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第二解 「福音。旅立つ二人」
セツリが旅立ちを決意して、さらに1ヶ月の月日が流れていた。
闇と静寂が周囲を支配する中、古びたランプだけが彼の横顔を照らし続けている。
村での傷もほぼ癒えた今、彼は着々と旅立ちの準備を進めていた。
「せーちゅりきゅーん、にゃーにまじめなかおしちゃってんのー」
そんな折、この家の家主である魔法使いのカンナが、酒瓶を片手に現れる。
「うわっ、くさっ、酒くさっ… カンナさんまた呑んでたんですか?」
「ひっどーーい。こんにゃかわゆいおねーさんに向かって、よりにもよってくしゃいとか、せちゅりきゅんは相変わらずひどいにゃー。いーから君ものもーぜぃ」
カンナの異様なまでのテンションと言葉づかいは、彼女の飲酒量と、泥酔具合を如実に物語っていた。
「酔い過ぎです。弱い癖に酒好きってのは手に負えませんね。何て性質の悪い…。それと、怪我人に酒を勧めないでください」
セツリの言い分を全く意に介さず、ふと、彼が手にしている本をちょんとつつきながらカンナが言う。
「にゃによんでるんだにゃ? せつりきゅんはべんきょーねっしんだにゃあ」
もはや呂律すら廻らなくなった、そんな駄目人間丸出しな姿でセツリに抱きつくカンナ。
酔うといつも以上にスキンシップをねだってくるのが、カンナの酒癖だった。
「だーかーらー抱きつかないでください。もしこんな状態でリバースなぞしようものなら、1カ月は口聞いてあげませんからね。それと、別に勉強熱心てわけじゃないです。僕には魔法の才能も、聖職者としての才能もありませんでしたけど、時間だけは嫌というほどありますから」
時間が停止している今の彼にとって、まともな人間生活、つまりは眠る事さえも本人の自由とはならない。そんな彼にとって夜は長く、1日という概念に終わりがなかった。正真正銘、連続する日々。地続きで繋がっていく毎日。
「くらーい、くらいぞーせっつん。心配すんなよー、おねーさんが守ってやるぜぃ」
「ええ、有難う御座います。それでは取り急ぎ、ここは一つ僕のプライバシーってやつを守ってください… この酔っ払い」
背中にまとわりついた魔法使いを引き攣った笑顔で引きはがすセツリ。
彼女は彼女なりに、自分のことを気遣ってくれているのかもしれない。まともに眠る事さえ出来ない自分に対して、気を使ってくれているのかもしれない。
だがしかし、一度そんな風に考えてしまうと、こんな彼女の姿も違って見えてきてしまうのもまた事実。
セツリは彼女の掴んでいた酒瓶を受け取り、そのまま一気に飲み干した。
「仕方のないカンナさんですね。こうなったら、今夜は僕もとことん付き合いますよ。さぁ、2本目を」
彼が振り返ると、先ほどの騒がしさとは対照的に、すぅすぅと可愛らしい寝息をたてながら眠るカンナの姿。
「寝ちゃいましたか。お酒、弱い癖にこんなになるまで呑むから。まったく… ありがとうございます」
彼女にブランケットをかけ、再び机に向かい続きを読み始めるセツリ。
彼の夜は、まだ始まったばかりだった。
◆
「いょーし、良い天気だぁー。超 旅 立 ち 日 和」
「朝からテンション高すぎですカンナさん。正直うざいです」
「あーっはっはっはー、何とでも言えよぅセツリ。私は今、猛烈にわくわくしてるんだぁー」
そんな彼女を無視し、何も言わず、すたすたと一人出発するセツリ。
「うわーんごめんよー、私が悪かったから無視だけはやめてくれよぅ。私、セツリに優しくされないと死んじゃうんだぞ?」
セツリは歩みを緩めつつも前を向いたまま言う。
「まずは東へ向かおうと思います」
「はい」
「特に目的地があるわけじゃありませんが、目的がないわけじゃありません」
「はい…… はい?」
一瞬頷きかけたものの、すぐに首をかしげるカンナ。
「正直、僕は今の姿になってから、自分の体質や能力にあまり興味がありませんでした」
今の姿、つまり異例の解呪能力を発現させ、時間停止の呪いを受けてからの姿。
「だよねぇ。セツリってば、自分のあらゆる時間が止まっちゃったってのに全然気にしないんだもん。それに解呪能力に対してもぜーんぜん興味無かったもんね。仮にも聖職者見習いだったのにそれはどうかと思ったよ、私は」
「僕自身、別に聖職者になりたかったわけじゃないですからね。そもそも単に神父様に恩返しがしたかっただけですから。だから力には何の関心も無かったし、正直言って僕には荷が重すぎたんです」
「それは初耳。ふーん、へぇー、セツリでもそんな風に感じるんだぁ? そう言えば、最初私がセツリを研究させてほしいって言った時もあんまり乗り気じゃ無かったもんね?」
「ああ、それは別にこの話とは関係ないです。単純に物凄く嫌だったからです」
「関係ないのかよぅ! 単に私に研究されるのが嫌だっただけかよぅ! 私に弄ばれるのが嫌だっただけかよぅ!」
そんなの嫌に決まっているでしょう。むしろそれで喜ぶ人間がどこに居るんですか… いや、まぁ、極々一部そういう方もおられるかもしれませんが、少なくとも僕ではない。
そんなツッコミを入れようかと一瞬だけ考えたものの、結局黙ってスルーを決め込むことにしたセツリ。
全力で突っ込むカンナとそれを白い目で見守るセツリ。
いつもの構図。いつもの二人。
「… 話を戻します。でも、村での一件で僕に与えられたこの能力と意味を改めて考えさせられました。もしかしたらあの時、僕にもっと知識や力があったなら、事前に災害の発生を防げたかもしれない。被害を最小限に抑える事が出来たかも知れない。村を守ることが出来たかも知れない。何故、僕は自分の能力について、呪いについて知ろうと思わなかったのか? あれ以来後悔しなかった日はありません。だからこそ、今回の旅は、僕の能力を知る旅だと思ってます。でもその方法は未知数です。だから具体的な目的地はありません」
「ふむふむ、つまり自分探しの旅とな。はにゃ? どうしたんセツリ?」
「いえ。自分探しの旅、とか言われると、何だか急に恥ずかしくなってきまして」
「にゃはははは、確かに。たしかにちょー恥ずかしーよ、セツリ。そんなの、世界中探したって見つかりっこないのにねぇ。だって、探すまでも無く、自分は自分の中にしか存在しないんだからね!(ドヤァ」
そんなカンナの態度に対してますます顔を真っ赤にしつつ、ごほんと小さく咳払い。
「それで、ですね。やっぱり呪いやその解呪術式について知りたいのなら、その専門家に教えを請うのが一番だと思うんです」
「ふむふむ」
「それで最初は、東へ行ってみようと思います。東のとある村に神父様のお弟子さんだった方がいらっしゃいます。まずはその方に会いに行こうかと思ってます」
「へー、あの神父様の弟子かー、もしかしてそれって有名な人なの?」
「はい。僕もこの体になる前に会ったことがあるのですが、やり手の解呪師だと聞きます。解呪の腕は神父様よりも断然上だとか。名前はカイドウ・フォルスター」
「ふーん? そう言われると聞いたことがあるようにゃ、ないようにゃ」
「いずれにしても、急ぐ旅ではありませんし、それもあくまで目的地候補の一つですから。ゆっくり行こうと思ってます」
「セツリがそう決めたのなら、私はそれについて行くだけだよ」
それは、セツリとカンナの村が事実上この世界から消滅してから、7ヶ月目の旅立ち。
彼らの長い長い旅が、今、幕を開けた。
END