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商業都市コクーン
「… ここは、どこ、ですか?」
ガシャーン。
手に持ったフラスコが割れ、中身が辺り一面に飛び散ってしまった。
その中身は、彼女が金貨数枚をはたいて買った貴重な薬品だったものの、今の彼女にしてみれば、そんな事はとるに足らない些細なことだった。
何故なら、セツリが眼を覚ましたから。
「セツリー! セツリセツリセツリセツリセツリ~。うぇええええええん良かったー、良かったよぅ。おねーさんを一人にすんなよぅ、心配させんなよぅ」
カンナは、ベッドに横たわるセツリに全力で抱きついた。
「カンナ… さん?」
彼は自分の置かれた状況を理解できず、一先ずは目の前で泣きじゃくるカンナの頭をぽんぽんと撫でていた。
「どうしたんです? 目は真っ赤だし、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃじゃないですか。折角の可愛い顔が台無しですよ? … 勿論、冗談ですが」
「うわぁあああん、やっぱりいつものセツリだー、うええええんびええええええん」
体を起こそうとしたその時、セツリの両腕に鋭い痛みが走った。見ると、彼の両手、とりわけ左手には厳重に包帯が巻かれていた。
その瞬間、彼の脳裏に記憶が蘇る。
村の事、呪いの事、そして神父の事。
あ、あ、ああ、ああああああああああああ。
彼は声にならない声をあげ、頭を抱える。
「僕は、僕は」
ぎゅっ。
カンナは何も言わず、いっそう力を込めて彼を抱きしめた。
どれくらい時間が経った頃か。セツリはカンナの頭を再び撫でた。
「ごめん、カンナさん。ありがとう、もう、大丈夫だから」
「本当? 本当に本当?」
「はい。それとカンナさん… あれからどれだけの時間が経ったんですか? 丸一日? それとも二日ですか?」
カンナは申し訳なさそうに視線を下に向けた後、彼の包帯を見つめながら答えた。
「6か月だよ、セツリ。あれから半年が経過したんだ。私、もう二度とセツリが目を覚ましてくれないんじゃないかって、心配で心配で」
沈静化寸前だったとはいえ、6つ星の災害と呼ばれる呪いを解いた代償と、その際に負った怪我と精神的ショックは、彼を半年間の眠りにつかせていた。
彼の体は、呪いによる時間停止の影響で自然治癒力が極端に低かった。
ほぼゼロに近いと言っても過言ではない。その上、呪いはおろか、他人の魔法の効力をも著しく低下させてしまうという特質ゆえ、彼の体がここまで回復するに至るまで何カ月もの時間を要してしまっていたのだった。それでも尚、星に直接触れていた左手に至っては、まだ完治したとは言い難い状況だった。
男の呪いを解呪しセツリが倒れた直後、カンナが駆け付け彼を村の外へと避難させていなければ、今頃この世に彼はいなかったに違いない。
「カンナさん、随分心配と苦労をかけちゃったみたいですね。そうだ、これからはもっとカンナさんを敬うように努力しますよ」
そう言ってニコリと笑顔を見せるセツリ。
それが彼なりのカンナに対しての最大の感謝の印だった。
「ばかっ」
彼の笑顔を見たカンナの眼には再び涙が込み上げて来ていた。
「そう言えば、ここはどこですか?」
「あっ、うん。ここはね、コクーンだよ。こっちに家を借りて、君の看病を続けてたんだ。村の私のウチも燃えちゃったから。でもね? 今まで続けてきたセツリの研究資料だけは無事だよ? いつも肌身離さず持ってたから」
「つまり、村は全部燃え尽きちゃったんですね?」
「… うん。村も住民も、皆燃えて消えちゃった。かつて私たちの村があった場所にはね、もう慰霊碑がぽつんとたってるだけなんだ」
「そう、ですか」
災害によって滅んだ村や町の後には慰霊碑を建てるのが習わしとなっていた。
それは、確かにそこに人々が生きていたということを示す一方、同時に災害の脅威を知らしめる一つの見せしめや戒めの役割も持っていた。
さながら、呪いは生きとし生けるもの全ての隣人である、という事を知らしめるかのように。
いずれにしろ、一つの村が地図の上から消えてしまったという事実は変わらない。
「ねぇ、セツリ。これからどうする? 私達、元々流れ者みたいなものだったけど。そ、その、もし、君さえよかったら、ここで私と一緒に住んでくれないかにゃー、なんて」
顔を真っ赤にして身をよじりながらそんな事を口にしたカンナを見て、何だかとても懐かしく温かなものを感じたセツリだったが、彼の心は既に決まっていた。
「カンナさん、僕、旅に出ようと思うんだ。僕は、自分の存在する意味を知りたい。僕に与えられた能力と呪いの真意を知りたいんだ」
ただただ自身の能力を無関心に駆使していた彼にとって、自分の能力や呪い、そして自分自身を知りたいと思う事は、大きな変化だった。
一連の事件が彼をほんのちょっとだけ、前へと前進させていた。
「はぁー、そう言うと思ったよぅ。こんなに優しくて天才で美人のおねーさんの、それはもう魅惑的で魅力的な提案を断るなんて、君は本当にいぢわるだね」
流石に今回は、即答で断るのは悪かったか?
セツリがどんな顔をして良いか分からず、一先ず彼女の頭を撫でて誤魔化そうかと思い手を伸ばした瞬間、彼女はその顔をにやりと歪めた。
「じゃ、プランBに変更だにゃ。セツリ、おねーさんも連れて行きなさい、その旅。君一人じゃ心配で心配で、おねーさん夜も眠れないもん」
「そう言うと思ってましたよ、カンナさん。かく言う僕も、何だかんだでカンナさんを残して旅になんて出られませんから」
そう言って再びカンナに笑顔を向けるセツリ。
愛想笑いでも照れ隠しでもない、心の底からの笑顔。
その笑顔に思わず言葉を失い、顔を真っ赤にしたカンナが小声で呟いた。
「その笑顔でそのセリフは反則だよ、セツリ」
「えっ、何か言いましたか?」
「んーん、何にも。でも一先ずはその傷を治すのが先決だよ。旅はそれから。にゅふふふふ、それまではおねーさんのあつーい看病を受け続けるがいい!」
「カンナさん、ちょっと静かにしてくれませんか? うるさくて眠れません」
「ひどっ!」
こうして二人の運命は確実に前へと進み、新たな幕を開ける。
この先二人に待ちうけているもの… それはまだ、闇の中。
二人の針路は、まだ解かれない。
第一解 《了》