13-5
紅茶、そしてお茶菓子のお代わりを用意するため、女神官トバリは一人客人を残し、暫し部屋を離れる。
「師匠、師匠ってば! どうしましょう師匠!」
「? 何がにゃ?」
「何がじゃありませんよ。やっぱりこれって何かのテストなんですかねぇ? ナナ達、何の対策も準備もしてないじゃないですかぁ!?」
「… 言った筈にゃ。深く考え込むのではなにゃく、ニャニャイロが見た事感じた事を素直に受け止めれば良いってにゃ」
「はぁ。でもそんなことで」
「ほら、愚痴は後で幾らでも聞いてあげるのにゃ。今はしゃっきっとするのにゃ」
そんな灰色猫の言葉から程なく、お茶会の仕切りなおしの準備を携えた女神官トバリ=シルバーテイルが再びその姿を現す。
「ふふっ。またおまたせしてしまったかしらぁ? 何だか今、お話声が聞こえたようでしたけれど」
「あ、あ~。そ、それはですねぇ、ナナは、ペットのにゃんにゃんとお喋りするのがこの旅でのストレス解消法なのですねぇ」
「あらぁ、そうなのね。ナナイロちゃんにとってこの旅は、それほど過酷なものということかしらん?」
自らの師たる灰色猫の頭をひたすらに高速で撫で続けながら、ナナイロ=エコーは考える。自らの旅の意味を。
果たして自分は、何故この旅に出ようと決心したのか。その命題を。
「確かに、確かにナナにとってこの旅は苦労の連続かもしれませんねぇ。まだ始まったばかりですけど、ナナ、世間知らずで何も知らないただの堕ちこぼれでしたから」
あっけらかんとそう言い切ったナナイロは、灰色猫を自らの胸元へと手繰り寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
「そんな堕ちこぼれが、ある日突然《戒呪》の力を手にしてしまって。気が付けばアカデミーの希望だーなんて、祭り上げられてしまいまして。でもですねぇ、不肖このナナ、旅に出るって決心したのはあくまでも自分自身の意思ですから」
「そう… 自分で選んだ路なのね?」
「はいっ! だって、ナナには… こんな落ちこぼれでダメダメなナナを支えてくれる、そんな人たちがいましたからっ! お師匠さんに、《お兄ちゃん》」
その言葉にぴくりと反応を示したのは、他でもないナナイロに抱かれたままの灰色猫で。視線は動かさず、その両耳だけをぴくぴくと反応させる。まるで、ここから先の彼女の言葉を一言も聞き漏らさぬかのように。
「ナナには正直言って難しい話は分かりません。呪いや、ナナの力の正体とか。でもですねぇ、ナナは約束したのです。この力で、困っている人達を救ってみせるって。救済してみせるって。だからこそ… そのためだったら、ナナはどうなってもいい。たとえどんな苦労でも、努力でも、犠牲でも払ってみせる」
「……」
女神官は目を瞑り、ナナイロのそんな言葉に沈黙を持って静かに頷き返す。
が、そんな彼女の反応とは裏腹に、ナナイロは、にへらとその顔を柔和に崩して更に続ける。
「… と、最初は思っていたのですねぇ。でも不肖このナナは感じました。それじゃ、きっと駄目なんだって」
「それはどういう事かしらん? ナナイロちゃん」
「えへへ、はい。ナナは思ったのです、きっと《救済》って、誰かを救う事ってそーいうことじゃ無いんじゃないかなーって。きっと、他の誰かを救うためには、同時に自分自身も救われなきゃいけないんだって。実際、今も尚、こんなナナを救おうとしてくれている方が居るんです。それって、ナナにとってはすごくすごく重要な事。こんなナナの事を一生懸命考えていてくれる。それって、すごくすごく幸せな事」
照れ笑いを浮かべながら、灰色猫を抱きしめる腕により一層の力を込めるナナイロ。ぐぅええええ、というおよそ猫らしくない呻き声をあげる件の灰色猫。
そんな、いつも通りの一人と一匹の光景。
「どこかの国の神父様も仰っていましたわ、出会いは引力であると。ナナイロちゃんにとって、良き出会いがあったのね?」
満面の笑みを携えながら、一度だけコクリと頷いたナナイロが続ける。
「トバリさん、先ほどの質問の答えなのですが」
《変わらずに居られるか?》
そんな問いに対するナナイロの答え。それは…
「ナナは、きっと変わります。この先もずっと。変わり続けていくと思います。皆が幸せになって、ナナ自身も幸せになるためだったら、この先、どんな自分でも受け入れられる覚悟がありますからっ」
ナナイロの口から導き出された回答は、廃墟の街の神官にとって、椅子の守り手にとって、納得のゆく内容だったのか? その答えを知るのは、やはり件の神官ただ一人のみである。
「… 強いのね、ナナイロちゃんは。ふふっ、良かったわぁ。あなたとこうしてゆっくりとお喋りが出来て」
満足そうにそう呟いたトバリは、再び目を瞑り祈りの所作が如くその両手を静かに合わせる。
「さぁ、それでは本番と参りましょう?」
「本番?」
「そうよ。だってナナイロちゃんは、ワタクシとお喋りをするためにこんな誰も居ない街にやって来たわけじゃないのでしょう?」
だからこそ。
そういい結んだトバリが、その切れ長の瞳を更に細めながら言う。
「《その椅子》が、ナナイロちゃんの長い長い旅路の、その目的の一助となれば幸いなのだけれど」
「その、椅子? ん? どの椅子でしょうかねぇ? …… え? えええええっ!? その、椅子? って、まさか、この椅子ですかぁ!?」
「そうね。ナナイロちゃんが先ほどからずっとずっと座っていたその椅子。それこそが《彼岸の椅子》よ。ほら、良く言うでしょ? 凄すぎるものは逆に普通に見えたりするって」
一見するとただの椅子。
例え注視しても、やはりただの何の変哲も無い木製の古びた黒い椅子。
長い歴史の陰に埋もれし神の御目溢し。《彼岸の椅子》である。
「で、でも。資格とか、今のってテストとかじゃ」
「あらあらん? ワタクシ、いつそんな事言ったかしらん。この椅子に座るのに資格なんて要らない。テストも必要ない。来るもの拒まず。座るものもまた拒まずよ… ただし、座る人物の持つ《信仰心》によってその効力が変わってくるだけ」
「うぐっ、信仰心ですか。あの~、あは、あはははっ… はぁ~。ナナ、正直に言いましてあんまり真面目なシスターさんじゃありませんでしたからねぇ」
顔を青白く染めながら唐突に女神官から目を逸らし、虚空の向こうを側を見つめながら、ナナイロがそう嘆く。
「ふふっ。あら~、それは少し聞き捨てならないわぁ~ん… なーんて、ウソうそ。冗談よ。信仰心と言っても何も神様を信じる気持ちの事だけじゃないわ。ナナイロちゃんの想い。ナナイロちゃんにとっての絶対。それが信仰」
「分かったような、分からないような」
「うふふっ。つ・ま・り、ナナイロちゃんはいつまでも、この先も、素直なナナイロちゃんでいてねって事よ。今更、特別何かを考える必要は無いわ。ありのまま感じたままで良いの」
「はて、そのセリフ。つい最近もどこかで聞いたような気がしますねぇ。でもでもですよ? さっきからずっとナナが座っているにも関わらず何も起こらないってことは、うぅぅっ… ナナの信仰心が足りないってことなのでしょうかねぇ?」
ころころと顔色をその表情を変えながら、ナナイロがそう嘆く。
と、そんな彼女を諭す様にして、トバリが彼女の片手をぎゅっと握り締め、訴える。
「祈りよ、ナナイロちゃん。祈るの。勿論、何に対してどう祈るかは… ナナイロちゃん自身が決める事」
「祈り、ですね」
女性神官に促されるようにして。
これまでを振り返るようにして。
これからを思い描くようにして。
少女は祈る。
過去を紡ぎ未来へ繋げる今を成すため、少女は祈る。
彼岸の椅子。
遥か昔から、その一脚の古椅子はそう呼ばれてきた。
座るものに対し、様々な啓示を与え進むべき指針を示す一脚の椅子。
そして、その啓示は。座るものの祖先、または所縁のあるものの姿、対岸の者の姿を借り受け現れると言う。
故に彼岸の椅子。
果たして椅子は、少女に如何なる幻夢を与えるのだろうか……
END