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「まぁ嬉しい! 久しぶりのお客様っ」
「はひっ!? え? あの? ええっ?」
件の神殿へと一歩足を踏み入れた瞬間、ナナイロと灰色猫に掛けられる突然の歓喜の声。そして、それと共に見舞われる熱き銀色の抱擁。
「あら~、ごめんなさい! ワタクシとしたことが、驚きのあまりついついはしゃいでしまいましたわっ」
ごほん。
一度だけそう咳払いをした声の主は、身なりを整え落ち着きつつも改めて自己紹介をとり行う。
「ようこそいらっしゃいましたわ。ワタクシの名はトバリ。トバリ=シルバーテイルと申しますぅ」
褐色肌に映える銀髪ショートヘア。年の頃は30代前半。
ナナイロを出迎えたのは、トバリと名乗る法衣の女性神官だった。
「これはこれはご丁寧に。不肖このナナは、ナナイロ=エコーと言います。きょ、今日は宜しくお願いします」
すかさずそう挨拶を返しペコリとその頭を下げるナナイロ。一方その師たる灰色猫は、その行動を黙って見守るのであった。
「あら、可愛いらしいお名前ね。ナナイロちゃん。うん、ワタクシ憶えましたわ。さぁさぁ、ナナイロちゃん。こんな殺風景な場所で立ち話もなんだわ。遠慮なく中に入って頂戴ね? 今、お茶の用意も致しますから」
客間へと案内され、一気にそうまくし立てる女性神官は、対してぽかんと立ち尽くすナナイロを意に介さずそそくさとどこかへと消えてしまう。
「あの、師匠? 何だか、ナナが思い描いていた展開と大きく違うんですけどねぇ?」
「…… ほぅ。まぁ、神官とはいえ。こんな場所にたった一人で居るわけだからにゃ。それが《多少の変わり者》であっても可笑しくは無い筈なのにゃ」
「はぁ。そーいうもんですかねぇ」
などと言う師弟間での会話が交わされて間もなく、そのセリフ通りティータイムの準備を携えたトバリが彼女らの元へと舞い戻る。
「あらあらごめんなさいね。ワタクシったら大事なお客様をお待たせしちゃったかしら? ほら、何分いつもは一人ですから。二人分のお茶の用意だ何てあまりにも久しぶりだったの。ふふっ、ワタクシ何だかワクワクしてしまいました」
突然のお茶会。
予想外の展開にどうしたら良いのか分からない、そんな戸惑いの色を隠せなかったナナイロだったものの。神官の用意したお茶菓子の数々を見るなり、困惑に染まったその表情をあからさまに変化させる。
「くっきー!? 不肖このナナ、例え味覚を失おうとも… 甘いものが大好きだというその心意気までは失っていないのです!」
「? あら~。お気に召してくれたようでなによりですわ。ぅふふっ、さぁナナイロちゃん。あなたがワタクシに会いに来てくださった目的、お茶をしながらゆっくり聞かせていただきますわね? さっさっさ、どうぞぉ~、ナナイロちゃん?」
そう言って椅子を引き、ナナイロを客間の中央に位置するテーブルへと誘う女性神官。
目の前のクッキーに目を奪われ、もとい、彼女達の今回のその目的を果たすため、ナナイロは彼女に従いテーブルへとつく。
「いっただっきまぁ~す!」
満面の笑みを浮かべながら目の前のクッキーを貪るナナイロと、それを神妙な顔つきで黙って見つめる灰色猫。紅茶から立ち昇る湯気と色とりどりのお茶菓子が、張りつめ緊張していたナナイロの心を瞬く間に支配していく。
「…ふふっ。喜んで頂けたようでなによりよぉ~… それじゃぁ、ナナイロちゃん?」
「ふぁい! ふぁんふぇふぉーふぁ?」
「あらぁ~。ふふっ、勿論、食べ終わってからでいいわよぉ。お代わりもありますから、気兼ねなくおっしゃってくださいね?」
尚も、ガツガツと口の中へとクッキーを放り込むナナイロ。それを嬉しそう見守る女神官。更にテーブルの上隅にて、その様子を尚も黙って見つめ続ける灰色猫。
そんな光景が、いったいどれだけの時間続いたのだろうか? しかし、その均衡を破ったのは、やはり虹色の修道女その人であった。
「…ン。ふぅーーーーー。ナナ、だいまんぞっっく、です! えへへへっ、え~っと? 何のお話でしたっけ?」
「ぅふふっ、準備は万端のようね。それじゃぁワタクシ、神官としての務めを果たさせて頂きましょうかしらん。なんと言ってもナナイロちゃんは、久しぶりのお客様ですから」
銀色ショートヘアの前髪の先端をくるくると指で弄びながら、そう言ってどこか妖艶に微笑んだ女神官が… その特徴的な切れ長の瞳の奥に何かを秘めつつもナナイロに問いかける。
「それじゃ第一問よ、ナナイロちゃん。あなたは、一体何のためにこの神殿にやって来たのかしら? 勿論このワタクシに会うため、一緒にお茶をするため、なんて回答でも大歓迎よぉ?」
「はて、何の為? えーっと、師匠?」
そう呟きながら、今やテーブルの上にて言葉通り猫を被ってにゃあにゃあ鳴くだけの存在に徹している灰色猫に語りかけるナナイロ。対する灰色猫からの反応は、やはり皆無であり。明後日の方向を見つめながらただ一言、ごろにゃーと鳴くのである。
だがしかし、そしてしかし、唐突にナナイロは思い出す。自らの先刻の言葉を。喋る猫だなんて、それこそ幽霊よりレアケース、だと言う自身の発したそのセリフを。
そして悟る。この師匠は、最初から総て自分に任せるつもりなんだということを。
「あらあら? シショウ? ふふっ、師匠だなんて、ナナイロちゃん。あなた、ペットの猫ちゃんにとてもユニークな名前を付けているのね?」
「…… あはっ、あははははっ。そーなんですよ神官様! ナナの可愛いにゃんにゃんは、シショーっていう名前なのですよ!」
何とか誤魔化しきった。ナナイロは、実に良い顔をでそう言い切ったのであった。
「ぅふふっ。やっぱり面白いのね、ナナイロちゃんは。そ・れ・に、ワタクシの事は、神官様じゃなくてぇ、親愛の情を込めてトバリさん♪って呼んでもいいのよぉ?」
そう言って満面の笑みを浮かべるトバリ神官。その微笑みは真実の顔か、或いは秘めたる内を隠すための能面か。
「あは、あははは」
普段からマイペースを自認するナナイロでさえも、彼女の内包する上位互換のマイペース空間に飲まれつつある現状。今回に至ってはナナイロのの師たる灰色猫からの手助けは望めない。正直言って、彼女は今、戸惑っていた。どうすればいいのか。何が正解なのか。
彼女は探る。必死に、自らの活路を。この迷宮からの打開を。
「あの、ですね神官様。いや、トバリさん? ナナはですねぇ、包み隠さず正直に申しますとですね… 《彼岸の椅子》を使わせてもらうために、このグレイヴヤードにやってきたのですねぇ」
結局のところ。実直に誠実に、自らのその目的を嘘偽りなく喋る事でしか、その胸中を語る事の出来ない不器用で馬鹿正直な虹色の修道女なのであった。
「あらあら、そうだったの。彼岸の椅子ね。ふぅん、そう。ところでナナイロちゃん、あなた…… 何故そんなに頑張っているのかしら? 一生懸命なのかしら?」
女神官から発せられたそんなセリフは、直球でナナイロの心を抉る。
まるで総てを見透かしているようで、喰えない。そんな女神官トバリ=シルバーテイルは続けて語る。
「ナナイロちゃんは、その服装からしてシスターさんよねぇ? シスターの卵… ってところかしら」
「あのっ、ハイッ! ナナはシスターです。見習いも初歩の初歩、解呪はおろかお祈りもまともに出来ないよーな、そんななんちゃってシスターですけど」
「ふふっ、そう… でも、それじゃあ、だからなのかしら?」
「はひっ?」
「ナナイロちゃんが、その味覚や《色覚》を失ってまで尚、石化からの戒呪に励む理由は」
「!!? あ、えっ… どう… して、それを?」
トバリの言葉通り。この時点でナナイロは既に、その世界から色彩すらも失っていた。むしろ、彼女がその紛い物の力を手にしてから最初に失った対価こそが色覚だったのだ。
だからこそ。
ただの虹一つではしゃぎまわり騒ぎ立て、どこかの誰かから真っ赤な傘を貰い受けたとしても、その特徴的な色さえ認識できなかった。
戒めは、今も尚現在進行形で徐々に彼女の体を、その命の砂時計を少しずつ、けれど確実に蝕んでいく。
「自己犠牲の心は尊く気高く、そして美しい。正にシスターが持つべき清らかな精神、清貧なる資質。今のあなたの姿は、シスターの本来の在り方をそのまま体現しているもの。そう… 今のあなたは、あなたの存在はまるで、天国への片道切符のよう」
そんなセリフと共に大きく感嘆の溜息をついた神官は、目を伏せ、その両手で顔を覆う。まるで、その表情を覆い隠すかのようにして。
「ナナは…」
「ねぇ、ナナイロちゃん。ワタクシはね、神官になって以来ずっと一人で、この街で、廃墟の街で灰色の街で、たった一人で彼岸の椅子の守り手を任されてきたの。今日は誰も来なかった。どうか明日もそうありますように。そう祈り続けながら、ずっとずっとね」
もはや冷め切ってしまった紅茶をすすりながら、女神官は尚も続ける。
「呪い。石化。そして、アンシリーコート。ここ数年で、世界は大きくその装いを変えてしまったわ。そして、《彼岸の椅子》も然り」
目の前の紅茶を飲み干し、その場で立ち上がったトバリが、おもむろにオーバーリアクション気味に両手を広げながら言う。
「あなたもその目にした通り。この灰色の街は、かつての大災害、星の天砕により大きく姿を変えてしまった。人々を失った街。そんな街に残されたもの、太古の神が産み落とし、この地に在り続けた神のお目溢し…… それが彼岸の椅子よ、ナナイロちゃん」
変わってしまった街。変わってしまった世界。変わってしまった秩序。
だからこそ。女神官はそう結びながら告げる。
「森羅万象、やがて変わり行く世界。刻一刻と変わり続ける事を裏打ちされた世界。ナナイロちゃん、それでもあなたは… 変わらずにいられるのかしら?」
END