10-6
「さっきは… 取り乱して悪かったな」
「さっき、と言うより謝罪するにゃら昨日の晩からにゃ。よーやっとまともに話が出来そうにゃんだからにゃ」
要望通り。一仕事を終えた彼女らの為に朝食の準備を行うグウネと、その様子を今か今かと待ち受けるナナイロ。そして、そんな彼女の膝の上で眼を細め気持ちよさそうに丸くなりながらも、灰色猫がそう呟いた。
「耳が痛てーな。いちいち終わった事を蒸し返すのはテメーの悪い癖だ、キルケ。それと… ナナイロだったな。ありがとう、改めて礼を言わせて貰う。おかげで目が覚めた」
よほど待ちきれなかったためか、目の前に料理が並べられるや否や、狩猟動物が如く素早く大きく開かれた口で捕食を始めるナナイロ。
「フィふぁーふぉふぇふぉふぉふぇふぉ」
その後の診察の結果、心身ともに異常無しと判断された先ほどの少年は、終始不思議そうな顔で家へと帰って行った。自分に何が起こったか理解していない、そんな様子の茫然自失。だが、本当に不思議顔になるのは彼が家路へとついた後、家族との再会を果たした後になるのだろう事を、彼は今、身をもってい体験している最中かもしれない。
何故ならそれは…
「お、おう。何言ってるのかは分からんが、とにかくまずは食ってからで良いさ。悪いな、碌な朝食も出せずに。しかしまぁこうして誰かと数人でメシを食うなんて、あの時以来か… いや、正確には二人と一匹。あん時は三人と一匹だけどな」
ガツガツと朝食を一心不乱に口に運ぶナナイロとそんな彼女にはもはや慣れた様子で、やはりもくもくと朝食を口にする灰色猫、そして一人感慨深げにそんな様子を見守るグウネ。三者三様の朝の風景。
「珍しいにゃ。一匹狼の君が誰かと食事を共にするなんて。もしかして、さっきの少年かにゃ?」
「いや、それとこれとは全くの別件さ。奴らは、診療所を遊び場と勘違いしちまってるような愉快な近所のガキ共だ」
「ふーん。だとするにゃらば、《今回の君の変貌っぷりの一因》その関係者ってとこかにゃ?」
そんなセリフに対し、ぼさぼさの髪を豪快にくしゃくしゃと掻き揚げながら、グウネは小さく一度だけ溜息をつく。
「お前さ、昔からそーいうとこだけは無駄に鋭いよなぁ。まぁ、テメーにどんな意図があって此処に来たにせよ。恩は恩で借りは借りだ。いいさ。此処は一つ、テメーの掌の上に乗ってやるとしよう」
「掌の上とは聞き捨てにゃらにゃいな。にゃーはそんな裏表のある人間じゃにゃい」
「おいおい、今のセリフ。いったいどこから突っこみゃ良いんだ?」
突然の訪問者である二人のおかげで、徐々にかつての調子を取り戻しつつあるグウネ。だが、灰色猫の目的は当然これだけでは終われない。その小さな口を斜めに歪めながら、そのもう一つの目的の達成に掛かる。
「にゃんだかにゃ。とは言え、そこまで言うのにゃら互いに情報交換位はしときたい所だにゃ。にゃーが思っていた以上に、君は核心に近い事を知っていそうな予感がするのにゃ」
灰色猫が投げかけたそんなセリフに対し、一瞬だけ身を構え思わず口をつぐんでしまうグウネ。そして、そんなタイミングを見計らったかのように、或いは偶然重なっただけなのか。ナナイロは、ふいに立ち上がり一際大きな声で叫ぶ。
「ごちそーさまでしたーーーっ!!!!」
「うぉっ!? きゅ、急に叫ぶんじゃねーよ。一瞬びびっちまったじゃねーか」
そんなグウネを意に介さず、数回のおかわりによりすっかりお腹が満たされたナナイロは、とびきり満面の笑顔を携えて尚も続ける。
「師匠! ナナは日課の散歩に行って参りまっす!」
「分かったにゃ。くれぐれも遠くに行き過ぎないようににゃ」
「やだなー。分かってますよぉ、了解でっす!」
そんな言葉だけを残し、早々に診療所を後にしたナナイロはその足で丘を下り麓のハイネストへと出向く。
「おいおい、尋常じゃなくマイペースで元気な奴だな。アイツ、本当にシスターか? 食事の前の祈りも無けりゃ腹八分目な清貧な精神もねぇ… やれやれ、気に入った」
「ニャニャイロが祈るのは《戒呪》の時だけにゃ。よーするに、ちょっとだけ特別な存在なのにゃ」
「ちょっとだと? アタシが思うに、そんなレベルじゃねー気がするがね」
そんなグウネの直球なセリフに対し、少しだけ曇った表情を浮かべその場を濁しながら灰色猫が応える。
「さてさて。場もお腹も落ちついたところで、お待ちかねの質問タイムと行きますかにゃ。グウネ、あくまで主導権はこちらにある事をお忘れにゃく」
「この腹黒猫め」
カチャカチャと食器を片付けながら、グウネがぼそっとそう呟いた。
「それにしても、お前が《師匠》とはね。一端の保護者気取りたぁ、時は人を変えるのかね」
「人を変えるのは、いつだって人にゃ。違うかにゃ? グウネ」
「… 違いない」
その片手にコーヒーのカップを二つ持ちながら、再びグウネがテーブルに着く。
勘違いするなよ。今から話す事は、お前だからこそ話すんだ。医者でも解呪師としてでもなく、アタシ個人として。お前らに希望を見たからこそ、アタシはお前らにアイツらを託すんだ。
そう前置きをし、言葉無き空間で今を噛みしめるように天井を見上げ、一呼吸置いた後、彼女は静かに語り出した。
「キルケ、お前、白い不幸の星の存在を知っているか?」
「肯定。実際にこの眼で見た事はにゃいけどにゃ」
「そうか、アタシはこの眼で実物を見たよ。あれは、旅の解呪師だった… 歳はナナイロとそうは変わらなかった筈、最も、見た目はもっと若かったがね」
そう告げた後、コーヒーをひとくち啜る。彼女が顔を顰めるのは、カフェインの苦みによるところだけでは決してない筈。
まるで遠くを見つめるように、過去に想いを馳せながらも、尚色彩を失わない彼方の記憶を語るかのように、グウネは続ける。
「竜の脱皮がアタシとあいつらとの出会いさ。若い解呪師見習いと、自称天才魔法使い、それに幼い白竜。面白い組み合わせだろ?」
「それだけに、話の顛末が気になる所だにゃ」
「まぁ、そう焦るなよ。せっかちは嫌われるぜ? まっ、アタシが言えた義理じゃねーがな。んで、アタシとそいつらは、竜が脱皮を終える間の数日間をこの診療所で共に過ごした。そんな折だったよ、アイツからその身に宿した呪いの話を聞いたのは」
灰色猫は、その鋭い眼光を殊更鋭くさせ、真剣に彼女の話に聞き入る。
そう。その様はまるで、まるで怨敵を射殺さんとするような冷たく鋭利な感情を伴って。
「アイツは、身に秘めた時間停止の呪いと、どんな呪いだろうとその両掌で触れるだけで解呪を行っちまうようなぶっとんだやつだった。才能や努力、人知や摂理を逸脱しちまった様な、理の外。ようするに規格外って奴さ。だからこそアタシは、そんな話を聞かされて尚、奴らにとって何の力にもなってやれなかった。今も昔も、アタシはそんな情けない口だけな奴なのさ。研究だってからきし頓挫しちまってるしな」
「グウネ、落ち込んでる場合じゃないにゃ。とっとと続きを話すがいいにゃ」
あくまでも、その身に抱いた感情を他人に悟られぬように。あくまでも冷静に冷徹に、灰色猫がそう続きを促す。
「おいおい冷てーやつだな。まぁ、猫に人並みの優しさを求めるのもお門違いって奴か。で、だ。問題は奴らが脱皮を終え、出立してから後の話だ。テメーも知っている通り、それから間もなく《星の白夜》が起こり、ハイネストの街は変わっちまった。その頃は、そんな惨状を何とかしようとアタシも必死だった。丁度そんな時だったな、アイツが《たった一人で》再びこの診療所に舞い戻って来たのは」
「件の白の星の解呪師にゃ?」
「いや、違う。その相棒の魔法使いさ。キルケ、お前のさっきの言葉を借りるなら。アタシを変えちまったのは、間違いなくアイツだった。再びこの診療所にやってきた奴は… そうだな、当初は手に負えない状態だった。まともに会話も出来ず、1日中泣きっぱなし。あの二人の間に何かがあった、そんなのは火を見るよりも明らかだったさ。暫くの後、何とか話を聞きだせるまでに回復して…… アタシは何の因果か、意図せずして《星の白夜》の顛末を知った。いや、知っちまった」
グウネから放たれた弾丸のようなそのワードは、件の灰色猫をその場から思わず立ち上がらせるには十分な威力を持っていた。
「ちょ、ちょっと待つにゃ!? つまりそれは」
「ああ、間違いない。今回のこの現象。ここら一帯が変わっちまった原因。《星の白夜》の原因は、件の解呪師《セツリ=ブラックハート》が起因している」
「にゃるほど。その彼が《キー》か。キーがこの地域の開錠を果たした事で、抑止力が働いた…」
「おい、どういうことだ? アイツの白の星の正体は一体何なんだよ? アタシにも分かるように説明しやがれ!」
そんなグウネの言葉も今の灰色猫には届くはずも無く。次々と浴びせられる質問と罵詈雑言の言葉をオール無視し、こちらの聞きたいことだけは一方的に質問を繰り返す。そんな応酬の後、灰色猫は何かを悟ったように静かに呟く。
「ふむ。おかげで、今後の旅の方針が決定しそうにゃ… それと、ごめんにゃ、グウネ。詳しい内情はまだ秘密にゃ。そうそう、あくまで主導権はこちらにある事をお忘れにゃく」
「チッ。何が情報交換だよ、最初からそっちの話をするつもりは無かったんだろ?」
「それは違うにゃ。勘違いして欲しくにゃいのは、グウネ、君にはこのまま研究を続けて欲しいという事なのにゃ。にゃーは君の才能と努力を認めてる。にゃーの知る限りグウネは最高の研究者にゃ。確かに、ニャニャイロには《戒呪》の力がある。でも、それはあくまで根本的な解決には繋がらにゃい。分かるかにゃ? グウネ。だからこそ、君のような存在が必要なんだにゃ。そしてそれは君にしか出来ことなんだにゃ」
落ち着きを取り戻したグウネは、そんな四足歩行のかつての同志の言葉にしぶしぶ耳を傾ける。
「… 上手く言いくるめられただけのような気もするが。分かったよ。アタシは余計な事考えずに研究に没頭して、とっとと成果を出せって事だな」
七又に分かれた尻尾を振って嬉しそうに肯定を示す灰色猫。
一人と一匹の語り合いも、半ば終点に差し掛かったそんな最中、勢い良く診療所のドアが開くと共に灰色猫の愛弟子、七色の修道女見習いナナイロ=エコーが姿を現す。
「いやー、ただの散歩の筈がすっかり遊んでしまいました。えへへぇ~実はですねぇ、さっきの少年とばったり街で再会しちゃいまして、秘密基地で一緒に遊んだんですよ~」
まるで街中を走り回ってきたかのように。その修道服を汚しながら、にへらと笑うナナイロ。
「おいおい、もう打ち解けちまうとは流石だな。いや、思考と精神が同レベルって事か?」
「ああーっ、それ酷いですよグウネさん! 流石のナナもプンプンですよ! …… それと師匠、街中の子羊さん達の人数も数えてきました。さぁさぁさぁ、いざ奇跡の大安売りに参りましょう!!!」
「… というわけで、にゃー達はそろそろ出発するにゃ。それとグウネ、君は思いつめるととことんまでっていうきらいがあるのにゃ。それは君の長所にして短所。君だって、時には誰かを頼ったっていいのにゃ。猫の手を借りたってね」
そう言ってグウネの肩に飛び乗った灰色猫は、その右前脚の肉球でポムポムと彼女の頭を軽く優しく撫でる。
「あーあーそーかよ。最後まで糞有難いご高説をどうもすみませんね、涙が出てくる思いだよ。ったく、せわしない奴らだ。ある意味で、今のお前にゃお似合いだよ、キルケ。まぁ、来る者拒まず去る者追わずがこの診療所のルールだ。だからナナイロもまた来い、今度はゆっくりキルケの失敗談でも聞かせてくれ」
「はいっ! 不肖このナナ、一宿一飯の恩だけは、一生涯忘れませんからっ!」
「礼を言うのはこっちだ。じゃーな、あんま頑張りすぎんなよ二人とも。何て、この期に及んでアタシが言えた義理じゃねーな」
そんな苦笑いのグウネに送り出され、一人と一匹は碧空の診療所を後にする。
END