が命を賭して守った命を、私が自ら引き取ったのだ。
事故が起きた直後から、ずっと抱えていたこの小さなチワワ。
茫然自失としていながらも、何故かこの小型犬を手放すことが出来なかった。
幸い、身元を証明する首輪なども装着されていなかったし、このまま逃がしてしまえば野良犬になってしまう。
それくらいなら、仁君が守ったこの命を、私が引き継いであげなければ。
気が付けば、私の部屋へ連れ込んでいたという次第だ。
「……大丈夫。ありがとね」
いつの間にか私の頭にまで寄って来ていたチワワを、私は小さく撫でてやる。
するとチワワも嬉しそうに、私の顔を舐めたり頬擦りしたりしてきた。
何だろ……この子と触れ合っていると、不思議と心が安らぐ。
以前何処かで『アニマルセラピー』という言葉を聞いたことがあったけど、きっとこの安らぎもその効果なのだろう。
そうだ、この子に名前をつけてあげないと。
「……仁君の魂を継ぐ者、ジン。あなたは、ジンだよ」
意外にもあっさりと、名前は決まってしまった。
この華奢な体にはあまり合わないかもしれないけど、響きも結構気に入った。
わんっ!
私の声を聞いた途端、高い声で吠えるジン。同意……してくれたのかな?
勝手にそう解釈し、再度ジンの頭を撫でてやる。満更でもなさそうな表情に、私は小さく微笑みかけた。
「ふわぁ……眠い」
さっき飲んだ頭痛薬の所為かな……急激な眠気に襲われる。
沈み行く意識の中、私は眠りにつくまでずっとジンの頭を撫で続けた。