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17〜分かるのか…?〜

(ふわぁ……そろそろ七瀬も帰ってくるかな?)


 午後五時半、リビングの地べたに寝そべっていた俺は、立ち上がりながら小さな壁掛け時計に目を向ける。

 んー……時計、というより時刻を頭で理解出来る犬って、俺以外にもいるのだろうか。犬のような動物は時間も殆ど曖昧で、けれど感覚的に捉えているというイメージがあるのだが。

 ひたすら暇を持て余した結果、こんな答えの出そうにない疑問すら楽しいと思えるのだから不思議だ。生前はそんなこと考えたこともなかったのに。


(……しっかし、暇だな~。ホントにやることがないもんな、犬って)


 そう思いながら、今日の出来事を大まかに思い出してみる。

 七瀬が学校に行ってから、俺は少しだけ家の中を歩き回って、寝て、七瀬母から飯を頂いて、寝て……。


(ダラダラ過ごして今に至る、と)


 あっという間に終わってしまった回想に、俺は思わず苦笑してしまう。あまりに何も無さ過ぎてむしろ笑えてくるわ。

 せめて七瀬母が相手をしてくれたら、贅沢を言うなら言葉を理解してくれれば、もう少し有意義な一日を過ごせたのだろうが。チワワとして一週間の命を得てしまった以上、どうしようもないことなのだけど。

 一週間、日付に換算して七日間、時間ならば168時間、分数なら10,080分、秒なら――。


(あー、ダメだ。頭が回らん)


 一応数学は得意だったから、ここまでの解は導き出せた。けれど、これ以上はチワワの頭では厳しそうだ。一万の桁まで導き出せただけでも上等だとは思うが。

 人間より遥かに小さな脳をフル回転させた所為か、やたらと頭がズキズキ痛む。俺は考えることを一時中断し、知恵熱のようなものを冷ますためもう一度地べたに寝そべった。

 木製の床はもちろん固いが、その分カーペットよりもひんやりしていて気持ちいい。チワワになった今としては、毛が抜けないというのも魅力的である。


(あぁ、いい天気だ。これなら雨は降らないかな)


 文字通り四つん這いになって体全体を冷やしながら、俺はふと空を見上げる。

 ここ数日は快晴続きで、雲一つない夕焼けが空に鮮やかなグラデーションを作り出していた。

 こういう空を見ていると、何故か幼少期の七瀬を思い出す。一緒に遊んだ帰り道、手を繋いで七瀬の家に帰ると七瀬母は俺に対しても『おかえりなさい』って言ってくれたんだよなぁ。

 俺も決まって『ただいま!』と返しては、流れで夕飯までご馳走になって……。


(……いつからだっけ。この家に来なくなったの)


 そう、いつからか俺はこの家に上がるのを躊躇うようになった。もちろん七瀬とは今までどおりの関係を築いていたし、学校でも普通に話をしていた。

 けれど、今にして思えばそれは丁度思春期真っ盛り。周囲の目を気にしだす時期だし、仕方がなかったのかもしれないな。

 とはいえ中学に上がっても高校に進んでも、ずっと幼馴染としての立ち位置をキープしていたのは事実。その延長線上で、俺たちは恋人同士になった。


(客観的に見れば、とんとん拍子過ぎてウハウハなんだろうけどなぁ)


 けれど、幼馴染からの発展では意外と楽しみが少なかったりする。元からお互いをよく知っている所為か、新たな発見が少ないし。

 反面、気負う必要がないから友達感覚で付き合えるのも魅力ではある。その恩恵を授かっているのは主に七瀬な気もするが。


(…………お、七瀬の匂いだ)


 延々と続きそうな『幼馴染との恋愛』に関する考察がそれなりに広がっていた矢先、俺の嗅覚があの柑橘系の香りを捉えた。同時に、足音のようなものも感知する。

 人間じゃなくて不便なところはたくさんあるものの、こうして犬になるとそれなりに便利な機能も存在するから面白い。そりゃ犬は家で主人の帰りを待つわけだ、と妙に納得しつつ俺も玄関に向かう。

 そういえば、この体になってから七瀬を出迎えるのは初めてな気がする。きっと七瀬は俺を見た途端、腕を広げて待ち構えるに違いない。そしたら遠慮なく飛び込もう。

 犬の思考を理解し始めてきた俺は、尻尾を振りながら主の帰りを今か今かと待ち続ける。


(あれ、足音が二人分聞こえる。誰か連れてきたのか?)


 鋭敏になった聴覚は、確かに二人分の足音を捉えた。七瀬と殆ど同じ歩幅、即ち音のタイミング。

 察するにもう一人も女性なのだろう……あり得ないとは思うが、新しい彼氏と一緒だとしたらそれなりにショックも大きかったに違いない。

 そんな想像をしていると、何故か尻尾の振りが若干弱まった。犬の気持ちは動作に現れるとよく言うが、まさしくその通りなのかもしれないな。



 ガチャッ。



「ただいま~……あっ、ジン! お出迎えしてくれたんだね?」

「ほぅ、これが噂のワンコか。やっぱ小型犬は可愛いねぇ」

「わうっ(おかえり、七瀬)」


 通じないとは分かりつつも挨拶、そして予想通り腕を広げたポーズで屈む七瀬の胸へと大胆にダイビング。相変わらず温かく柔らかい胸にすっぽり埋まると、いつものように少し強く抱擁される。

 あぁ、やっぱりこの感覚はいいな。下心抜きにしても、七瀬の温もりや鼓動がダイレクトに伝わるから。

 ……そういや、隣に立っていたのは仲島か。本気で七瀬しか目に入らなかったから、文字通り眼中に無かったな。

 数秒の抱擁を終えると、胸に抱えられたまま七瀬は器用に靴を脱いで玄関に上がる。


「あ、流花ちゃんも上がって! 早くしないとエクレール溶けちゃう」

「言われずとも上がるけどさ……そんな簡単に溶けないよ。な、ワンコ?」

「……くぅ(ま、確かにな)」

「そらみろ、ワンコも同意してるぞ?」

「もぅ、流花ちゃんの意地悪。それにこの子には『ジン』っていう名前があるんだからね?」

「ふぅん……ジン、ね」


 頬を膨らませる七瀬を見て楽しそうに笑う仲島。ま、こんなやり取りはきっとこの二人にとって日常茶飯事だろうから、別に俺は気にしない。

 仲島も靴を脱いで玄関に上がり、俺たちはリビングへと一直線に向かう。扉の向こうからは、七瀬母がフライパンで何かを炒めている音がする。

 扉の前に立った七瀬は俺を小脇に抱え、空いた右手で扉を開く。左脇に挟まれて若干息苦しいけれど、もちろん七瀬だから許す。文句あるか。


「ただいま~。流花ちゃん連れてきたよ~」

「あ、お邪魔してまっす」


 七瀬の挨拶に続き、仲島の軽い挨拶。友達の母親にそういう挨拶をする人間、初めて見たぞ。俺以外には。

 しかし七瀬母も気にしている様子は無く、むしろ仲島が来たことで目を輝かせていた。


「あらあら、流花ちゃん久しぶりね! いらっしゃい! ご飯食べてく? ついでに泊まってく?」

「んー……じゃあ泊まっていきます!」

「即決!?」


 流石の七瀬もたいそう驚いた様子。土壇場で予定を決めるのは別に構わないが、女子高生が普通『泊まる』という選択肢をサクッと決めるか?

 俺も仲島の発言にほとほと呆れたが、彼女自身満更でもなさそうな表情をしている。こりゃ、本気で泊まるな。


「分かったわ! きちんと両親には連絡するのよ?」

「はーい。それじゃナナ、上行こっか?」

「いいけど……ホントに大丈夫?」

「うん、私の親は適当だからなー……外泊もさして気にしないよ」

「……放任主義って解釈でいいんだよね?」


 苦笑しながら返す七瀬に対し、仲島は歯をチラッと見せながらサムズアップ。ボディランゲージで誤魔化すなよ。

 結局、仲島に流されるまま俺たちは二階の七瀬の部屋へと向かった。別に泊まることは悪くないんだが……俺と七瀬の時間が、なぁ。

 少々の寂しさや鬱陶しさを覚えつつ、けど少しだけ賑やかになることへの嬉しさも感じつつ、相変わらず七瀬の香りが充満している部屋へと入る。


「あー、やっぱナナの部屋は居心地いいなぁ。サイコー」


 本当に幸せそうな表情をしながら、仲島は七瀬のベッドに倒れこむ。俺と七瀬の寝床が……って、何を考えているんだ俺は。


「もーっ、そのままベッドに倒れたら制服がシワになっちゃうよ?」

「替えはあるから構わーん!」

「くぅ……(そういう問題かよ……)」


 きっと他人から見たら、俺は心底恨めしそうな表情をしていることだろう。仲島の匂いもフローラルで悪くはないが、七瀬の香りは消さないでくれよ?

 呆れ顔の七瀬も色々と諦めたようで、鞄を机の上に置くと制服を脱ぎ始め――。


「っ!?(ちょ、待てっ!)」


 何の前触れも無い着替えタイムに、俺は慌てて視線を逸らす。仲島もいるんだし、着替えるなら先に言ってくれ……。

 仲島は仲島で、七瀬の着替えをじっと見ながら不敵な笑みを浮かべている。こいつ、何か企んでやがるな。

 と、思ったのも束の間。仲島は静かに立ち上がると、すり足で七瀬の方向に向かっていく。


「うぅ~……(ちょっと待て、何をする気なんだ?)」


 相変わらず通じないと分かりつつも威嚇ついでの質問。もちろん七瀬の着替えているシーンは見ずに。

 すると――仲島の歩みが止まり、同時に驚くべき言葉を口にした。


「何って……こうするんだ、よっ!」

「流花ちゃん、何を言って――きゃあっ!」


 七瀬の小さな悲鳴に、俺は慌てて二人のいる方へと振り向く。

 そこで見たものは、生まれて十六年と半年足らず(ちなみに一月十一日生まれな)の俺には少しばかり刺激の強いものだった。

 仔細は割愛させてもらうが……要約すれば、七瀬のふくよかな胸を仲島が背後から鷲掴みにしていたのだ。

 そりゃ、漫画とかではそういう戯れもあるとは聞いていたけれど、まさか本気でやるとは……七瀬は涙目のまま俺に助けを求めてくる。


「はぁっ……流花ちゃん、やめっ。ジ、ンっ……」

「がるる……!(止めろよ、俺の彼女に何してんだ!)」


 流石に仲島に噛み付くわけにはいかないので、俺はひたすら重低音の唸り声を上げる。

 すると、驚愕の表情を浮かべると共に、仲島の手の動きが止まった。案外あっさり聞いてくれたことに驚きつつ、俺は安堵の溜息をつく。

 ――しかし、その安堵も一瞬にしてぶち壊される。


「……ジン、だっけ? お前、ひとしなの?」

「「……は?」」


 あれだけ騒がしかった七瀬の部屋は、仲島の一言で一瞬に静寂に包まれた。

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