16〜考察と、エクレールと、大和撫子〜
学校を後にした私と流花ちゃんは、宣言どおりケーキ店『シュプラン』へと足を運んだ。
いつもの帰路とは反対方向、すなわち隣町の市街地の方面へバスで揺られること十五分。新幹線も通る大きな駅の傍にポツンと建つ可愛らしい店舗こそ、最近新しく出来た有名チェーン店、シュプランの新店舗である。
「おぉ、相変わらず混んでるねぇ。こりゃ店で食べるのはチト厳しいかな?」
「そうかもねぇ……」
夕方という人の賑わう時間なだけあって、店の入り口には流花ちゃんの言うとおり長蛇の列が出来ていた。
この繁盛ぶりだと、店頭でケーキを手に入れるのも至難の業だろう。ましてやテーブルに座ってゆっくりするなど、一目見ただけで無理だと断言できる。
私たちは素直に行列の最後部に並び、ゆっくりと、しかし確実に進む順番を待ち続ける。ざっと数えて三十人くらいだから……下手すれば一時間はかかるかなぁ。
「さって……とりあえずテイクアウトは確定だな。
んじゃあ順番待ちの暇潰しに、さっきの出来事の経緯でも聞こうかねぇ?」
「暇潰しって……まぁいいけどさ。
えっとね――」
それからと言うものの、私はあの一本桜の下で起きた出来事を洗いざらい話した。
昼休みに柿崎君に呼び出されたこと、その場所で告白されたこと、そして仁君の死をバカにしたこと。
思い出すだけで腹立たしいし悲しい出来事だったけど、それを察してか流花ちゃんはただ黙って話を聞いてくれた。いつもはガサツな流花ちゃんだけど、こういうときは本当に頼りになる相談役なのだ。
「――と、こんな感じ。先に手を出したのは確かに私が悪いけどさ……」
「そっかそっか、そりゃあ辛かったな。私も同じ立場だったら、きっとビンタどころかぶん殴ってるよ。
けどさ……傍目八目、って言うんだっけ? 第三者の視点で考えてみると、意外とあいつの考えが分からなくもないんだ。まぁ、言い方は気に食わないけど」
「えっ?」
含み笑いを浮かべる流花ちゃんに、私は少しだけ戸惑った。柿崎君の気持ちが分かるだなんて……。
私はその言葉の真意を確かめるべく、黙って流花ちゃんの言葉を待つ。
「まず初めに……柿崎がナナに告白。これはまぁ仁と付き合う前のナナにとっては当たり前のような出来事だから、別になんてことはない。
フリーになったら、そりゃあナナと近づきたい男子もそれなりにいるはずだ」
「……そんなものなのかなぁ。私にはよく分からないよ」
本当に、分からない。私に魅力を感じる理由もよく分からないし、私の最愛の彼が死んだことで私と付き合えると思えるなんて……どうかしてる。
妙に怒りさえ覚えて拳に力を込めると、そんな私をなだめるように流花ちゃんは軽口を叩く。
「ま、男なんて単純だからそんなもんなんだよ。
それはともかくとして……次、柿崎がしつこくナナに付き合えない理由を聞いたことからの一連の流れ。
想像し得る最悪のケースとしては、とことん女々しい男だった柿崎が振られたことに腹を立て、嫉妬交じりの嫌味をナナと仁にぶつけた。こんな人間がいたとしたら、私は全力で駆逐する」
「最悪のケースって……じゃあ、柿崎君はそれに当てはまらないってこと?」
「んー、少なくとも私は当てはまらないと思う。
さて……続きはwebで」
「……え!?」
突拍子もない流花ちゃんのボケに、私は思わず本気でずっこける所だった。おかげで真面目な話なのか笑い話なのか、相談を持ちかけている私自身分からなくなってくる。
楽しそうな笑みを浮かべる流花ちゃんを横目で軽く睨むと、笑って涙を目尻に浮かべながら小さく手を振る。
「あはは、冗談だって冗談。
んじゃ続きだけど……その前に取引だ。私は部活系女子ゆえに金欠、ナナは文化部という名の実質帰宅部ゆえに財布はそこそこ余裕がある。
というわけで、続きを聞きたければエクレールを一つ。どうだ、悪い話じゃ――」
「却下です。私の真面目な悩みを洋菓子一つと交換で解決しようだなんて考えは認めません」
「うぎゃあぁぁ……そんな殺生な!」
やいのやいのと騒ぐ流花ちゃんに溜息をつきながら、私は前方に目を向ける。話に夢中になっていて気付かなかったけど、いつの間にか私たちの前には五人ほどしか並んでいない。
しかし……なんだかんだで流花ちゃんの出した結論は気になる。その答えにエクレール一つの価値があるかどうかは分からないけれど、いつも相談に乗ってくれているよしみだ。少しくらいはいい目を見せてあげようか。
「はぁ……仕方ないからエクレール一つ買ってあげる。
その代わり、真面目で説得力のあるいい解答を期待してるからね」
「よっしゃあ! それでこそナナ様女神様っ!
それじゃ私の出した結論ね……きっと、柿崎はナナの幸せを願って、あえて厳しい言葉を選んだんだと思う。
だってさ、話を聞くところによると少なくとも柿崎もナナと同じ傷を抱えてるわけでしょ?」
「……あ」
『……当たり前だろ。辛いのが自分だけだと思ったら大間違いなんだよ!』
流花ちゃんの言葉をきっかけに、柿崎君の台詞が頭の中で響く。そうだ、あの時柿崎君はそう言っていた。
急にバツが悪くなって俯く私に対し、追い討ちをかけるかのように流花ちゃんは言葉を続ける。
「それにさ、柿崎自身もきっとかなりの勇気を振り絞ったと思うんだ。
今でもナナが仁を好きなように、柿崎も亡き愛する人に焦がれていた時期もあったと思う。それをあいつが自身の行動で、そんな未練から決別したことを示したんだ。
もしくは、同じ傷を抱えているナナにシンパシーを抱いたのかもしれない……どちらにせよ、柿崎はナナの為を思ってあんなことをしたんだ。本当かどうかは分からないけどさ」
「…………」
まさか、そんなわけないよ。心の奥底で頑なに否定する意地っ張りな私を、流花ちゃんの言葉が徐々に侵食していく。
そう、今こうして冷静でいられるからこそ、あの時の言葉一つ一つの正しい解釈が出来る。カッと頭に血が上っていなければ、私も手を出すことはなかったのかもしれない。
私の胸中を埋め尽くす言葉はたった二文字。即ち『後悔』だ。
「ま、そう暗くなるなって。冷静じゃなかったナナも悪いけど、誤解を招く言い方をした柿崎も悪い。
結局のところ喧嘩両成敗なんだ。どちらにも非があって、どちらも悪くない」
「……でも、私やっぱり悪いことした。きちんと謝らなきゃ」
「そ、反省して次に繋げられるならそれでいい。くよくよしてたら……っと、そんなことはどーでもいいっ!
ささ、ナナは何にするんだ? ショートケーキか? モンブランか?」
流花ちゃんのありがたい言葉に感動したのも束の間、やっとのことで順番が回って来た流花ちゃんの興味は一気にケーキへと注がれてしまった。
『そんなこと』と一蹴されてしまったこの話題の結末がどうにも腑に落ちなかったけど、考えても仕方がないので私も目の前に広がるケーキへと目を向けた。
流石は本格的なケーキ専門店、あれだけの行列を捌いてなお所狭しと並ぶケーキはどれも美味しそうだ。しかも学生の財布にも優しいリーズナブルな商品も数多く存在する。
「いらっしゃいませ。本日のお勧めはふわふわの生地にクリームをぎょうさん詰め込んだエクレールどすえ」
ふと、目の前の女性が変わった口調でお勧めを紹介してくる。この聞きなれない感じ、京都弁かな?
そんなことを思いながらもう一度ショーウィンドーに目を落とすと、隣の流花ちゃんは何故かその女性の手を握っていた。
「あっ、菊恵さんじゃないっすかー! ほら私です、仲島流花ですよっ!」
「はて、流花……あぁ、流花ちゃんな。町内会でウチと同じ地区におった子どすな。お久しゅうございます~」
「……流花ちゃんの知り合い?」
ショーウィンドーに視線を向けたまま質問すると、いつも以上にテンションの高い上ずった声で答えた。
「うん! 説明の通り私の住む地区と一緒で、小さい頃はよく遊んでくれたお姉さんなんだ~。
あ、こちらは私の友人で川本七瀬っていいます~。ナナ、こちらは私のお姉さん的存在の斎京菊恵さんね」
流花ちゃんがいつの間にか紹介を始めてしまったので、私も顔を上げると目の前に立つやたらと大人っぽいお姉さんの顔を見る。
色白で眉は濃く、いかにも『大和撫子』な雰囲気を醸し出す菊恵さんは、私と目を合わせるとにこやかに微笑んだ。
「七瀬ちゃん、えぇ名前どすなぁ~。ウチのことは菊恵、って呼んでおくれやす」
「はぁ……その、菊恵さん。流花ちゃんがいつもお世話になってます~」
よそよそしい挨拶になってしまったが、初対面の人間なんてこんなものだろう。私は自分にそう言い聞かせ、菊恵さんに対し同じように微笑む。
ぎこちない空気を読み取ってか、もしくは空腹感からか、流花ちゃんは固まったままの私を差し置いて注文を始めた。
「じゃあ菊恵さん、私はエクレールを一つ!
ほら、ナナも早く決めなよ~」
「じゃ、じゃあ……私もエクレールを一つで」
「かしこまりました。少々お待ちくだされ~」
そう告げると箱詰めの作業を始める菊恵さん。どうでもいいかもしれないけれど、おっとりしたイメージを漂わせる口調が私は少しだけ気に入った。
しばらくして、二つ分のエクレールが入った可愛らしい箱を片手に、菊恵さんがカウンターへと戻ってきた。
「二百五十円のエクレールが二つ、お会計五百円になります~」
「あ、ありがとうございます~」
「ナナ、語尾うつってる」
流花ちゃんの指摘を聞かなかったことにして、私は財布を取り出すと五百円硬貨を取り出す。
それを支払うと、レシートと商品を受け取った。所作が丁寧な辺り、いい家の育ちなのだろう。
「それじゃ菊恵さん、また来ますねー!」
流花ちゃんは手を振りながら、私は遠慮がちに小さく会釈をしながらシュプランを後にする。